第37話 予定変更

 アルテム教の最高幹部の一人であるデミオ・マクレガーは、このところセント・ニコラス大聖堂が抱える問題について、自室で一人頭を悩ませていた。


「……まさかこれほどだったとは」


 協会が抱える修道女の中で一際力を持ち、民衆からの多くの信頼を得ていた聖女が、命を落とした事を発表したのがほんの一月前の事だ。聖女の死を受け、人々は深い悲しみに暮れた。それ自体は想定の範囲内だった。それだけセレスティア・ボールドウィンの人気は凄まじいほどだった。だからこそ、彼女と関りを持つ底意地の悪そうな修道女を唆し、無実の罪を着せ彼女を教会から追放した。このままセレスティアが脚光を浴び続ければ、民衆は教会ではなく彼女を敬う様になってしまう。いや、もう既にそうなりつつあった。それはいただけない。一修道女が偶像アイドルになるのはいいが、象徴シンボルになられるのは困るのだ。

 その判断が間違っていたとは思わない。だが、今直面している問題を考えるに、もう少しやり方があったのかもしれない、と思わないでもなかった。


「'聖女'のジョブの力を少々侮っていたようだ」


 セント・ニコラス大聖堂が抱える問題、それはシンプルに治療の数と質であった。もう少し具体的にいうならば、以前と比べ一日で診る事ができる患者数が半分程度になっており、躍起になって回転率を上げようと、スピード重視の不十分な回復魔法で放り出される患者が急増していた。もちろん完治していないため、その者達が再び大聖堂にやって来てしまい、結果的に患者が減らない、という負のスパイラルに陥っているのだ。

 こうなった原因ははっきりしている。それだけセレスティアの回復魔法は常軌を逸していたという事だ。これほどまでに影響が出るとは、流石のデミオも予想していなかった。これは付け焼刃の解決策ではどうにもならない。セレスティアレベルの聖魔法の使い手を用意する必要がある。


「アリア・ダックワースを呼び戻すか……いや、流石に国の支援を受けた勇者パーティに手を出すのはまずい」


 アリアのジョブである'大神官'はセレスティアのジョブと同様非常に希少なものだ。聖魔法の適正も'聖女'に引けを取らない。こんなことならば三年前に受けた『勇者に回復魔法を使える者を紹介せよ』という国からの命令に、国王の心証を良くしようとアリアを出すのではなかった。あの時はセレスティアがいたからなんとか教会の運営に支障をきたさなかったが、今回は破綻していると言っても過言ではない。


「くっ……セレスティアやアリアほどの使い手など、いたら初めから教会に引き込んでおるわ。だが、どうにかして二人に近い使い手を探し出さなければ…………ん?」


 追い詰められたデミオの頭にふと案が浮かぶ。妙案とは言い難いが、この苦境を乗り越える可能性を孕んだ苦肉の策が。


「そうと決まれば早急に確認せねば」


 箪笥の前までいそいそと移動したデミオは、金糸の刺繍が入った穢れのない純白の司祭服から、人目をはばかるための暗褐色なローブへと着替えた。


「……連中が使える無能であることを願おう」


 小声でそう呟き、デミオは自室を後にした。

 こそこそ隠れながら大聖堂を出たデミオは人目を気にしつつ、町の外れに向かってどんどん歩いていく。その足は貧民街スラムに入っても止まらない。一般市民はおろか、貧民街スラムの住人ですら不用意に近づかない場所まで来たところで、ようやくデミオは立ち止った。

 昼間だというのに、夜中のように薄暗い路地。視界には人の姿を捉えられないが、複数の息遣いは確かに聞こえた。何が起こってもいいように、デミオはローブの内側で魔力を練り上げておく。


「……わざわざここまで足を運んできたという事は火急の要件か、デミオ・マクレガー?」


 いつの間に姿を現したいつぞやの仮面の男が背後からデミオに話しかけた。内心かなり驚いたデミオであったが、それを表には一切出さずに、魔力を練ったままゆっくりと振り返る。


「クライアントとして、状況の把握と確認したいことがあってな」

「私がそちらに出向いてない事からも分かるように、状況に変化はない。ただ、時間の問題だ。約束通りSランク執行者を向かわせたからな。性格に難ありだが、実力は折り紙付きだ」

「つまり、まだセレスティアは始末していないという事だな?」

「あぁ、そうなる」


 平然と答える仮面の男を見て、デミオは内心ほくそ笑んだ。一つ目の条件はクリアだ。


「それで? 確認したい事とは?」

「貴様ら裏ギルドは殺し以外にもできる事はあるのか?」

「舐めてもらっては困る。暗殺、誘拐、強盗、盗掘、人狩り……客のニーズに合わせたありとあらゆる悪事を引き受けるのが我がギルドだ。もちろん値は張るがな」

「それならば、人間を魂の抜けた人形のようにすることはできるか? その者が持つ力を使い続けるだけの感情を失くした人形に」


 それを聞いた仮面の男が僅かに表情を曇らせた。デミオが人道に反する事を言ったからではない。この先の展開がなんとなく読めたからだ。


「出来なくはない。闇魔法の中で相手を洗脳するものがあり、その使い手が裏ギルドにはいる。……まぁ、永続的ではないため随時かけ直す必要はあるが」

「そうか……」


 仮面の男の言葉を受け、デミオが思案を巡らせる。色々なものを天秤にかけ終えたところで、デミオはゆっくりと口を開いた。


「……予定変更だ。セレスティア・ボールドウィンは殺さず、生け捕りにしてくれ」


 予想通りの展開に、仮面の男は内心溜息を吐く。


「そう軽々しく依頼内容を変更されても困る。こちらは裏ギルドの中でも殺しのエキスパートを派遣してしまったのだぞ?」

「人形と化した聖女を私の目の前に出せば、最初提示していた額の三倍払おう」

「…………!?」


 仮面の男が大きく目を見開いた。殺しはリスクの高い仕事だ。当然、報酬もケタ違いに高いものになっている。にもかかわらず、目の前の男はその三倍の報酬を払うと言っている。これは簡単に無理だと一蹴するわけにはいかない。


「……まだ報告が入ってきていないだけで、もう既に始末を終えてしまっているかもしれないが?」

「その時は仕方がない。取り決め通りの報酬を払おう」

「……わかった。できうる限り生かしてデミオ氏に届けるとしよう」

「期待している」


 短くそう答えると、デミオは足早にこの場を去った。一人残された仮面の男は疲れた面持ちで息を吐く。


「……ディアブロの奴がやる気になっていなければいいのだが。いや、やる気になっていなくても、派遣しておきながら何もなしで呼び戻せば間違いなく機嫌を損ねるだろうな。やる気になっていればなお最悪だ」


 相手は聖女とはいえただの小娘。戦闘狂のディアブロが気に入る相手ではないはず。


「ディアブロと一緒にあいつも派遣しておいてよかった。殺す事しか能のないディアブロと違って、あいつなら生け捕り任務も器用にこなしてくれるだろう」


 胃の痛みを誤魔化すために、仮面の男が深々と溜息を吐く。次の瞬間、そこには影も形もなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る