第100話 教会の孤児
ベルファイアは冒険者に憧れていた。
最初に憧れていたのはヒーローだった。仲間の危機に颯爽と現れ、悪人共に正義の鉄槌を喰らわす。全ての男児が喜ぶ物語に、幼かったベルファイアも例に漏れず夢中になっていた。
だが、ヒーローの存在を信じることができたのは十歳までの話だった。現実は物語のように甘くない。自分が苦しい時に助けに来てくれる正義の味方など夢物語だ。心に描かれたヒーロー像は消えさり、代わりに目標となったのは自らの強さで稼ぎを生み出す冒険者だった。いつの日か冒険者となって独り立ちする事を夢見ていたベルファイアだったが、自他共に認める臆病者である彼が魔物を狩ることなど出来るわけもなく、ヒーローを失ってから七年、特に何を為すわけでもなく燻った日々を過ごしていた。
ベルファイアは家族を大事に思っていた。
家族というのは、自分を捨てた両親の事なんかではなく、血のつながりはなくても硬い絆で結ばれた兄弟達の事であった。誰もが自分と同じように親から見捨てられた可哀想な存在。子供ながらにそんな思いが強固な繋がりを作った。自分が暮らしている教会が家、共に過ごす子供達が兄弟。そして、自分達を文句も言わずに育ててくれる教会の神父が親だった。
まさにかけがえのない家族。それを守るためならどんな事だってやってやる。兄や姉が教会から巣立っていき、自分が最年長となった事でそんな責任感がベルファイアには生まれていた。
だからこそ、育ての親であるプリウス・キッドマンが夜中に教会で一人、帳簿を見ながら頭を抱えている姿を偶然目にしてしまったベルファイアは、その日から必死に自分にできる事を探し始めた。
「……ベル兄?」
教会に暮らす孤児の中で最も幼いシャマルから名前を呼ばれ、ベルファイアはハッと我に返る。どうやらおままごとの最中に、またプリウスのあの姿を思い出し、自分の世界に入ってしまったようだ。
「悪いっス。ちょっとボーッとしちまってたっス」
「もう! しっかりしてよ! ご飯作ったんだよ?」
頬を膨らませながら泥団子を差し出してくるシャマルに、ベルファイアが優しい笑みを向ける。
「お、こりゃ美味しそうっスね! いただきまーす!」
「どうぞ召し上がれ!」
「もぐもぐ……美味い! シャマルは料理の天才っスね!」
「へへへ」
泥団子を食べたふりをしつつベルファイアが言うと、シャマルが照れたように笑った。
「まだまだたくさんあるからおかわりしていいよ!」
「まじっスか。こんなに食べたら兄ちゃん腹がはち切れちまうっスよ」
「お残しは許しません!」
まるで母親にでもなったかのように言うシャマルに、ベルファイアは思わずくすりと笑ってしまう。
「シャマルも一緒に食べようっス!」
「うん! もぐもぐもぐ」
二人でシャマルが作った泥団子を食べるふりをする。決して空腹が満たされることはないが、それでも心の方は不思議と満たされていくようだった。
「あーあ。この泥団子が本当に食べられたらいいのに。そうすればいつもお腹すいてなくて済むのにね!」
「そうっスねぇ。うちにはそんなお金はないっスからなぁ」
「むぅ……どっかにお金が落ちてないかなー?」
「落ちてたら兄ちゃんが根こそぎいただいちまうっスよ」
「ふふっ! ベル兄はこっそりとっちゃう天才だもんね!」
ベルファイアの手から泥団子がぽとりと地面に落ちた。今、教会にいる孤児は自分を含めて四人。それを養うためにいくら必要なのか、ベルファイアには見当もつかなかった。だが、学のない彼にでも分かる事がある。金さえあれば自分達は空腹に泣くこともなく、プリウスも悩む必要はない。それならば、自分に出来る事というのは金を稼ぐことではないか。
どうすれば金を稼ぐ事が出来るのか。ただでさえ南と北の関係が悪化したせいで’商業の町’と呼ばれる南ダコダに活気が全くと言っていいほどないのだ。自分のような孤児を雇ってくれる店など殆どないだろう。だが、自分には捨てられる原因となった
ベルファイアが神から授けられた
子供の頃はどういう特性を持つものなのかまるで想像もつかなかった。だが、プリウスから「人の物を奪うことに君は長けている」と教えてもらった。そして「決してその才能を悪用してはならない」という事も。だからこそ、弟からおもちゃをこっそりとってからかう程度に済ませていた。だが、今こそこの才能を発揮する時ではないのだろうか。
ベルファイアが慈しむようにシャマルの頭を優しく撫でる。
「……兄ちゃんが腹一杯食えるようにしてやるから待っとくっス」
「本当!? 嬉しい!!」
はにかむ妹を見て、ベルファイアは覚悟を決めた。
初めての標的はいい服を着た中年の男だった。別に狙いを定めたわけではない。盗みを試みようとして恐怖で断念するというのを幾度となく繰り返し、ようやく決心がつくベストシチュエーションにいたのがその男だっただけだった。
夜も更け、人通りが全くなくなった道を男が一人歩いている。ジョブの特性なのか、不思議と男が大事にしているものがどこにあるのか分かった。ベルファイアは気配を消し、ゆっくりとその男に近づいていく。体が震える。動悸が荒い。何度も足が止まりそうになった。だが、その度にシャマルや他の兄弟、そしてプリウスの笑顔がベルファイアの頭に浮かんだ。もう後戻りはできない。
シュッ……。
不思議と実行するときは体の震えも荒い動悸も収まった。そのまま何食わぬ顔で男の前を歩いていき、横路地に入ったところで大きく息を吐き出す。こっそりと様子を窺い、男が全く気づいていない事を確認したところで、ベルファイアはズルズルとその場に崩れ落ちた。震えが戻ってくる。体が熱い。アドレナリンが止まるところを知らなかった。
「ははっ……結構入ってるっスね」
震える手で戦利品の財布の中身を確認しながら、ベルファイアは力無く笑みを浮かべる。こんなにも簡単に金は手に入ってしまうものなのか。
「……仕方ねーんスよ。俺の家族を守るために、これは仕方ねー事なんス」
急速に襲いかかってくる罪悪感を誤魔化すように、天を仰ぎながらベルファイアは呟いた。
翌日、ベルファイアは手に入れた金をプリウスに渡した。プリウスは驚くと、すぐに厳しい表情で金の出所を彼に尋ねた。
「俺も十七っスよ? いつまでもここの世話になってるわけにはいかねーっス。プリウスに内緒で働き口を見つけたっス」
吐き気がするほどに高鳴る心臓を押し隠し、軽い口調でベルファイアが言うと、プリウスは目に涙を浮かべながら喜んだ。罪悪感が更にベルファイアの心を蝕む。それでも彼が止まることはない。二人目は商人の男、三人目は夜の仕事をこなす女。慎重に、かつ大胆にベルファイアは自分の役目をこなしていった。
そして、四人目。黒い鳥を肩にとめた冒険者の男。
最初にその男を見た時、ベルファイアは僅かに違和感を覚えた。その正体は分からない。ただ、体があの男から盗むのを拒否しているようだった。
「……今更何ビビってんスか」
自分を鼓舞するようにベルファイアは呟く。自分とあの冒険者の男がいるのは昼間でも人がいないような裏路地。多少違和感を感じたとしても、ここまでお誂えな展開はない。
「……いくっスよ」
深呼吸をしてから男に近づいていく。四回目となれば少しだけ余裕が出ていた。どうやら男は肩の黒い鳥と会話をしているようだ。なぜ鳥と会話できているのか疑問ではあったが、そんな事は今どうでもいい事だった。いつものように奪うだけだ。
シュッ……ドン。
だが、いつものようにはいかなかった。男が持っている財布をとった瞬間、手元が狂ったのか、男とぶつかってしまった。
「おっと、悪いっス」
これまでターゲットにぶつかった事などない。パニックになりながらも、ベルファイアは適当に謝罪をして足早に通り過ぎようとした。その過程でちらりと男を見たベルファイアの血液が凍りつく。
「……嘘っスよね?」
明らかにあの冒険者の男は自分の財布が盗まれたことに気がついた。これまで不審にすら思われた事はなかったというのにぶつかっただけで気がついたというのか?
自然と駆け出していた。恐怖が指数関数的に増加していく。とにかく逃げなければ。恥も外聞も忘れて全力疾走し、ベルファイアは目に映った廃屋の中に飛び込んだ。
「くそ……くそ!」
出来るだけ体を小さくするために、廃屋の隅で三角座りをしたベルファイアは、後悔と恐怖の念に押し潰されながらガタガタ震えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます