第93話 クローズ商会の会頭
声のした方へと視線を向けると、そこには紺のスーツを着こなした壮年の男が立っていた。その男を見てひどく焦りだしたフィットの様子から、なんとなくその男の正体を察する。
ゆっくりと近づいてきた男は俺の腕を掴んでいるフィットを見て深々と溜息を吐いた。
「騒がしいから何かと思えば……フィット。私は店で遊ぶよう命じた覚えはないのだが?」
「い、いえお父様……これはその……!」
やはりそうか。このいかにも厳格そうな顔をしているのがフィットの父であり、クローズ商会のトップに君臨する男か。あまり娘とは似てないな。ただ、オールバックにしているその金髪だけはフィットと瓜二つだ。
「やる気がないならさっさと家に帰れ」
「や、やる気ならありますわ! 今だってこの冒険者の方にこちらを売りさばこうとしていたところですの!」
「ほう?」
フィット父が興味深げに俺を見る。いや、俺を巻き込まないでくれ。
「……この男にその剣と盾を売ろうとしていたのか?」
「もちろんですわ! 冒険者の方なんですもの、強力な武器や防具ならいくらでも欲しいですわよね!?」
「なるほど」
じっくりと俺を観察したフィット父は、呆れたように息を吐いた。
「だとしたらお前に商人の才能はない。諦めろ」
「なっ!?」
父親からの予想外の言葉に、フィットは口をパクパクさせるだけで言葉が出てこない。そんな我が子を見てフィット父は僅かに首を左右に振った。
「商人の基本にして大事な事はなんだ?」
「……物を売る事、ですわ」
「そうだ。ならば、物を売るために最も重要な事はなんだ?」
「そ、それは……こ、断られても決してあきらめない忍耐力ですわ!」
「必要じゃないとは言わない。だが、それは最も重要な事ではない」
「で、では、最も重要な事とはなんなんですの!?」
「相手が欲しがるものを瞬時に見抜く力だ」
ぴしゃりと言い放つフィット父の迫力に、フィットがごくりとつばを飲み込む。
「細身だが服の上からでもわかる鍛えられた体、常に周囲を探るように動く瞳、店の中でも全くといっていいほど隙のない身のこなし……確かにお前の言う通り、この男は冒険者のようだ。それもかなり優秀の、な」
「そ、そうですのよ! わたくし、彼には一度救われておりますの! 夜盗に襲われていたところに颯爽と現れ、悪漢の手からわたくしを守ってくださいましたのよ!」
「……なに?」
「ひぃ!」
ぎろりと睨まれ、フィットが小さな悲鳴を上げた。なにやらプレッシャーが跳ね上がった気がする。
「お前……助けられたのに気づかないのか?」
「な、なななな、なにをですの?」
自分の父親の静かな声の中に感じる強烈な怒気を前に、フィットがブルブルと体を震わせる。
「お前が助けられた時、この男は何か武具を持っていたか?」
「へ? あ……そういえば……」
「はぁ……」
頭痛がするのか、フィット父は険しい表情で自分の目頭をぐっと指でつまんだ。
「つまり、お前は剣や盾を必要としない者に剣や盾を売ろうとしていたわけだ。それがどれだけ愚かな事か、半人前にすらなれていないお前でもわかるだろう?」
「うぅぅ……!」
冷たい声でそう言われ、目に涙を溜めるフィットだったが、反論する言葉が見つからないようだった。
「……お父様なんて大っ嫌いですのぉぉぉぉぉぉ!!」
店中に響き渡る大声でそう叫びながら、フィットは脱兎の如くこの場から走り去っていく。その後ろ姿を見ながらフィット父は再びため息を吐く。
「……うちの娘が世話になったようだな。生憎と今は忙しい身なもので、時間が出来たら改めて礼をさせていただこう。名前を伺ってもよろしいか?」
「レオン・ロックハートだ。とはいっても、礼には及ばねぇよ。あんたの娘さんから助けた分の謝礼はもらってるから」
「そうか。それならばいい」
そう言うと、フィット父はもうここには用はないと言わんばかりに踵を返した。少し迷ったが、俺は自分が気になった事を聞いてみることにした。
「なぁ……あんたはどうして俺が武器を使わない、ってわかったんだ?」
キビキビと歩き去ろうとしていたフィット父がぴたりと足を止め、肩越しにこちらへと視線を向けてきた。
「冒険者にとって武器は命だ。例え買い物の場ですら肌身離さず持っている。腕のいい冒険者であれば特にな」
「まぁ、そうだな。でも、お気に入りの武器が壊れたから新しい武器を買いに来たかもしれねぇぞ?」
「……重心だ」
「重心?」
「右か左か、はたまた前か後か。常日頃武器を持つ者がそれを失くせば、重心が微かにズレる。だが、貴殿にはそれがなかった。だから武具を必要としていない、そう判断したまでだ。……尤も必要ない、とは言ったが、使わないとは言っていないぞ? 貴殿が無意識にとっている間合いは、徒手空拳のものではないからな」
……あの短い時間でこんなにも見抜かれたのか。本物の商人の『眼』、凄すぎる。まるで歴戦の冒険者だ。
「恐れ入ったよ」
「商人であれば当然の嗜みだ。……その当たり前さえできないのが我が娘なのだがな。商人とは物を売ればいいと思っている。まったく……もう少し本質を見抜く目を養わなければ、例え利の出る商いを行えたとしても、いつかは痛い目を見るぞ」
その言葉は商人ではなく父親としてのもののように感じた。
「……無駄話が過ぎたな。用がなければこれで失礼させていただく」
「あぁ。忙しいのに時間を取らして悪かった」
「いやいや。ダメ娘を見に来たつもりが優秀な冒険者と知り合えたのは思わぬ僥倖だった。レオン・ロックハートだったな。用が出来たときは指名依頼をさせていただこう」
「その時はセレナって冒険者を指名してくれ。俺のパーティリーダーなんだ」
「ふむ、承知した。それでは」
懐中時計を取り出し、時間を確認すると、フィット父は足早に歩いて行った。やはり一代でクローズ商会をここまで育て上げた男は一味違う。オーラが半端なかったな。フィットと会った時はクローズ商会に不安すら覚えたが、その父親を見てこれからもクローズ商会を贔屓にしようと心の底から思えた。
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