第43話 レクサス・ギャラガー

 その声は決して大きなものではなかった。だが、ギルドの入り口に立つ背の高い坊主頭の男が発したものだとわかった瞬間、ギルド内が水を打ったように静まり返る。そんな事はお構いなしで、ショッキングピンクの服にド派手なファーを巻いたその男は、この場にいる全ての者の視線を浴びながらも平然とギルドの中を歩いていく。


「レクサス・ギャラガーだ……」


 冒険者の一人が呟いた。だが、その声に反応するものはいない。この町に住んでいればこの奇抜なファッションをした男の事を知らない者はいないからだ。


「……レクサス様がギルドにいらっしゃるなんて珍しいですね」

「あらー? そんな他人行儀な態度をとる事ないわよ、グロリア」

「今の私はブラスカの受付嬢です。立場上、そういうわけにもいきません」


 言葉自体は丁寧だが、グロリアの口調は軽いものだった。それだけでレクサスとそれなりの仲である事が伺える。


「今日はどのようなご用件でいらしたのですか?」

「うーん……アタシのかわい子ちゃんセンサーがびびっときちゃってねぇ。それで顔を出してみたんだけど……」


 そう言うと、レクサスは僅かに身をかがめ、セレナの顔を覗き込んだ。余りに至近距離から見つめられ、セレナが思わず仰け反る。


「あなた、お名前は?」

「え、あ、その……セ、セレナです」

「うふ♡ 名前まで可愛いわねぇ。食べちゃいたいくらい♡」

「あ、ありがとうございます……」


 引きつった笑みを浮かべながら、セレナが限界まで身を逸らした。そんな事はお構いなしで、レクサスはどんどん距離を詰めてくる。


「アタシはレクサス・ギャラガーよ。よろしくね♡」

「あ、はい……よろしくお願いします……」


 差し出された手をセレナは戸惑いながら握り返した。どうしたらいいのかわからず、さりげなくレオンの方へと視線を向けたが、レオンは極限まで気配を消し、なるべく関わり合いにならない様にしている。だが、その努力も虚しく、レクサスの視線はレオンの方へ向いた。


「それであなたは……」


 セレナから離れ、今度はレオンの近くに寄る。鉄仮面越しにも目が合わないよう、レオンは必死にそっぽを向いていた。


「うーん……」


 頬に手を添えながらしばらくレオンを見つめていたレクサスがおもむろに上段蹴りを放つ。寸でのところで防御したレオンであったが、勢いを殺す事は出来ず、そのまま吹き飛ばされていった。


「レクサス!?」

「レオンさん!!」

「…………え?」


 レクサスの突然の奇行に思わず素の呼び方が出てしまったグロリアだったが、同じく驚いたセレナの口から飛び出た名前に耳ざとく反応する。


「……さーて、不審者の化けの皮を剥いであげなきゃね♡」


 笑顔でそう言うと、レクサスはレオンが飛んでいった方向へと目にもとまらぬ速度で向かった。

 吹き飛ばされたレオンがドアを突き破り、飛び出したのはギルドの修練場。もちろん、レクサスは計算して蹴り飛ばしており、レオンもそれを理解していた。


「うわ! なんだなんだ!?」

「人が飛んできたぞ!?」


 修練場にいる冒険者達が騒ぎ立てる。だが、それに反応する余裕はレオンにはなかった。


「"威畏血須イージス十艘じっそう"!!」


 飛ばされながら即座に魔法を唱えると、突き出した手の前に十枚の紅い盾が現れる。その先には、いつの間にやら上に移動していたレクサスが右手に黒いオーラを纏わせていた。


「……十枚ね。これなら少し本気でいってもいいかしら?」


 笑いながらレクサスが右手を振り下ろす。レオンの盾とぶつかった瞬間、凄まじい衝撃波が巻き起こり、修練場の地面に無数の亀裂が走った。


「ふふ。八枚しか割れなかったわ。しっかり強くなってるじゃない」


 レクサスの拳に耐えながら鉄仮面の奥でレオンが顔を歪める。この口ぶり、完全に自分の正体に気が付いている事をレオンは察した。


『な、なんやなんや!? ごっつい魔力を感じて目が覚めたら、これどういう状況やねん!?』

「あら? あんたしゃべる指輪なんて持ってたかしら?」

「……悪いが、今はお前と会話する余裕なんてねぇ!」


 マルファスにそう怒鳴ると、レオンは身をひねりレクサスに蹴りを放った。当然のように防御されたがその反動で距離を取り、レオンが一気に魔力を高める。


「"血界けっかい"! "血化鉄ちかてつ双剣そうけん"!」

「うふ♡ やる気満々じゃない! アタシも滾りそうよ!」


 紅魔法で身体機能を上昇させつつ武器を作り出し、真正面から向かってくるレオンを見て、レクサスは獣じみた笑みを浮かべた。


「レオンさん……!!」


 遅れて修練場に入ったセレナが激しい戦いを見せる二人を見て思わず言葉を失う。レオンの動きは'血'のダンジョンでブラッドゴーレムと戦った時と遜色ない。にも拘らず、レクサスはそんなレオンと互角以上の動きをしていた。


「……あ! ヴィッツ! エブリイ!」


 呆然と二人の戦いを眺めているギャラリーの中に知っている顔を見つけたセレナが二人に駆け寄る。


「セレナさん!?」

「セレナの姉ちゃん!? って事はあの鉄仮面の男は師匠か!?」

「そうなんです! 二人に会いに冒険者ギルドへ来たのですが、なぜか急に二人が戦い始めて困ってるところです! 何とかなりませんか!?」

「なんとかって言われても……なぁ?」

「そうだね……あの戦いに横やり入れられる人は美の探究者ビューティフルワールドの人達でも無理なんじゃないかなぁ……?」


 エブリイが困り顔で言った。一方、ヴィッツはどこかわくわくした様子で二人の戦いを見ている。


「……そんなに心配する事ないわよ」


 ハラハラしながら見ていたセレナに、いつの間にかやって来ていた受付嬢のグロリアが肩をすくめながら言った。


「グロリアさん!? で、でも……!!」

「ほら、二人とも周りに被害が出ないように戦ってるでしょ? 問題ないわ」


 どこか楽し気にグロリアが笑う。確かに第三者が手を出せないほどの戦いを繰り広げている二人であったが、あくまで他者がいない範囲でぶつかり合っていた。


「最近運動不足だったからじゃれ合ってるだけよ。まぁ、熱くなりすぎて施設を壊しそうになったら流石に止めるから安心しなさい」

「は、はい……」


 グロリアにさらりと言われ、困惑しつつもセレナはその言葉を信じて二人の戦いを見守る事にする。


『おいおいおい! 押されとるでぇ主人あるじ!!』

「わかってんよ!!」


 乱暴に答えながら攻撃を仕掛けるレオン。気を抜けば一瞬で持っていかれる。それが分かってるからこそ、一分の隙も見せる事はできない。


「ちょっとぉ? 動きが悪くなってきてるわよぉ? 若いのにだらしないわねぇ」

「うっせぇ! 若さを話題に出すのは年寄りくせぇぞ!」

「おいゴラァ! アタシの前で歳の話をすんじゃねぇって何度も言ってんだろうが! こちとらアンチエイジングに命かけとんのじゃボケェ!!」

「最初に歳の話をしたのはそっちだろうがっ!!」


 レクサスの琴線に触れたのか、更に攻撃が激しくなった。作り出した紅武器は、繰り出されるレクサスの手足に当たるだけで悉く粉砕していく。


『まじでなんやねんこのオネエのおっさんは!? もんとちゃうんか!?』

「あぁ、紛うことなき化け物だよ!」

「人を化け物扱いするんじゃないわよ。まったく……そういう子にはお仕置きが必要ねぇ」


 レクサスが手のひらを地面に振り下ろした瞬間、見えない力がレオンを押しつぶした。常人では立っていられないほどの重圧に何とか耐えつつ、地面を転がり範囲外へと脱出する。その際に被っていた兜が外れ地面にめり込んだが、もはや無用の長物となっていた。


「おい、駄精霊! もっと血を使っても問題ねぇんだろうな!?」

『誰に物言うとんねん! 余裕や余裕! それこそ湯水の如く使つこうても、まったく問題あらへんわ!』

「ならもっと上げてくぞ!」


 勇者パーティをクビになり、最良のサポーターであったアリア・ダックワースがいなくなった事で、意識的に作り上げていた枷を外す。


「……いやねぇ。そんなにギラギラした目で見られたら体が火照ってきちゃうじゃない」


 獰猛な笑みを浮かべたレクサスのプレッシャーが跳ね上がった。緊張で額から汗が流れるのを感じながらレオンも笑う。流石は血の精霊だ、いくら血を消費しても全く脱力感を感じない。これならば紅武器の性能を一段階、二段階は上げられだろう。それに"血界けっかい"も更に上のステージへ――。


「――そこまでよ」


 そんな二人の間に巨大な斧が振り下ろされた。地面に突き刺さったその斧の上に、ギルド職員の制服を着た赤髪の美女がふわりと降り立つ。


「あなた達、修練場を破壊するつもり? それならギルドの看板受付嬢として黙っていないけど?」


 完全に戦闘モードに入った二人をぎろりと睨みつけながら、グロリア・プロウライトが静かな口調で言い放った。

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