第50話 束の間の日常
「本田さん!」
「おっさん!」
獅子戸さんと練くんの声が、同時に私を叩き起こした。
目を覚ますと、私は宿舎のふかふかベッドの上で、二人に覗き込まれている。
ちょっと待って。記憶がない。
ダンジョンから千葉本部へと戻った私たちは、一刻も早く眠りたいというのに、精密検査で採血されたり何やら計測されたり。
終わる頃には意識朦朧。泥のような体を引きずって自室に入ったまでは思い出したが……
「え? あ?」
なぜ二人がここに?
「返事がないのでマスターキーで入りました」
と、獅子戸さんが見せてくるカードキーで合点がいった。
でもまだ頭は起きてない。
練くんは顔をしかめている。
「十二時間も寝てんだから……、死んだかと思ったぜ」
サイドテーブルの時計を見たら、昼の十二時を指していた。
「すみません……、記憶が……」
「大丈夫ですか?」
と、二人の後ろから、さらに声が聞こえた。
富久澄さんだ。地念寺くんもいる。
氷結三班、勢揃いじゃないか。
いや、あと一人足りないけれど。
「と、とりあえず、お手洗いに……」
クラクラする頭を抱えて起き上がって、着替えさえしないで寝たことがバレた。
「無事も確認できましたので、失礼します。十五時から祝賀会ですよ」
と、獅子戸さんがみんなを外へ押し出してくれる。
祝賀会……
昨日、部屋に戻る直前にそんな言葉を聞いた……気がする。
しかし、私の体は再び布団と仲良くなってしまうのだった。
次に目を覚ましたら十四時を回っていた。
バキバキの体をなんとか持ち上げ、内風呂のシャワーを浴びる。
真新しい支給品の白Tに腕を通したとき、不安が頭をよぎって完全に目が覚めた。
祝賀会って、ジャージで大丈夫なんでしょうか……
それ以外だと、連れてこられた日に着ていた年季の入った安物のスーツしかないんですが……、ネクタイ必須かしら……
みんなはどうするのか聞いてみようと廊下に出たら、Tシャツの練くんと、チェックのネルシャツの地念寺くんが立ち話をしていた。二人とも下はデニムにスニーカーだ。
「よかったぁ」
「なにが?」と、すかさず練くん。
「祝賀会、その格好で行くよね?」
「これしかないですから……」と、地念寺くんは苦笑い。
「よかったぁ」
胸を撫で下ろす私に、練くんは「なんで?」と不思議そうな顔だ。
「祝賀会ってちゃんとした会なのかなって。男性はスーツにネクタイ、女性はイブニングドレスとか、ドレスコードあるのかなって思って」
私がオタオタ説明すると、練くんはニヤッと笑った。
「俺たちのためのパーティーじゃん。俺たちが服なんか気にすることなくね?」
「おおー」と、私と地念寺くんの口から感嘆の声が漏れた。
「さすがヒーロー」
「度胸が違いますね……」
「バカにしてんの?」
「いえ、素直に感動してます」
そこへ富久澄さんも合流した。チュニックワンピにスキニーパンツ姿だ。
サイドの髪の毛を編み込んでピンで止めている。祝賀会でおしゃれしたのだろうか。
「髪の毛、それ可愛いですね」
と、思わず口をついて出ると、富久澄さんは照れたのか髪を抑えた。
「え、気づいたんですか! ありがとうございます」
「いえいえ」
と、微笑みあっていたら、練くんは嫌な顔。
「セクハラじゃね?」
「いいよ、あたし、本当に嬉しかったもん」
「関係性ですよね。僕はたぶん言えないです」と、地念寺くん。
「え、え、あたし地念寺くんでも全然嬉しいよ」
「いえ、たとえただけで……。僕はそういう変化に気が付かないので、今後もそのイベントは起こらないです……」
地念寺くんの言葉に、私たちはみんなで吹き出した。
思えば、こんな〝普通の〟会話、久々な気がする。
祝賀会場はビュッフェとは別の、結婚式でもできてしまいそうな広々とした宴会場で、さすが元高級ホテルという装飾に、巨大な『第三氷結特殊班 祝賀会』と書かれた横断幕まで。
テーブル席には見知らぬ人たちが大勢座って談笑している。
廊下を歩いていたときの普段着モードが一変してしまう。
緊張してきた私たちに、耳慣れた獅子戸さんの声が飛んできた。
「みなさん、こっちです」
呼び込まれた席は横断幕の目の前。最前列だ。すぐそこにスポットライトを浴びているマイクまである。
獅子戸さんはパンツスーツスタイルのブラックフォーマルで、一気に大人っぽいというか、年相応というか。とにかくカッコいい!
「気軽な会なので安心してください」
「どこがだよ!」
と、練くん。やっぱり早い。
獅子戸さんはツッコミを放置して続けた。
「挨拶に呼ばれたら前に整列をお願いします。発言は私が。飲み物はここに置いてある分と、あちらのテーブルから自由に。食事も自分で取ってくる形だそうです」
「はい!」
四人とも思わず大きく返事をしてしまい、獅子戸さんの目が丸くなる。
「あはは、だめだ。たぶんしばらく抜けねーや」
「本当だね。染み付いちゃったね」
「反射でしたね」
「氷結三班、息ぴったり」
声を立てて笑うと、獅子戸さんも目を細めた。なんだかとても嬉しそうな表情に思える。
我々が着席するタイミングで最後の一団がぞろぞろと会場に到着して、司会役がマイクに向かった。
「お待たせいたしました」
と、軽い挨拶が始まる。
一団は千葉支部の事務方だったようで、富久澄さんの視線がそっちへ向いた。
「青木さんも同じテーブルでよかったのに……」
と、私が首を伸ばして探すと、獅子戸さんが教えてくれた。
「彼は探索後の事務処理があるので、今日は来ていませんよ」
それはびっくりだ。
「え、彼も頑張ってたのに」
と、声に出してしまうと、聞こえてしまった他のみんなも口々に同意してくれた。
「もう彼も氷結三班でいいじゃないですか!」
と、富久澄さんが抗議すると、練くんも賛成する。
「そうだよな。カメラ担当としても優秀だったし」
「もはや非能力者というわけではないようですし、考えられますね」
「……上にも掛け合ってみます。今回のことで、規定が変わるかもしれません」
地念寺くんにまで言われて、獅子戸さんは困惑しながらも嬉しそうに引き受けてくれた。
青木さん、大事をとって救急車で運ばれたという話だったが、一夜明けてもうお仕事なんて、結構ブラックな働き方してるんじゃないだろうか……
「それでは私の拙い挨拶はこのくらいにしまして、みなさま飲み物の準備はよろしいでしょうか」
と、司会が乾杯を促す。
「第三氷結特殊班の無事生還と活躍を祝って、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
私たちも声を揃え、お酒好きの富久澄さんは豪快にコップを空にした。
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