第66話 間違ってると思いますか?
「いいから、丸に戻して……」
練くんの苦しそうな声で我に返った地念ちゃんは、うっかり「すいません」を連呼しながら葉巻をカプセルに戻した。
慌てたので、それは水槽の幅いっぱいに大きくなってしまう。
耳元でミシッと音がした。
上から水もこぼれて、外は大騒ぎしている。
が、カプセルの中は、空間的な余裕を取り戻して平穏だ。
特に獅子戸さんは満足げだった。
「地念寺さん、素晴らしい成果です。この短時間で、凄いことです」
「い、いえ、まだ五人ですし、深さが……」
いつもの調子で謙遜というか、自己肯定感の低い彼に、獅子戸さんはいきなり表情を固くした。
「私が、あなたを凄いと言っているんです。私が間違っていると思いますか?」
まるで力技みたいな褒め言葉だ。
だが、効果は絶大だったようだ。
「いいえ。ありがとうございます。きっと成功させます」
そう答えた地念ちゃんの顔つきは、明らかに変わっていた。もちろん、良い方に。
ほんの少し小さくなったカプセルが、ゆっくり浮上していく。
ところが水槽からあがるなり、地念寺くんだけが白衣の人たちに囲まれ、どこかへ連れて行かれてしまう。
あまりにもスムーズで無駄のない動きに、私たちは呆気に取られて見送ってしまった。
獅子戸さんが小走りで追いかけながら、肩越しに指示を飛ばしてきた。
「夕食まで部屋で待て」
仕方なく、私たちは独房に帰ることになった。
ところで夕食の時間って?
汗をかいたのでシャワーを浴びたいとも思ったのだが、その時間に部屋を空けているのも悪いかと思って、一時間ほどぼんやり待っていてしまった。
すると、スマホに獅子戸さんから連絡が。
簡潔に食堂の場所と利用時間が書かれている。
「本田さん、見た?」
と、練くんが声をかけてくれて、富久澄さんも部屋から顔を出し、三人で連れ立って夕食へと向かう。
年季の入った社食という感じの場所だった。長机に椅子がずらっと並んでいて、まばらに人が座っている。
メニューは和食か洋食かカレー。食器は全てアイボリーのプラスチック。
「なんか、食欲失せる」と、練くん。
「こないだまでが良過ぎたんだよ」
私はヘラヘラと笑いながら周囲を見渡した。
すると、一際キョロキョロとして目立つ人物が入ってきたと思ったら、地念寺くんだった。
「よかったー、地念ちゃん、戻ってこれて」
私が大袈裟に隣に呼び込むと、げっそりした本人より早く、斜め向かいの富久澄さんに諭された。
「戻ってこれるに決まってるじゃないですか、いじめようってわけじゃないんですから」
「ですよねー」
私ってば、ちょっと組織に疑問が出ちゃって、棘のある言い方だったかもしれない。気をつけましょう。
なんとなくアウェイ感がして、私たちは隅っこに固まった。
「すごく、疲れました……」
着席するなり地念ちゃんが肩を落とす。
練くんが味噌汁をすすりながら聞いた。
「何してきたの?」
「身体検査とか、血を抜かれたり……もう一回試験場に連れて行かれて、なにか機械で計測してました……」
「うわ、本当にお疲れ様……」
私は自然と地念ちゃんの背をさすっていた。
そのとき、大声で話す中年男性が宿堂に入ってきた。若者二人を引き連れて、廊下からずっと話し続けている。
「うそ……!」
と、小さく声を上げたのは富久澄さんだった。
立ち上がりそうになって、慌てて身を低くしている。
「配信班だよ……!」
そう言われて、もう一度視線をやる。
大声の主は、体格のいい日焼けした中年男性だ。
「こんな狭いところだと思わなかった。こんなところでトレーニングして、ベストのパフォーマンス出せると思う?」
と、隣に意見を求めている。
たぶん私と同年代。寒くないのかハイブランドのハーフパンツに白Tで、どデカい腕時計が光る。
「いま話してるのが、ブレーンの
と、富久澄さんがこそこそ解説してくれた。
「ねー、どうっスかねぇ」
結城さんのすぐ後ろをニコニコとついて歩くのは、高身長だがはっきり少年だとわかるほど幼い顔をした男の子だった。
中分けツーブロックでピアスが光ってるし、ヒラヒラした服を重ね着したラフなスタイルだ。
「ヤンチャそうなのが大地くん。もともと人気ダンス動画配信者だったんだけど、念動力を使った撮影担当だからあんまり映らないんだ。十八才なんだって」
「若……」
危険な任務にそんな若い子をあてるとは……
「その後ろでスマホいじってるのが
動画で見たときは快活そうな青年だったが、今はダウナーな雰囲気がする。
目元が隠れるふわふわの髪の毛はアッシュグレーで、服もおしゃれでキマってる。しかし耳にはワイヤレスイヤホンが入っているし、スマホから目を離さないし、我関せずという様子だ。
「ちっ」
と、正面の練くんから舌打ちが聞こえた気がした。
琉夏くんと知り合いなのかな。
「やば……挨拶してこようかな。正式な対面まで待つべきかな」
と、富久澄さんはファンとしての下心からモジモジしている。
気付いたからには声をかけるのが礼儀、社会人的常識かもしれないが、挨拶の文言は「はじめまして、動画配信バトルで戦う氷結三班です」で、いいのか?
などと思っていたら、なぜか向こうに気づかれた。
「本田さん! 本田さんでしょ!」
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