第65話 あ、落ちる

 覚醒した地念ちゃんは、早速カプセルで自分を包んでみることにした。

 そこに不安はないようだ。


 さっとメガネを外して「お願いします」と渡してくるので、すぐ隣にいた私が「はい」と手を出す。


 次の瞬間には、彼はプールに落ちていた。


「え!」

「地念寺!」

「きゃあ!」

「ちねんちゃん!?」


 全員が慌てて一歩前へ、手すりにしがみついた。

 私なんて慌てすぎて、水槽への通路へ踏み込み、あと少しで転落しそうだった。


「あ、大丈夫です。すみません、集中していて……」


 彼は濡れることなく、半分水中に沈んだカプセルの中に立っていた。


「びっくりしたぁ」


 ほっと胸を撫で下ろした私は、ふと、正面の壁にガラスがはまっているのに気がついた。千葉と同じで、マジックミラーなのだろう。


 実験動物になったようで、やはりいい気はしない。


 地念ちゃんはカプセルの中で、ぶつぶつ言いながら試行錯誤していた。

 最初こそふらついていたけれど、いつの間にか姿勢を安定させて、今は水底を見つめている。


「なんだか、早く終わりそうですね」

と、獅子戸さんに振ってみると、彼女も嬉しそうに頷いた。

「上が指定した二週間のリミットなんて、多過ぎたかもしれません」


 しばらくして、地念ちゃんが水槽からシームレスに上陸してきた。


「人数増やしてみたいのですが、濡れても大丈夫ですか?」


 みんな思わず自分の服を見下ろした。全員、支給品の黒ジャージだ。構うものか。


 しかし我々が乗り気になったところで、言い出した本人が「あれ?」と首を傾げた。


「でもここでカプセルに入ったら、どうやって水槽に落とせば……、一人だったら、タイミングみて包めたんですけど……」


「あ、じゃあ、氷でスロープ作る?」

 私の提案に、練くんが嫌な顔をした。

「カプセルに入ったまま? スロープを? 転がるのはヤバくない?」


「なんか楽しそう」

と、富久澄さんは喜んだ。

「おっきいバルーンでプールの上を歩くのやったことあるよ!」

「いや……でも僕ら、沈みたいので……」


 地念ちゃんのボソッとしたツッコミがおかしくて笑ってしまったが、こんなはしゃいだ感じで大丈夫だろうか。


 ふざけていると叱られるかと思ったら、獅子戸さんも笑っていた。


「とにかくやってみろ。タオルは用意しておくから」


 濡れるの前提なんですね……


「じゃあ、カプセルができたら、その底を徐々に押し上げます」

「こわ……」


 高いというだけで、練くんは震えて、仕方なく私の腕に掴まった。富久澄さんも背中に手を当ててくれている。

 水槽の縁、ぎりぎりに固まって立つ。


 すると、急に周りの音が聞こえにくくなった。

 少し暖かい気もする。


「あ、これ、入った?」

「はい。できました」


「じゃあ」と言って、私は足元に吹雪を集め始めた。


 傾斜のついた氷の台座が現れて、ぐらりと揺れる。

 ジャージの袖が破けそうなほど、練くんの指に力が入った。


「あ、わ!」


 バランスを崩しそうになる私を、青ざめた練くんと富久澄さんが支えてくれる。

 気がつけば、腰のあたりに水面があった。


「か、回転しなかったね」

「はい。ので」


「いやいや、なんなく言ってるけど凄いよ」

「でも……まだ沈むのがわからなくて……」


 うーん、目標が高い。


 富久澄さんが辺りを見回しながら言った。

「一人の時より沈んでると思うから、やっぱり、重さかな?」


「そうなんでしょうか……」

「獅子戸さんも入れてみようぜ」

 悪いことを思いついた練くんが、息を吹き返した顔になる。


 それから、ほんのちょっとの沈黙。


「ところで、どうやって上陸する?」


 たぶんみんな同じ疑問を持ったのだろう。

 私が聞くと、地念ちゃんは全員の顔を見て、「重くて持ち上げられません」と呟いた。


「水面凍らせて、上から出ようか」

「はい」


 そこで気がついたのだが、下の方がずいぶん騒がしい。

 見下ろせば、階下に人が増えていた。写真を撮ったり、何か書いたり忙しそうにしている。


 やはり見世物のようだ。

 気分悪いなぁ。


「わかりました、協力します」

と、獅子戸さんが進み出た。


 再チャレンジだ。


 五人でカプセルに入る。

 さっきより安定しているようで、地念ちゃんの集中力の高さを感じる。


「やっぱりさっきより沈んだね」

「球体が良くないのかもしれないです……なんかこう、葉巻みたいな形に……」


 地念ちゃんがそう言いながら手をこねると、空間が狭くなってみんなの肩がぶつかった。


 その時だ。


「あ、落ちる……」


 地念ちゃんのつぶやきを最後に、私たちは一気に落下した。


「ぎゃあ!」


 叫び声を水面に残して水槽の底だ。


 カプセルは宣言どおり葉巻のように形を変えて、垂直に立っていた。


 私は練くんを抱えたまま上下が逆さま。背中に抱き合った獅子戸さんと富久澄さんの足が当たっている。


 狭い。そして重い。

 しかし、自分を一番下にした自分を褒めてあげたい!


「みなさん、大丈夫ですか……」


 地念ちゃんの不安げな声に視線を上げると、彼は縦長の空間の上部に浮いていた。この状況でさらに自分を浮遊させられるなんて、すごい。


 彼の向こうには、水面がきらめいている。


「すご……きれい……」

「なんとか、できたみたいです」


 地念ちゃんが、珍しくへらっと口元を緩めた。


 

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