第64話 原理がわからないです

「長期滞在を意識してないよね。それか、独房なのかな」


 私が「ははは」と笑うと、練くんはため息をひとつ。


「やっぱり自分の部屋に荷物置いてくるわ」

と、出て行こうとする。


 富久澄さんは入り口の電気をパチパチといじっていた。

「なんか、つけても暗い電気だね。全部屋そうなのかな」


 地念ちゃんは唇を噛んだ。

「ぼ、ぼ僕が、す、習得できるまで、ながくかかるだけ、ここにいるんですよね……すみま……がんばります」


 いかん、傷口に塩を塗りこんでしまった。


「だ、大丈夫だよー」

と、根拠なくフォローしようとした時だ。


 太陽が現れた。


「みなさん揃ってますか?」

と、廊下から獅子戸さんの声。


「はい! ここに全員」


 四人で飛び出すと、獅子戸さんはちょっと驚いた様子だったが、すぐに顔を戻した。


「地念寺さんと私は水槽での訓練に向かいます。三人は待機していてください。すみません。まだ場所が整わなくて……」


 いろいろと急に決まったということがうかがえて、こう言っては失礼だが、獅子戸さんがかわいそうになる。


「あの、みんなで応援に行ってもいいですか?」


 私の提案に彼女は面食らったようだったが、

「え、ええ。そうですね。そうしましょう」

と、すぐに賛同してくれた。


 不吉な独房でやることもない。練くんも富久澄さんも頷いてくれた。


 みんなでいれば地念ちゃんの緊張も少しは和らぐだろうかと思ったが、どうなるだろうか……


 エレベーターでさらに地下に降り、曲がりくねった長い廊下を抜け、後付け丸出しの扉をくぐり、急な階段を降りて……


 体温が下がった気がして、ダンジョンに入ったと気がついた。

 さらに細い通路が続き、また扉。


「ここです」

と、獅子戸さんがそれを開ける。


 目の前に、水槽の縁があった。


 まるで水族館の餌やり体験だ。

 なみなみと水をたたえた円柱状の水槽に、天井から垂れ下がったホースや、様々な計器が取り付けられている。


 一歩踏み入れると、床は奥行き九十センチほどの金属の板だった。建築現場の足場みたいで、ちょっと下が見える。高所恐怖症の練くんが、息を呑んで壁に背をつけた。


「これで、本当に確かめられるでしょうか……」


 地念ちゃんの、地を這うような声。


 頼りない手すりを掴んで下を覗き込んだが、さすがに四十メートルはなさそうだ。せいぜい十メートルくらいか。それでも十分な深さだけれど。


 下のフロアにも係員の姿が見えた。皆さん水槽の足元の機械を眺めている。


「あの、布団は……?」

と、地念ちゃん。


 もちろん、こんなところで寝ようってわけじゃない。

 テスト用に、筒状に丸めた布団を用意してほしいと彼は要求を出していたのだ。


 獅子戸さんが頬を赤らめた。


「布団は用意できませんでした。というか、『は? 布団?』と言われてしまい、用途を説明したところ……」


 そう言って移動させた視線の先に衝突試験で使うようなダミー人形があった。


「なるほど……布団とか言って失礼しました」

「ランクアップしてよかったね!」

と、物事の良い面に目を向けようとしたが、地念ちゃんは違った。


「ふふふ……布団なら潰れてもよかったけど……人形だとリアルですよね……」

と、変な笑みが漏れている。


 まずは通路でダミー人形をカプセルに入れる。


「これは大丈夫そうだね」

 臆せずもう一度微笑みかけたが、地念ちゃんの顔はさらに〝地獄〟って感じ。


 それを水槽へスライドさせて、どぼん。

 ぷかぷかと浮いた透明なカプセルの中で、人形が転がっている。


「沈む?」

 練くんが後ろから声をかけるが、地念ちゃんは固まっていた。

「ちょっと……、原理がわからないです」


「石でも詰めるか?」と、練くん。

「ダイビングってどうやって沈むの?」と、私。

「え……? 重りをつけたような……。あ、エアータンクが二十キロくらいあったよ!」


 富久澄さんの解説に、私も練くんも驚いた。


「え、そんなに重いのかよ?!」


 などと私達が後ろでごちゃごちゃ言ってる間にカプセルが弾けた。


「あ……」

と、地念寺くんの失意の声。


 沈んでいく人形。


「ああ、一人で行ってしまった……」


 そのセリフがおかしくて、私たちは一斉に吹いてしまった。

 地念ちゃんも片頬で笑っている。


 そしてなにかを思いついたようだ。


 しばらく黙って水槽を見つめていたかと思ったら、パッと顎を持ち上げた。


「……自分が入って、試してみます」


 その横顔がすごく格好良くて、私は「おお」と声を漏らした。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る