第63話 いつもこんな感じ?

「安心してください」

と、青木さんは自信がありそうに言い出した。

「海底とか言ってますけど、実際ダンジョンの入口は水深四十メートルくらいの場所にあるんです」


 にこにこと、安心材料を提供できたつもりになっているようだ。


「……だ、だとしても」

と、地念ちゃんは言葉が続かない。


 見かねた獅子戸さんが説明してくれた。

「ちゃんとプールでの練習期間もあります。急に明日本番で、海に放り込まれるわけじゃありませんよ」

「よ、よかった……」


 息を吐く地念ちゃんの隣から、富久澄さんが「あの……」と挙手をした。

「四十メートルなら、スキューバダイビングでいけると思うんですが」


 視線が集まると、彼女は付け足した。


「以前、旅行でスキューバ体験した時に調べたんです」

「そうなんですか。……知りませんでした」

 獅子戸さんは、また困った様子を見せた。


 もしかしてこれは、〝氷結三班はカプセルで潜る〟という指示が、理由もなく出てしまったのだろう。


 これ以上ここで揉めても、中間管理職の獅子戸さんを困らせるだけで何にもならない。社会ってそういうものだ。


 私は思い切って言ってみた。

「挑戦してみて、どうにも無理なら、みんなで上に掛け合いましょうよ! ストでもして!」

「すと?」


 助け舟を出したはずの私の発言は、練くんの疑問符で暗礁に乗り上げた。


「そうですね……」

と、同意する地念ちゃんの顔色もまだ悪い。


「では、十二時に迎えが来ます」

と、当の本人である獅子戸さんもばっさり次の話へ移動する。

「皆さんはその車で、巨大プールのある施設まで移動してください。訓練期間は最長で二週間です。ここへ戻るかは分かりませんので、荷物は全て持ってください」


 そうでした。

 私たちの働き方は、根無草のようなもの。

 鞄一つでどこにでも行かなくてはならない。


 女性は荷物が多いので大変なのではないかと思ったが、ロビーにやってきた富久澄さんはリュックとショルダーバッグという軽装で、己の偏見を顧みた。不慣れな私のスポーツバッグはパンパンだ。


 迎えを待つ間、すでに地念ちゃんは滝のような脂汗をかいて震えている。


「まずそんな大きなカプセルが作れるのか、中のを潰さずにいられるのか……沈められるのか、水圧に耐えられるのか、くく、空気は、酸素はもつのか……ああ……ま、まずは物で、物で試させてください、布団とか……」


「うんうん、獅子戸さんに連絡しておこう。大丈夫だよ」

と背中をさすったら、めちゃくちゃ熱い。相当発汗している。


 これは大変だ。


「あ、そういえば、会社の歓迎会に行くって言ってたじゃない。あれさー」

と、気を紛らわそうと、先日の、会社での祝賀会の笑い話などを披露するも、彼の笑いは乾燥したまま。


 練くんも富久澄さんも相槌を入れて笑ってくれているが、ついに地念ちゃんの硬直は溶けることなく迎えの黒塗りワゴンは到着し、乗り込んだ私たちはどこかへと連れて行かれてしまうのだった。


 いったい、どこへ……?

 逃げられないぞ、ということなのでしょうか……


「南……かな?」


 スモークガラス越しに太陽を感じているのか、富久澄さんがつぶやいた。


 停車が、一時的なものではないと感じるや、スライドドアが開けられた。


 待ち構えていたのは気弱そうなスーツ姿の青年で、

「こちらです」

と、挨拶もなく降ろされる。


 見回すまでもなく、地下駐車場、という風景だ。


 案内されるまま、荷物を抱えてついていく。


「移動って、いつもこんな感じ?」

 こっそり富久澄さんに尋ねると、「だいたいこんなもん」との返答。

 ひー、忙しない。


 前をいく練くんは慣れっこな様子だ。

 地念ちゃんも、あんな指示さえなければもうちょっとマシな顔でついていくのだろう。


 獅子戸さんからは「訓練施設です」としか伝えられていなかったのだが、そこは研究所か工場の一部のような内観だった。


 千葉本部が農協だったみたいに、ここも以前は別の用途の建物だったのだろう。そして、どこかでダンジョンに繋がっていて、能力が発動できる『試験場』があるはずだ。


 狭い廊下は窓もなく、なんだか息苦しい。


「大学の研究棟を思い出します」

と、やっと地念寺くんが口を開いた。懐かしい風景に安心感を得たのだろうか。


 よかったね、と声をかけようとしたが、案内役のスーツの男性が、そこでやおら振り返った。


「ここは地下一階で、宿泊所があります。間取りは全て同じなので、好きなところを使ってください」

「ここ、ですか?」


 思わず繰り返してしまった。

 確かに廊下の右手にはずらりとドアが並んでいるけれど。


 練くんが手近な一つを開けるので、私も後ろから覗き込む。

 すると、質素なベッドとロッカーのみの三畳間だった。


「シャワーとトイレは共同で、女性が右、男性が左の突き当たりです」


 説明の最中で廊下の突き当たりの蛍光灯がジジ……と点滅する。


 え、結構年季入ってる?


 四人ともが不安な顔を並べているが、スーツの彼は無情にも、

「係の者が来るまで部屋で待機してください」

と残して、足早に去っていってしまった。


 全員、唖然。

 昨日までのリゾートホテルが懐かしい……


「ここまですごいところは、今までもなかったです……」


 チーム最多の移動歴を持つ地念寺くんも立ち尽くしているが、チーム最長歴の練くんも呆然としている。


「なんか、お化けでも出そう……」


 富久澄さんの何気ない一言に、私たちは身震いした。


「あ、私、この部屋にしようと思うんだけど、みんな、お茶でも飲んでく……?」


 お茶なんかないんだけど、三人とも口々に「そうだね」「そうしよっかな」と、入ってきた。


 最後の一人が入り口を跨ぐと、ドアが勝手にギィィィ……と不吉な音を立てて、パタンと閉まった。


 

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