第36話 氷の覗き穴

 ちょっと待ってくれよ。

 いま、ドラゴンが出たって聞こえたぜ?


 いやいやいや。

 ドラゴン種は初心者ダンジョンには出ないのだ。これははっきり決まっている。

 なぜなら逆説的に、ドラゴン種が出ないダンジョンを「初心者用」と定めているのだ。だってすごく強いから。

 そうマニュアルに書いてあった。


〈アイスドラゴンが出没。負傷者あり、救助隊、全員退避〉


「退避……」

 私は耳から入った音をそのまま繰り返していた。

 続きはもっと悲惨だった。


〈D7エリア大破〉


「大破ってなんですか!」

 青木さんの叫声が響く。目は落ち窪み、ぶるぶると震えている。相当弱っているようだ。


「大丈夫です。深呼吸して」

と、落ち着かせようとする獅子戸さんを、彼は振り払う。


「大丈夫なわけ! ないじゃないですか! 僕は一般人ですよ! まともな人間がこんなところにいたらどうなるか、あんたたちわかってないでしょ!」


 え、なんかすごく怖い……

 やばい人だったの?


 そのとき、一陣の風が吹いた。


「青木さん! もうやめて!」

 富久澄さんが、ガバッと青木さんに抱きついたのだ。


 腰を浮かせていた青木さんが、もろとも後ろに倒れ込む。


「あぶなっ……!」

と、間一髪、地念寺くんの見えない手が、二人をソフトに着地させた。


 しかし彼らはそんなことお構いなしのだ。

「もう大丈夫だから……、あたしがついてるから……! 正気に戻って!」

 富久澄さんが泣きながら訴えると、眩い光が互いを包む。


「あれ……ここの、ちゃん……?」

「青木さん!」

「僕は、いったい……」

「ダンジョンのせいだよ。長くいすぎたんだね……」


 富久澄さんはすっかり顔色を取り戻した青木さんの頭を撫でた。


「私があなたを守るから。安心して?」

「ここのちゃん……ありがとう……」


 私が思わずメロドラマに見入ってしまっているうちに、他の三人は機材を抱えて進路の相談を始めていた。


「上は大破と言っていましたが、一度確認に戻る価値はあると思います」

「ドラゴンがいるかもよ」

「見つかってもこの細道なら、逃げ切れるのでは……」

「じゃあ、俺が行ってくる。元気だし」

「塞ぎ直す必要があるかもしれませんから、本田さんを連れて行ってください」


 あ、私の名前が出た。


「はーい、上に行くんですか?」


 返事をしたら、三人とも一斉に私を振り返った。


「聞こえてたんですか」と、獅子戸さん。

「はい。私、耳ざといんです」

「さすが猛禽類……」

「地念ちゃん、やめて!」

「ちゃん付けで呼ぶとかキモい」と、練くん。

「僕は平気なのでオッケーです」と、地念ちゃん。

「なんでもいいから偵察してきてください……」


 最後は獅子戸さんにカメラを渡され、私は練くんと岩登りをすることになった。

 狭い道なので、二人とも分厚く邪魔な上着は置いていくことにした。

 降りるよりキツい。


「なあ、『もうきんるい』ってなに?」


 気を紛らわそうとしてくれているのか、前を行く練くんが聞いてきた。

 カメラの収音機能はオフにしてあるので、気兼ねなく話せる。


「いやー、私の目つきが厳しい時があるって言われて」

「それが……、もーきんるい?」


 私は質問と答えが噛み合ってないと気がついた。


「あ、えっと、猛禽って肉食の大型の鳥のことで、タカとかワシとか」

「へー……」


「鋭い目つきのこと『鷹の目』って言うのよ、それで」

「……俺、勉強できないから、知らないこと多いんだよね」


「こんなの雑学の部類だと思うよ、知らなくても、そんなに……」

「いいよそういうの。気ぃ使われんのやだ」


 私は「うーん」と唸ってしまった。


「地念寺って絶対頭いいよね……」

「うん、でも、ごめん……、おじさん、雑学はあっても、話しながら登れない……」


 練くんは盛大に吹き出した。静かにしなきゃいけないから必死に堪えている。


 岩場を登り切ると、数時間前に道を塞いだ私の氷は、まだそこにあった。

 たっぷりと厚みを持って、ピカピカしている。


 私は息が切れて座り込んだが、練くんは余裕の表情でカメラを用意していた。


「そ、外、み、見える?」

「溶かさないと無理かも」

「小さく、小さい穴でお願いします。大きく開けるの怖いし」

「……やってみる」


 練くんはカメラを私に押し付けて氷と向き合った。

 そして人差し指をピタッと氷に当てると、銃を撃つみたいに炎を発射したのだ。


 かっこいー。

 私もそういうのやりたーい。

 岩登りでへばって、座ったままカメラ扱ってるうちは絶対無理だろうけど。


 外を覗く後ろ姿をバッチリ撮影していたら、モニターの中の練くんが「やべ……」と飛び退く。

 私も慌てて身を起こした。


「なに?」

「いた……」


 小さく短いやりとりの間に交代して、氷壁の前に立つ。

 練くんが作った穴は、五百円玉ほどの大きさがあった。


 カメラでの撮影はあとにして、そっと覗き込む。


 角度がきついが左上を確認すれば、ゴブリンたちがいた例の広場が見えた。


 まだ私の落とした氷山が、形を崩しながらも鎮座している——……

 と思ったら、それは氷の塊ではなかった。


 瞬時に脳が反応する。

 そりゃそうだろう。だってあの氷塊は、地面にぶつかってゴシャゴシャの粉々になったのだから。


 氷の塊が、のそっ……と動いた。

 首が、ある。


「アイス……ドラゴン……」


 

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