第37話 ドラゴンの通せんぼ

 アイスドラゴンはその名のとおり、全身の鱗が青白く、氷でできているようだった。

 いかにも寒々とした体を、貫禄を見せつけるかのようにゆったりと動かし、奴は悠々と座り位置を変えた。


 あいつの冷気で『馬鹿氷』が少しも溶けずにいる……というわけか。


「あれ倒せって言われたら、イケる?」

 外を撮影しながら、背中越しに冗談半分で聞いてみると、練くんは顔をしかめた。


「いやだよ。死にたくない」

「だよね……。いままでドラゴンに会ったことって……」

「ない」


 実践経験が豊富といわれる練くんだが、ドラゴンだけは例外のようだ。


「ドレイクってデカいトカゲなら何度か倒したけど、ドラゴンは四年やってて初めて見た」

「四年も? ほとんど初期メンバーじゃない」


 しかもそのとき彼は……、十九歳だ。


「目撃情報はあっても、倒したって話はまだ聞いたことない」

「私たちの手には負えないね……」


 私は練くんにカメラを返した。

 画像を確認した彼はニヤニヤしている。


「あんまりうまく撮れてないね」

「むずかった……」


 甥っ子がいたらこんな感じだろうか。ちょっと生意気だけど、可愛いものだ。


 遠目からとはいえアイスドラゴンという怪物を目の当たりにして、しかも救助隊が退散したという絶体絶命的な状況だというのに、私は軽口を楽しんでいた。


 これが余裕、だろうか。

 いいことなの、かな。

 少なくとも、悪いようには思えない。


「戻ろうぜ」


 二度目となる下降でも相変わらずひーひー言って戻ると、到着しざまに歯に衣着せぬ獅子戸さんからひとこと。


「映像、イマイチでしたが本部にも確認していただきました」


 ひい! イマイチ!

 相変わらずは獅子戸さんも。

 率直なところは練くんといい勝負。


〈本部が緊急会議で、こちらと連絡途絶えました〉

と、コメントが読み上げられる。


 私たちの配信を常時視聴してコメントしているのは技術者とシステム開発者であって、〝本部〟ではない。


〈やばいです〉

〈がんばって〉

〈隠れてて〉


 コメントさんたちは一所懸命励ましてくれているが、現場はむしろ落ち着いていた。

 さっきの練くんとの軽口といい、「私たちなら、なんとかできる」という漠然とした自信がある感じだ。


 これがってことだろうか。


 どの顔を見ても平然と……、あ、青木さんだけはやっぱりちょっと青白い。


「はい、獅子戸です……」

と、彼女が耳のインカムを片手で押さえた。本部の指示が直接届いたのだ。私たちに「静かに」と合図する。


「はい、はい……わかりました。逐一報告します」

 獅子戸さんの顔が見る見る厳しくなる。


 よくない話なのだ。


 通信を終えるなり、彼女は我々をぐるりと見て言った。


「アイスドラゴンを倒す手立てがすぐには見つからないので、他の道を探すよう指示されました」


 複数のため息が漏れる。

「火炎系のやつ集められなかったのか?」

と、練くんは参加の意志を瞳に宿らせているが、獅子戸さんは首を振った。


「他の出口を探せと、それだけです」


 彼女の立場では上層部に意見などできないだろう。

 わかる。


 契約社員からの中途採用社員だった私の意見なんて、「次長にそれとなく伝えておいたら、部長の機嫌がいい時に通るかもしれない」くらいのものだった。

 すぐ隣の総務部広報室は、派遣の女性まで対等に和気藹々としていたのに……


 上下が厳しい場所では、〝意見〟なんて生意気なだけだ。


 練くんも、もちろん理解しているので、すぐに切り替えた。

「別の出口って?」


 今はこのチームで、指示の範囲内で、最善を尽くすしかない。

 私は自然とアームカバーに手を伸ばしていた。


「ここって、地図でいうとどの辺りなんですか?」

「この道は未発見の場所です。地図はありません」

「え……?」


 獅子戸さんの返答に、自分の冷気からではない寒気が走った。

 それは……初心者には難易度高すぎじゃないですか?


 獅子戸さんは続けざまに、足元に置いていた自身のリュックから何か取り出した。

 折り畳まれた、複数枚の紙……、地図だ。


 練くんが『狐火』で頭上から照らす中、彼女はそれらを繰って、目的の一枚を探し出す。


 大きく広げたそれには、『千葉中央2』と書かれていた。


 私たちは紙を濡れた地面から守るため、誰からともなくその下に手を差し込んだ。


「こんな大きな地図も持ってらっしゃったんですね」

「もしものために常備していました」


 彼女のリュックには他にも〝もしも〟グッズが入っていそうだった。改めて見ると私たちのものより膨らんでいる。


「ここがD7エリアの断崖です。下降した距離と方向を考えると、現在地はこの辺りですね」

と、ペンで印をつける。


 これが『地図作成班』で身につけた技術か。

 ただの紙なのに、獅子戸さんには平面が立体になって見えているのだ。


「ここは、他地域のダンジョンと比べて狭く単純ではありますが、実は、出入り口は二つあるんです」


 獅子戸さんは地図上を指でなぞった。


「出入りのしにくい川辺の二番口は塞いでいて、見張りは常駐していますが、普段は使っていません」


 そこは、紙の上では、ここから東に少し行った場所だった。


「二番出口付近も制圧済みですが、道は複雑に枝分かれしていますので、あの裂け目のように見落としたルートがあって、どこかが繋がっている可能性もあります」


 私はダンジョン内外の位置関係を頭の中で思い浮かべた。

 二番出口とやらは、もしかして宿舎に近いのでは?


「あちらの道が、東へ伸びているようです」

と、獅子戸さんは地図から目を上げて左を向いた。 


 進むしかない。


 獅子戸さんは、今度はピッケルを取り出して、岩肌に印を刻もうと試みた。しかし硬くて難航する。


「ちょっと下がっていてください」

と、ヘッドピックを壁へ垂直に当てる。


パンッ!!


 火花が散って、岩に矢尻のような焦げ跡がついた。


 この先、こうして迷わないように印をつけて進んでいくのだと心得た。

 なぜならここは、地図にない場所だから。


〈すごい!〉

「すごい!」


 コメントと被ったのがなんだか気恥ずかしくて、私は「お見事!」と、言葉を変えて獅子戸さんを称えた。


「力技ですが、成功してよかったです」


〈あんな印の付け方、初めて見た〉

〈俺も。ああいう方法もあったのか〉

〈盲点つかれた感じ〉


「ゴブリンへの電撃の応用です」と、獅子戸さんは珍しくコメントに応える格好で解説した。「あれも……咄嗟の判断でしたが、効果があってよかったです」


「効果があったどころじゃないですよ」

と、私が感動を口にすると、地念寺くんも同意してくれた。

「よく使ってる技なのかと思いました」


「そうじゃなくても、万が一の隠し球とか」と、神鏑木くん。

「隠し球って、また古い言葉知ってるね」

という私の軽口に、彼が「うるせぇよ」と返してくる。


「とにかく、あれ、かっこよかったです」

 地念寺くんがそうまとめると、獅子戸さんは照れ隠しに複雑な顔になった。


「そ、そうですか。それはどうも。……さあ、行きますよ!」


 地図にない場所。

 多少の不安を抱えながらも、このチームならできると信じて、私たちは休憩ポイントを後にした。


 

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