第57話 なんか気味が悪いな

 地念寺くんと別れた私は、その足で自宅であるマンションへ向かった。

 都内のワンルームだ。


 約二週間ぶりの帰宅になった。

 と、そう思ったのと、玄関の鍵を開けたのと、「あ、ゴミそのままだった」と思い出したのは、ほぼ同時だった。


 まさか部屋の中に異臭が漂いまくってハエがたかって大変なことに……とはなっていなかったが、静まり返った冷たい部屋は、まるで他人のもののようだった。


 普段から小綺麗にしててよかった、


 と思ったら、冷蔵庫の中身はほぼ全滅。野菜とか。そうですよね。出発がめちゃくちゃ急だったものね。


 出勤時に閉めていたカーテンを開ける。

 まだ日はある。


 腕まくりして、掃除開始だ。

 誰も暮らしていなかったというのにけっこう埃は溜まっている。いったいどこからやってくるのか。


 部屋に干しっぱなしだった洗濯物を取り込んで、汚れ物を洗い、その間に床と冷蔵庫の中と、水回りの掃除。全部終わる頃には夜になっていた。


 近所のラーメン屋で適当な夕飯を取るのも久しぶりだ。

 ずっと栄養管理されているのだけれど、今日くらいはいいだろう。


 戻ってきたら、マンションの入り口で同じ階の住人さん、五十がらみの奥さんとばったり。

「ああ、どうもー」

「こんばんはー」

 なんて、いつも通りの朗らかな挨拶。


 あれ?

 これは……

 動画見てない?

 いや、見ていたとして、あのおじさんがこのおじさんだと気づいてない?

 それとも気がつかないフリ?


 まぁ、そんなもんですかね、世間なんて。


 でもそれなら、明日会社で祝賀会なんかやってもらっても、社員の多くは「誰?」って思っちゃわない?


 私はため息をついた。

 そんなこと考えてもしょうがない。

 せっかくの好意を無碍むげに断れないし、もう出席するって言っちゃったし。数時間ほど我慢すれば終わること。


 そんなことより明日といえば、ちょうど燃えるゴミの日だから、部屋中のゴミをかき集めて出して、また清潔にして出発しないと。


 ……大家さんか管理会社にも挨拶しておくべき?


 そんなことをぐるぐる考えていたら、眠れなくなってしまった。


(……静かだな)


 契約社員から正社員へ登用されたばかりの人間が暮らせる都内のマンションの規模なんて、高が知れている。窓だって気密性がそれほど高いわけじゃない。

 外を走る車の音、酔っ払いの騒ぎ声、自転車のブレーキ音。

 音はたくさんしているのに、千葉の宿泊施設よりもがらんとして思える。


 こんな歳にもなって、初めて、私は一人暮らしが寂しいと感じていた。




 翌日。

 時間通りに訪れた〝祝賀会〟なのだが、やたらな歓迎具合だった。


 会場は「大会議室」と聞いていたが、今回のそれは、社長以下役員が参加する会議でしか使わない「七階大会議室」のことで、暖色系の照明とふかふかの絨毯が敷かれた別世界。


 壁沿いに並べられた会議机には、豪華なお寿司やローストビーフ、サンドイッチもパンの大きいやつが並んでいて、ソフトドリンクが数種類に、しれっと日本酒の瓶もある。


 総務部長が司会進行する中、役員たちが次々私を褒めちぎる演説。


 で、その間、ずっと正面の大画面テレビに例のリーク動画が流れ続けている!


 ミュートされてるけど、恥ずかしすぎる!


 いったいなんでこんなこと……

 削除されたんじゃなかったの?


 これがデジタルタトゥーってやつなのか……


 社員たちは仕事の合間に時間を見つけて次々やって来た。管理本部、建築本部、土木本部、営業本部、地方支店の人までいる。


 私はマイクの近くの席に立ちっぱなしで、見たことも聞いたこともない人たちに「すごいですね」「かっこよかったです!」などと賞賛され、記念撮影を要求された。


「ああー、はいー、ありがとございますぅ」


 ヘラヘラウハウハしていたのは最初の数分。

 私の気持ちは、あっという間に萎えていった。


 なんか……気味が悪いな……


 大して知りもしないおじさんと、寄ってたかって写真を撮って、何の意味があるのだろう。有名人を見かけると握手したくなる心理だろうか。


 私にはその素養がないので、二時間と言われていた会が、なんとかで終わらないかな、などと考えてしまっていた。


 もちろん笑顔は絶やさなかったけど、管理本部長がウキウキと、

「二次会どうする?」

と、聞いてきた時は、

「すみません、任務がありますので」

と気軽に断った。


 会議室を出るまでは名残惜しそうにしていた部長や次長も、エレベーターホールまで着いてくることはなく、再び室内の盛り上がりの中に吸い込まれていく。


 何が入っているのかわからない贈答品の紙袋と巨大な花束を抱えて会社を出て、オートマティックに最寄駅までたどり着いたとき、私には虚無感しか残っていなかった。


 高級なお寿司も食べそこね、腹も心も空虚だった。


「私も、実家いえに帰ろうかな……」


 思わずつぶやいて、乗車電車を変更することにした。


 

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