第112話 これで終わり?

「どうもー」と、箱を胸にへらへらと頭を下げると、「おっさん、こっち」と、店の奥から聞き馴染んだ声。


 奥の座敷から手招きされる。

 相変わらずの練くんの隣には、髪と無精髭が伸び放題の地念ちゃんが座っていた。体型が少し丸くなったような気がして、それはよかったなと思う。


 卓の上にはすでに豪華な食事が並んでいて、その中央におあつらえ向きの隙間が空けてあった。


「本田さん、ここ」


 男子二人の向かいに座っていた獅子戸が隣に呼んでくださる。

 お使いがあったとはいえ最後になるとは。すっかり遅くなってしまった。

 私は白い箱を卓の中央に置いて、おしぼりで手を拭いた。


心希ここのちゃん、もういいよ、楽しんで」

「ありがとうございます!」


 五十がらみの女将さんが富久澄さんにそう言うと、彼女は嬉しそうにエプロンを外して座敷にやってきた。

 ご縁があってバイトさせてもらっている、とは聞いていたが、ずいぶん親しそうだ。


 だいたい、営業中にケーキを持ち込んで誕生日パーティーをしていいなんて特別待遇もいいところじゃないか。


「おまたせしましたー。わー、ほんっとうに、みんな久しぶり。今日はありがとう」


 富久澄さんの笑顔で場の空気が一気に華やぐ。

 歌うわけにはいかないが、みんな彼女の誕生日を祝う気持ちでいっぱいだった。


 、私たちはなんとなく連絡を取らないでいた。

 接触を禁止されてはいなかったが、私は尻込みしてしまっていた。連絡したところで何を話せばいいのだろう、実は盗聴とかされていたらどうしよう、とか。


 富久澄さんが『氷結三班』のグループチャットに連絡をくれたのも、誕生日という口実があるのだからと、この店のご夫婦が背中を押してくれて、やっとだったそうだ。


 私たちは解散から今日までのことは近況報告しあったが、それ以前については、ほとんど話さなかった。なにせ、他の客の耳もある。


 練くんは大学に通い、地念ちゃんは研究室に閉じこもり、私と富久澄さんは〝充電中〟だ。


 獅子戸さんは……本人が話そうとしないので、誰も尋ねなかった。


 ひと盛り上がりが落ち着いた会話の隙間に、テレビの音が割り込んできた。店の出入り口の近くに、小型の液晶があった。このジングルは、夕方の報道番組だ。


『続いてはこちら。ダンジョン開発競争についてです』

『突然の〝ダンジョン解放宣言〟。いったい何が起こったのか、順に見ていきましょう。まずはこちら、地下迷宮対策部の配信バトルが行われた際に公開された映像です』


 テレビに向かって座っていた練くんが視線を上げたので、私もなんとなくつられて振り返った。


 飽きるほど見せられた映像が流れている。


 声は優衣さんのものだ。

 彼女が持ったカメラが写すのは、黒いモヤと十数個の赤い発光物だけ。とても傀儡の大蜘蛛には見えないが、何かモンスターらしきものだということは誰もが理解できる。


『そうだよ。私たちの世界はこの牢獄という小さな点で重なっているに過ぎない』


 あのとき、私たちは完全に優衣さんを見失っていた。彼女の救助を諦めたわけではなかったが、多分全員が、心のどこかで覚悟を決めていたと思う。それに、最終決戦はギリギリの攻防で、誰一人、彼女を探す余裕を持っていなかった。それは、仕方がないと思う。


 しかし彼女は、多分私たちが迷路を走り回っている間に大蜘蛛に接触して、を試みていたのだ。


『じゃあ、私達は命をかけて戦う必要ないってこと?』

『小さきものよ、私たちはここから出られない。あんたたちもここへ来ない。それで終わりにしようじゃないか』


 大蜘蛛の声は、私たちが聞いたものとは違っていた。歪なエフェクトがかけられているようだが、男性のもの……、たぶん結城さんの声だ。


 どういう意図かはわからないが、大蜘蛛は結城さんを操り、声を借りたようだ。しかしそのおかげで、奴の話を記録することができた。


 前回の千葉ダンジョンでリークされた、我々がこんな目に遭うきっかけになったあの配信に、氷の女王アッシャの声は収録されていなかった。


 人間の機材では、ダンジョン内のモンスターの声は録音できないのだろう。


『これで終わり?』と、優衣さんが声を荒らげる。『逃げるなんて卑怯よ。本当のことを全部話しなさい! これは私の大スクープなんだから!』

『まったくうるさい。たちの悪足掻きかね……』


 大蜘蛛は煩わしいという様子で呟いて、一瞬黙った。

 どうやら赤い人魂たちが話し合っているようだ。


 私はテレビに再び背を向けた。

 初めてニュース映像で見たその日から、夢にまで出るシーンが続く。


『……そうか、それはいい。いらっしゃい』

『え? ちょっと、なに?!』


 床に落ちるカメラ。

 空中に浮かぶ優衣さんの足。

 それが、暗闇に飲み込まれて消える……


 富久澄さんと地念ちゃんは俯き、練くんは画面を睨んでいる。獅子戸さんは……表情が読めない。


 コメンテーターなどという肩書きの人たちの、無責任な考えが飛び交う。


『これは、いわゆる〝動画配信班〟という広告代理店が制作したPR用の動画だという話なんですよね』


『はい。この動画がリアルタイムで公開されたときには、我々は非常に驚かされたわけなんですけれども、配信の二時間後には、〝CGを駆使して、あらかじ制作しておいた、作り物だ〟という発表があったわけですね』


『ずいぶんお騒がせですよね。だってこれ、日本中どころか、世界中の人が同時に見ていたわけでしょ? ちょっと信じられませんよね』


『そうなんですよね。全世界が、世界初のダンジョン攻略リアルタイム配信ということで、かなり期待していたわけなんですけれど、それも全部、まぁ、ヤラセと申しますか、作り物だった、という発表がありまして』



『そのあたりを詳しくまとめました。CMのあと、次のコーナーで紹介します』


 

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