第74話 スタンドアローンなんて

「荷物の点検は済みましたか?」

と、獅子戸さんが確認の声をあげながら入ってきた。

 彼女も誰かに何か言われたのだろうか。その表情にネガティブなものは見られないけれど……


 と思ったら、端にいた地念ちゃんの顔色がまた最悪だ。


「ふ、ふふふ……、僕が失敗したら全員死亡……、僕が失敗したら全員ぺっちゃんこ……」


 だめだ。

 なんか声をかける隙もない。

 どんだけプレッシャーをかけられたんだ。きっとあの、撮影係の大地って人が何か言ったんだろうけど。


 先に出発する配信班は、スポーツウェアの上からダイビング用のドライスーツを着込んでいる。

 一対一でインストラクターがついているようだ。


 スタート前から嫌な気持ちにさせられたことを除けば、向こうだっていきなりダイビングなんて大変そうである。

 が、ちょっと楽しそうな気も……


 ダイビングかぁ、やってみたいなぁ……


 ついついチラチラ見ていて、「あれ?」と疑問が浮かんで今度は凝視してしまう。


「どうしました?」

と、獅子戸さんに気づかれた。


「いえ、さすがに広報映像を撮りながらダンジョン攻略をしている方々なだけあって、チームに指導官とか、政府関連の方がいないんだなーと思いまして。スタンドアローンなんて、すごいですね……」


「……ええ、そうですね」


 素直に吐露した私に対する獅子戸さんの返事は、なんだか含みのあるものだった。


 けれども、一瞬生じた違和感はすぐ泡のように消えていった。

 今はそれどころではない。


 彼らを乗せたボートが戻ってくる間に、荷物をまとめて準備を整えなければならない。


 程なくして我々の番になる。

 ボートへは専用のスロープを使って乗り移るわけだが、それがまた揺れるは狭いは、落ちるんじゃないかとヒヤヒヤだ。

 補助に入ってくれたお兄さんたちの逞しさに大変助けられての乗り換えだった。

 こんなところ、もしも配信されたら格好悪くてたまったもんじゃない。


 機材担当の青木さんは、まだカメラに手をかけていなかった。

 前回ダンジョン内であんな目にあったというのに、すっかり気持ちを切り替えてきたのか、むしろ期待の眼差しで加わっている。心強いと同時に、組織で働く苦労を勝手に心配してしまったり。


 それよりも、地念ちゃんの顔色が全然戻っていない方が心配だけど。


「やはり、本番は緊張しますね……」

「だよね……。でも入り口はすぐそこだし、地念ちゃんなら大丈夫!」

と、言ってから、獅子戸さんの言葉を思い出した。

「って、信じてる私たちを信じて」

「がんばります……」


 私の言葉じゃちょっと弱いかなー。

 などと思っている間に、体温が下がるのを感じた。

 ダンジョンの範囲内に入ったのだ。


 それとほぼ同時に、ボートのエンジンが切られる。

「これ以上は近づけません。どうですか? 行けそうですか?」


 船員さんに声をかけられ、地念ちゃんが弾かれたように立ち上がった。

「は、はい!」


 彼の緊張が我々にも伝染する。


 だが、

「地念寺、気合い入れろ」

という獅子戸さんの叱咤激励に、地念ちゃんの顔が引き締まった。


 まずは何かあった時のために、一緒に潜ってくれるダイバーさんたちが入水していく。

 彼らは食料なども運び込んでくれるのだ。


 私たちは船の端に集まった。

 傾かないかなと、ちょっと不安になったが杞憂だった。


「いきます」


 地念ちゃんの声と同時に、一瞬にして周囲の音が遮断される。


 波も、風も、消えた。


「すごい……」


 初体験の青木さんの声に振り返ると、彼は撮影を開始していた。


 ということは、あの人数が、見てる……


「おっさん、スロープ」

「あ、はい!」


 平常心だ!

 いつもどおりに!


 ゆっくりとスロープを作り上げる。

 徐々に傾斜がキツくなり、我々を包んだカプセルが海の上に落ちた。


「みなさん座ってください。天井が低くなります」


 水の中を自在に移動するため、カプセルは『葉巻』に形を変える。


 しゃがみながら練くんが、船上に残ったスロープを溶かしてくれた。

 細やかな心遣い。

 彼も周囲のことを考えられるようになったのだ。


 船上で彼自身が語った〝変化〟の意味を感じた。

 すごい成長。

 なんて偉そうなこと言えるほど、私もできた人間じゃないですが……


 先導してくれるダイバーの後を追って、『葉巻』はなんともスムーズに、美しい海の中を進んで行った。


 透きとおる、全方向の青。 

 私たちの下を、魚が横切っていった。


 静かで美しくて、自分がなぜここにいるのかも忘れそうになる……


「これ、またお願いしていいですか?」

と、青木さんが富久澄さんにタブレットを差し出した。


「はい、大丈夫です」

 配信バトルに懐疑的になっていたが、彼女は大人らしく、タブレットを微笑んで受け取った。


 チラッと見える、青木さんのカメラが配信している映像。

 視聴者数。

 流れては消える大量のコメント。


 ぐらっと、めまい。


「あ、見えた」

 練くんの声に、私は意識を取り戻した。


 眼前に、富士山のような山。

 沖ノ鳥島の、海中の姿だ。


 その横っ腹に、巨大な穴が空いている。

 入り口の横でライトを振って私たちを呼ぶダイバーさんたち。


「海底……ダンジョン……」


 ため息のような青木さんの声が、最後尾から響いた。


 

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