第2話 退職にならなくて済んだけど死ぬの?

 簡素な衝立の裏側で、渡された用紙に氏名や住所を記入すると、次はホチキス留めされたA4用紙で今後の流れや注意事項の説明がなされた。


「今は驚かれているでしょうし、あとでまた落ち着いたら読んでください。書類はすべて封筒に入れますね。この後メールでも追ってご連絡しますので」


 そんなようなことを告げられて大会議室を後にしたのだが、あまりに現実離れしていて、気がついたら封筒片手にぼんやりエレベーターの中で夢心地だった。


 それでも日常業務は山積みなので、自席に戻ったらパソコンのスリープ状態を解除して、メールチェック、社内掲示板チェック、不在着信チェック……


 と、普通に仕事をしているつもりでも、どこかフワフワしていて身が入らない。同僚からの好奇の視線も感じる。


 そんな折、部長から「本田くん、ちょっと」と呼びつけられた。


 ちょっとちょっとと手招きされるまま、フロアの端にある本部長室に足を踏み入れる。途端に待ち構えていた本部長に「本田くん!」と満面の笑みで迎え入れられた。


 デスク前の簡易的な応接セットへ促され、部長と並んで腰を下ろすと、本部長は前置き抜きに本題に入った。


「君にとっては大変なことになっただろうけど、我が社から能力者を送り出せるのは名誉だよ。本当にありがとう」


「いえ、本部長、そんな……」


 中途入社してから数回しか言葉を交わしたことがない堅物そうな五十がらみの上司を前に、私は軽くテンパった。


 本部長は広い額を汗で光らせながら続ける。


「この五年、私たちもダンジョン関連の事業をいくつか受注はしているがね、こんな形で携わることができるだなんて。さっき社長と部長とで、防衛省の方々とお話しして、これは仕事なんてさせていられないということになってね」


 本人不在のところで何か決まったようだ。嫌な予感しかしない。


「大概の人は退職させられてしまうらしいんだけど、ぜひとも在籍資格だけは無くさないでほしいと思って、長期休暇ということで話が着いたから。安心しなさい」

「あ、ありがとうございます!」


 しっかり頭を下げたが、私は雷に打たれたような衝撃を受けていた。


 放っておけば退職扱いになっていたということか。

 これはウカウカしていられない。情報のアンテナを広げておかなければ、いつ身一つで冷たい世間に放り出されるとも限らない。


 今回は本部長、そして社長や会社の温情……というか社内外の政治的な力学によって最悪の事態を回避できたが、よしんばモンスター退治で一旗揚げたとて、戻ってみたら無職では老後の暮らしはどうなるのか。


 というか、保険や社会保障的なアレコレとかってどうなってるんだ?


 急にあの封筒の存在を思い出した。自席に戻って中身を熟読したい。何かが本決まりになる前に、条件をもう一度確認したい。


 本部長は自身の講じた策に酔っているのか、礼を述べた私の顔を満足気に見て「うん、うん」と何度も頷いている。


「そうだ、こんな機会も滅多にないから、帰りに一杯どうかな? え、本田くんも飲みニケーション反対派な世代だっけ?」

「いや、はあ、そういうわけではありませんが」


 本部長は肩を弾ませてその場に同席していた部長や、総務の次長や古株社員を「ちゃん」付けで呼んで、彼らも誘うと言い出した。


 一人でじっくり書類を見たかったのだが、在籍資格を融通してもらっておいて上席の誘い断るのも可愛げがない。


 いくら個人主義、実力社会で、人間関係よりも仕事内容を評価する時代になりつつあるといわれても、結局世の中は人間が回しているのであって、世渡りというのは年齢の上下を問わず愛嬌あってなんぼだろう。


 どこが好かれるポイントなのかは相手次第だが、元手無料のニコニコで融通が効くようになるのなら、これほどコスパのいいことはない。


 そういう信条で生きている私にとって、断る会ではなかった。


 ちょっと一杯が二軒目、三軒目になり……気がつけば朝。私はベッドで大の字で、確認すべき書類は封筒に入ったままだった。


 しかも出社するなり防衛省から直々に、「急で申し訳ないがすぐに訓練施設へ来てほしい。迎えを送るのでどこにいるか?」という連絡を受けてしまい、その上それをどこから聞きつけたのか、はなからそうするつもりだったのか、朝礼の最後に勤務フロアで同僚たちにぐるりと囲まれてしまったのだ。


 部長が一歩前に出て、感極まった様子で言う。

「本田くん、おめでとう!」


 続いて新卒の女性社員が大きな花束を抱えて前へ。

「本田さん、おめでとうございます! これ、総務部のみんなからです」


 さっと差し出されてうっかり受け取ると、それが合図だったかのように割れんばかりの拍手と祝辞、激励。


「頑張ってください!」

「応援してますよ!」

「お仕事お疲れ様でした!」


 そうなると、何か浮かれてきて満面の笑顔になってしまう。


 私は頭を下げていた。

「ありがとうございます。皆さんの期待を裏切らないよう、精一杯頑張ります!」


「いいぞ! 本田!」

「よ! 日本男児!」


 こういう昔ながらのノリは建設会社ならではかもしれない。中には涙ぐんでいる人もいる。


 しかしいったい私は何を頑張ればいいのか。


 フロア全員に見送られるというか半ば押し出されるようにじわじわエレベーターホールへ移動していく。全員ということは、経理部と財務部と企画開発部のエリート様たちも含まれる。恥辱プレイもいいとこだ。


 最後の最後まで大きな拍手と「本田! 本田!」のコールで扉が閉まる。


 静まり返ったエレベーターの小さな箱の中。深々と下げていた姿勢を戻し、一階ずつ下降するポン……ポン……という機械音を聞きながら、ふと頭をよぎったことが口から漏れた。


「あ……、私、もしかして死ぬと思われてる?」


 

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