第110話 凍てつく闇よ

 もちろんこれで終わりじゃない。崩れないように補強し続け、なおかつ、ダンジョンから脱出するために上に持ち上げる必要がある。


 できれば上層階は持ち堪えてほしい。じゃないと海に出なくちゃならない。そのときは、沖ノ鳥島を粉砕することになる……


 余計な心配が頭をよぎるが、深呼吸して忘れよう。


 私の役目は降り注ぐ岩からみんなを守ること。なるべく上層階へ移動すること。海に出るなら、その時は地念ちゃんと交代するだけだ。


 周囲の様子を確認するためにも、私はかまくらに入るわけにはいかなかった。


 相談ベースで獅子戸さんに伝えていたら、きっと反対されただろう。


 大丈夫。きっとなんとかなる。

 そう信じるしかない。


 いまは『かまくら』のことだけを考えろ。


 十分に空間はとったから狭いとか苦しいとか、窒息なんてことはない、はず……


 いや、練くんをはじめ火炎魔法使いが三人もいる。獅子戸さんや地念ちゃんの頭脳もある。富久澄さんに青木さんも。


 絶対に大丈夫。


 私は確信を持って、自分とみんなを信じている。だから自分のやるべきことに集中できる。

 誰かを心の底から信じられるというのは幸福なことなのかもしれない。

 私にはいままで、そんな経験はなかった。


 そのとき、かまくらの上に岩が落ちてきた。


「危な!」


 岩の横っ腹に氷塊をぶつけて弾き飛ばし、続けざまに氷の層を厚くしていく。


 自分の防御のためにも常時周囲に吹雪を走らせ続けた方がよさそうだ。

 足場にしていた壁が崩れ、私は再び飛翔することにした。


 けっこう疲れる……


 もう『かまくら』なんかじゃなくて、ダンジョン全部を凍らせてしまえ!

 それくらいの根性みせろ! 本田唯人! 今やらないでいつやるってんだ!


 ごうごうと唸る吹雪が、崩壊するダンジョンの音を全て飲み込んでいく。


 なんだか、胸の奥が冷たくなっていく感じがする。

 とても静かで、何もかもがよく見える。

 氷の女王と戦っていた時のように、どんどん頭が冴えていく。


 一息吐いたら、世界が止まって見えた。

 真っ白で美しくて、キラキラと輝いている。


 全ての氷がどんな姿をしているか把握できる。手に取るようにわかるのだ。分厚い氷のドームの中、八人は無事に周囲の警戒をし続けているのもわかる。


「凍てつく闇よ……」


 私が氷の杖をかざすと、崩壊の揺れとは明らかに違う地鳴りが起こった。


「私に応えろ」


 力を込めると、みんなを包んだ氷のシェルターがゆっくりと隆起しはじめた。下から氷で押し上げ、表層へ連れて行くのだ。


 私はシェルターの上に着地した。

 上から降ってくる岩も、無意識に吹雪が押しのけてくれる。

 少しも怖くない。


 ダンジョン中に冷気が行き渡り、崩壊をコントロールできている。

 しかし急いではダメだ。海に突き出してしまったらおしまいだ。


 ゆっくりと道を開き、上へ、上へ……

 そのことだけに集中する。


 足元の洞窟はほとんど崩落し、潰れてしまったようだ。


 フリューズがこちらへ飛んでくるのを感じる……


 もうすぐ、最上部だ……

 潮のにおいが……


 そこまで理解できているのに、私はその場に倒れてしまった。

 意識はあるが、指の一本も動かせない。


 あ、今度は暖かくなっていく……

 これは……終わる……




「……さん! おっさん!」

 ああ、呼ばれている……。


 この感じ。

 練くんに叩き起こされるの、これで何度目だ。


「気がついた!」

 富久澄さんの顔が滲んで見えた。


「本田さん!」

 獅子戸さんの声だ。


 私は大の字に寝転んだまま口を開いた。

「あ……、みなさん、無事で……」


「そりゃこっちのセリフだろ!」と、練くん。

「心拍が遅すぎて引きました……」

と、青ざめる地念ちゃんに被せるように、犀井頭さんまでが、

「本田さんが一番無事じゃないです!」

と、ツッコミを入れてくる。


 一気に喋られて頭がグラグラする。


「待って……そんなに、元気じゃ……」


 助け起こされて座り込んだら、それ以上は動けなかった。

 周囲は岩肌で、まだダンジョンの中だ。突き抜けなくてよかったと、どっと安堵する。


 肩や背をさすられ、みんなが「よかった」とか「バカじゃん」とかいろいろ言っている。


 ところが私は、それらを遠くに感じていた。

 意識がまだ、氷に囚われている。


 だから、地下空間を飛び回っていたフリューズが、もうすぐここへやってくるという、ある種テレパシーのような感覚の方が鋭く機能していたのだ。


「おかえり……」

 私がそう囁くのとほぼ同時に、彼は地面を割って現れた。


 私に群がっていたみんなは驚いて後退りしたが、それが味方のアイスドラゴンだとわかるや警戒を解いた。


主人あるじよ、ご無事で。牢獄を逃げ惑うものがなかなか捕まえられず、難儀しました。しかしこれで全部です」


 フリューズの鼻先で背中を押されて歩み出たのは、まさかの結城さんだった。

 大きな怪我はしていないようで、私はホッと息を吐いた。が、気が収まらない人たちもいる。


「てめぇ、どこ行ってたんだよ!」

 叫んだのは琉夏ルカくんだ。


「急に走り出したから、心配してたのに!」

 犀井頭さんも声を荒げる。


「いい年した大人が、信じらんないっスね」

 大地くんは容赦無くその姿をカメラに納めた。


 やめて差し上げてー……


 結城さんは大きな目を剥くようにして、オーバーな手つきで釈明を始めた。


「し、しかたなかったんだ! 気がついたら骸骨だらけで、みんな逃げ惑ってたじゃないか! 他にどうしようもなかったんだ」


「……え、結城さん。骸骨兵と戦ってる時には、もう意識があったんですか?」

 間近で彼を守っていたはずの青木さんがそんな疑問を投げかけた。


 骸骨兵との死闘の間は狸寝入りして、隙を見て一人で逃げ出したということか……


 これ以上不穏な空気になるのは避けないと。

 私は口を挟みにいった。


「あの、何があったのかは分かりませんが、とにかく全員無事でよかったです……」


 すると今度は私が獅子戸さんから叱責を受ける番になった。と言っても、心配されて。


「本田さん、あんな勝手な真似は許しません」

「すみませんでした。失敗したら全員生き埋めでしたし、まったくもって申し訳ないです……」


 素直に頭を下げて正面に戻すと、揺れる瞳と目があって、彼女はそれを乱暴に袖で拭き取った。


「二度としないでください」


 上擦った鼻声に、私まで涙が滲んできた。


「さて」と、フリューズが割って入る。「私はここまでです」


 こうべを垂れて別れを告げるドラゴンに、みんなもつられて会釈する。

 なんて日本人的な瞬間……


 しかし続く彼の言葉は信じがたいものだった。 

「魔王はこちらの世界にも這い出ようとしております。今後とも、お気をつけて……」

「え?」


 聞き返そうにも、そこでドラゴンはすうっと姿を消してしまった。

 ここはもう、向こうの世界との繋がりが薄いのだろう。


 遠くから救助隊の声が聞こえてきた。


 

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