第1章 休まらない休暇へ
第52話 寝たら全部忘れそう
コ、コン……、コンコン……
遠慮がちなリズムのノック音が私を呼んだ。
祝賀会の後、自室に戻ってしんみりしてしまった私は、大浴場で気分転換しようと考えているところだった。
スコープを確認すれば、なんと富久澄さんだ。
「ど、どうしたの?」
私は急いでドアを開けた。
所在なさげに立っていた彼女は、隙間から体を滑り込ませてくる。
「いえ、あの、ちょっと」
と、奥の方へ。
このまま出入り口へ突っ立ってるわけにもいかないので、私はストッパーを踏んでドアを薄く開けた状態で、部屋の中へ戻った。一応ね、うら若き女性と二人きりっていうのはね。チームメイトだし。
「どうしたんですか?」
酔っ払ってるのかな、と思ったけれど、目つきはしっかりしているようだ。とはいえ、酒豪の状態ってわからない。彼女、どのくらい飲んでたっけ?
「すみません。来るつもりはなかったんですけど、でも……」
「なにか、心配事とか?」
こんな頼りなげなおじさんとはいえ、正面に立ったら威圧感があるかなと思い、かといってベッドに座るのもよくないから、私は椅子に腰をおろしてみた。
富久澄さんは、正面のベッドに浅く腰掛ける。
「実は明日、私だけ本部で検査を受けることになってるんです」
「え、そうなの?」
初耳だった。
というか、疲れすぎていて覚えてないだけかもしれないけど。なんせ意識朦朧でベッドにダイブして十二時間眠りっぱなしなほど疲れていたのだから。
記憶の糸を手繰り寄せれば、精密検査の後、獅子戸さんが駆け抜けながら全員に周知していた気がする。
『しっかりしてください。特別休暇が降りました。これが終わったら、一週間お休みですよ!』
そうだ!
一週間お休みだ!
それなのに、富久澄さんだけ検査。しかも本部ってことは、東京へ行くということか。
「それって、『絶対防壁』のことで?」
「はい……」
と、富久澄さんはうなだれた。
休暇が減って残念……ってことではなさそうだ。
酒と疲れで回らない頭を駆使して、慰めの言葉を探していると、突如として私の視界が真っ暗になった。
全身にかかる重みと……、柔らかさ。
「本田さん……、私……私……!」
えええええ、なにこの展開!?
私は椅子に座っているので、彼女が上から覆い被さってきているのだ。両手の自由は効くが、身動き取れない。
「本田さん、私、すごく、不安なんです……。不安で、不安で、もうどうしていいかわからなくて、こんなこと話せるの、本田さんしかいない気がして……!」
うわーお!
切羽詰まった彼女の声色。セリフ。そしてこのシチュエーション。
しかしこの状況に流されてしまうほど、私はもう子供ではなかった。色恋とは縁遠くとも、長い人生、酸いも甘いも味がなくなるほど噛み分けてきた。そして最近受けたばかりのコンプラ研修も脳裏をよぎる。
「富久澄さん」
と、私は冷静な声で名前を呼び、自由になる両手でなんとか彼女の二の腕を押した。
「お水、飲みますか?」
多少おちゃらけた声色で提案すると、彼女はハッとなって、途端にモジモジしはじめた。
「あ、私」
「いえいえ、いいんです。不安なの、よくわかりますから」
「すみません。こんなこと……。私、どうかしてました」
ペットボトルを差し出すが、体を捻って逃げようとする。
「富久澄さん、聞いてください」
と、私は彼女の腕を取っていた。このまま帰られる方が気まずい。
「私はあなたのこと、尊敬してます」
いきなりの言葉に、彼女の動きが止まった。
そりゃ驚いただろう。驚かせたくていったのだ。足を止めさせるために。
でも嘘じゃない。本心だ。
「富久澄さんの回復魔法には、何度も救われました。私だけじゃありません。みんな感謝してると思います。最初は、『優しいだけの女の子』かと思ってしまっていましたが、誰よりも芯が強くて、仲間思いで、いざってときにはっきりと意見を言ってくれて、すごいなって思います」
彼女は半身を捻ったままだが、黙って聞いてくれていた。
「ダンジョンにいたとき、コメント欄であなたの噂を耳にしてしまいましたが、気にしてません。これまでの人生、みんな色々な事情があるでしょうし……。それに、まるで姪っ子か娘みたいな気がして……、というか、私に娘がいたら、富久澄さんみたいならいいな、と思ってます」
冗談めかして言うと、富久澄さんがこっちを向いてくれた。
その目が潤んでいる。
「一人だけ検査なんて、不安だと思いますけど、富久澄さんならいけますよ! 大丈夫です! あんな大変なダンジョンを攻略したんですよ。応援してます。あ、もしできるなら、私でよければ付き添いますよ。父兄参観みたいな感じで」
富久澄さんは「ふふ」と笑ってくれた。
「ありがとうございます。大丈夫です。獅子戸さんがついてきてくれるので」
「そうですか。頑張って……って言うのは違うかもしれませんが……」
「はい。頑張ってきます!」
改めてペットボトルを渡すと、彼女は受け取りながらもバツが悪そうに私の顔色を窺ってきた。
「あの、私、酔っ払ってて……」
「私もです! たぶん寝たら全部忘れそう」
密約完了。
我々の間には何もありませんでした!
帰り際、ドアストッパーに気づいた彼女が、最後にちらっと私を振り返った。
「本田さんが本当のお父さんだったらよかったのにな……」
ああ、そっか……
家族間で、なにかあるんだな。
それで、ついつい身近な男性に頼らないといられないのかもしれない。
あまり詮索してはいけないし、勝手な想像もよろしくないけれど、本当の彼女に触れたような気がした。
明日、彼女は獅子戸さんと本部へ行くのか……
ってことは、獅子戸さんも休暇が減るってことじゃないか。
あの人、ちゃんとした休みってあるのかしら。
祝賀会で、氷結班の長やら作戦本部長やら支部長やらに挨拶する、バリッとした彼女の姿を思い出す。あんなカッチリして、全然疲れた様子を見せないけど……、絶対誰よりも気を張ってたはずだ。
ついでにダンジョン内で、次々指示を出す勇ましい姿とか、リュックに色々お役立ちグッズを入れてくれてたことや、コンパスで地図を作るところ、鎖を掴んで電撃を放つところ……、出会ったときの、あのぶっきらぼうな挨拶……
あははは。
いかんいかん。
私、まだ酔ってるな。
頭を振って、大勢の獅子戸さんを脳みそから追い出す。
こんなんじゃ富久澄さんのこと言ってられないぜ。
何か他のことを考えようと、もう何日もまともに見てなかったスマホに手を伸ばす。
すると、思いがけずメッセージがたくさん届いていた。
たくさん……というか、大量だ。
連絡先を交換したまま一度もやり取りしたことなかった同僚からも、なんか来てる。
……ん?
……んんん?
「『動画見ました! すごいですね!』って……、なに?」
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