第53話 DRaGO-N
私は考えなしに、今さっき静かに閉めたドアを思いっきり開けていた。
廊下には誰もいなかったが、ちょうど次の瞬間、向かいの練くんが私と同じ勢いでドアを開けた。目を皿のようにしている。
「あ、お、おっさん、これ」
と、さすがの彼でも言葉が追いつかないのか、片手に持ったスマホを振る。
かく言う私も口が回らず、「うん、うん」と、何度も首を縦に振るだけ。
「見た。見たよ!」
と言うのが精一杯だ。
私たちは廊下の真ん中に出てきて、それぞれのスマホで同じ動画を向けあった。
「誰だよ、このガイジン」
「青木さんの言ってた、Dリンクシステムの関係者じゃないかな。あと〝ガイジン〟はやめようよ」
私は動画の概要欄を見ながら答えた。
「は? じゃあなんて言ったらいいんだよ」
「〝この人〟でよくない?」
練くんはむっつり唇を尖らせて、また画面を見た。
「世界中の人が見てるね」
と、私はコメント欄に並ぶ、読めない様々な言語をスクロールさせながらつぶやいた。
練くんは画面を指さして数え始めた。
「再生回数……イチ、ジュウ、ヒャク、セン……、え、百万?」
「それって、百万人がこれを見たってこと?」
「いや、のべ数」
私は練くんの顔を覗き込んでしまった。
「練くんって、『のべ数』とか、ときどき
「うるせーな!」
気に障ったのか、彼はプイッとそっぽを向いた。そんな仕草なんかまるで子供なのに、本当に単語が多い。
褒めたつもりだったんだけどな。今だって「若人」が通じちゃってるし。
そこへ慌ただしい足音が近づいてくると思ったら、廊下の向こうから獅子戸さんが走り込んできた。
「全員集まれ!」
と、号令をかけるや、私と練くんが揃っているのを見て、富久澄さんの部屋のドアを乱暴に叩き始めた。
「なんの騒ぎですか?」
「富久澄さんはまだ動画を見てませんか?」
「あ……、もしかして、これですか?」
と、彼女もスマホを掲げる。
獅子戸さんの眉間には、思いっきりシワが寄っている。
そのまま廊下でブリーフィングになった。
「いま本部から連絡が入った。投稿者はDリンクシステムの出資者で、〝ドラゴン〟は関与していない。もちろん、我々日本本部も」
「〝ドラゴン〟……?」
耳慣れない言葉を繰り返してしまうと、練くんが呆れ顔になった。
「なんとかかんとかって、ダンジョン調べてる国際機関だよ」
〝なんとかかんとか〟の部分は彼にも謎らしい。
その説明は、富久澄さんが早かった。
「
流暢な発音に私は目を見張った。
あと、さっきのあれこれが本当に彼女の中で無かったことになってるようで安心した。
「ただのこじつけだろ」
と、練くん。
「名前がどうあれ」
と、獅子戸さんが話を本筋に戻す。
「その機関が、動画を発見後すぐに削除要請したのですが、複製を繰り返され、いまや世界中にばら撒かれています」
ゾッとした。
私たちの姿が、世界中に……
「いたちごっことはいえ、見つけ次第削除しているそうですが、どうなることか」
と、歯噛みして、獅子戸さんは向き直った。
「とにかく、差し迫って明日からの一週間の休暇についてですが、予定どおりです」
いきなりあっさりした指示だったが、「ただし」があった。
「外部との接触は構いませんが、動画の件は何を聞かれてもだんまりを貫いてください。富久澄さんも予定どおり、九時にロビー集合でお願いします」
「わかりました」
「地念寺は?」
練くんの質問に、獅子戸さんが答える。また苦虫を噛み潰した顔になって。
「一足早く帰省してしまいました。先ほど連絡を取ったところです」
そうだったのか。
彼びっくり屋さんだから、さぞ驚いたんじゃないだろうか。
かたや練くんは、指示を受けたらもう落ち着いたのか、
「みんな休暇どうすんの?」
と、世間話を振ってきた。
「検査が終わったら帰省するつもりだったよ。両親の顔見たいし」
「ふーん、みんな帰るのか」
その言い方で、彼は宿舎に留まるのだと察した私は、思わず口走ってしまった。
「私は残ろうかと思ってます」
「そうなの?」
案の定、彼の声が弾む。
「ええ。実家といっても都内なので帰省ってほどでもないですし、いつも正月にしか帰ってませんから」
勢いで言ってしまったが、そういうことだ。
「獅子戸さんは……」
と、矛先を向けようとしたが、彼女は首から提げた、いかにも仕事用のスマホを忙しなく操作している。
この状況で、それどころではないだろう。
本当に、ちゃんと心身ともに休めてるんだろうか。
こっちの様子に気がついたのか、彼女は素早く「もう解散して結構ですよ。おやすみなさい」と言い残して、廊下を去っていった。部屋に入るわけでもない。
「私、明日も早いし、寝るね。二人ともおやすみ」
と、富久澄さんが自室に滑り込み、廊下で練くんと二人になった。
なんとなく目が合って、ちょっとした静寂。
「じゃあ、おやすみ」
と、練くん。
「あ、うん。おやすみ」
と、私。
部屋に戻ったらどっと疲れて、大浴場のことも忘れて気を失うかのように眠ってしまった。
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