第54話 また乗ってみたかったな

 ドンドンドンドン——……!


 乱暴なノックで目が覚めた。


「おっさん!」

と、私をそう呼ぶのはもうお馴染み、練くんだ。


 ドンドン叩かれる鬼気迫ったリズムに反して、私はのっそりとベッドから降りた。


 ドンドンドンドン——……!


「おーい! おっさん!」

「はいはいはいはい」


 宿舎こと豪華ホテルのドアを開ける。

 と、意外にも心配そうな練くんの顔。


「起きろよな」

「あのね、練くん。きみが言うとおり、私おじさんなのよ。ちょっと動くとすぐ疲れちゃうの。休みの日なんか昼まで寝てるとかザラなんだから」


 叩き起こされた頭でつらつら話しながら、トイレに入って洗面も済ませて、出てきて続行してしまう。


「土曜日は平日の疲れで昼まで寝て、日曜は翌週の疲れに備えて昼から寝ちゃうの。休日のお父さんってめちゃくちゃ寝てるでしょ。練くんのお父さん、いくつ?」

「さあ」

と、そっけないが、彼が二十三と聞いているから、下手したら私とそう変わらない。


 え、私って、そんな歳だったの!


「とにかく」

と、練くんは私にジャージを投げてよこしながら言った。

「ちゃんと起きろよ。死んだかと思うじゃん。もう心配しておっさんドア叩いて起こすの嫌なんだけど」


 あ。

 心配してくれてたのか。


「そっかそっか。ありがとう。頑張って起きるよ」


 って、時計を見たら、まだ十時前なんですけど。

 むしろ若者の方がなんでそんな早起きできるの?

 若さって、睡眠時間が後ろに倒れていることを言うんじゃないの?


 練くんは朝食にまで付き合ってくれた。


 ビュッフェの時間は終わっていたが、テイクフリーの軽食が積んである。

 おにぎりを二つ取って。味噌汁カップにお湯を入れていると、練くんは小さなカップヨーグルトを手にテーブルへ。


「もう獅子戸さんと富久澄さんは出発しちゃったんだよね」

「うん」

 当たり障りのない共通の会話から入ろうと思ったが、ふるわない。

「地念寺くんの実家ってどこだか聞いてる? 昨日の夜からバスに乗るなんて、遠いのかな」

「知らない」


 そしてまた、彼は小さなスプーンでヨーグルトと格闘する。


「友達から、連絡あった?」

と、私は小声で聞いてみた。


 ここにいる人はみんな知ってるだろうけど、一応、念の為。獅子戸さんから何も話すなと言われているし。


 ところが、肩透かしにも練くんまで「なにが?」である。


「動画のこと……」

 渋々付け加えると、彼は乱暴にヨーグルトをかきこんだ。


「ない。俺、友達いないし」

「え! 一人も?」

「うるせえなぁ」

「ごめん……でも学生さんだったんでしょ?」

「大学なんて宿題ばっかで、つまんないとこだよ」

「宿題って、レポートのこと?」


 練くんは曖昧に頷いた。

 私は仰天して食べる手を止めてしまった。


「へー。私の頃とはずいぶん違うんだろうなぁ」

「本田さんも大学生だったの?」

「二十年前はね。レポートなんか適当で、毎日遊んでたよ」

「ふーん」


 相槌はそっけないが、練くんは興味深そうにこっちを見ている。


「サークルで遊んでバイト三昧。でも人生で一番ダラダラ過ごしてたなぁ……で、就活になったら全然働き口がないの。氷河期だから」

「バイトはあるのに、仕事はなかったの?」

「企業はみんな安いバイトが欲しかったから、正社員じゃなくて、そのままバイトで働くしかないってやつばっかりで……」


 暗い話は切りあげよう。


「今はもうそんなことないでしょ」

と、話を向けたら、「知らない」と返されてしまった。

「俺、こっち来ちゃったから、就活とかしてない」

「そっかぁ」


 悪いこと聞いちゃったかな。


「別にいいんだけどさ」

と、練くんはヨーグルトの空き箱をくしゃっと折り曲げた。

「俺、ダンジョンにいる方がいい」


 私は黙って味噌汁をすすった。

 が、やっぱり聞かずにはいられない。


「練くん……本当におうち帰らなくていいの?」

「は? なんで?」

「ご両親……、心配してるんじゃないかなぁって。あの動画も見てるかもしれないし」

「うちの親、ネット疎いから、見てないよ」


 そうなのかな、と思ったが、仮に練くんが三十歳のときの子なら現在五十三歳。使いこなしてる人も多いだろうけど、仕事上のソフトだけで家ではアナログって人もいる世代かもしれない。などと思考が回る。


「……家には帰りたくないんだよね」


 ぽつり。

 練くんは窓の向こうの青い空に目をやって、言った。


「なんかうち、変なんだ」

「変?」

と、思わず繰り返す。


 こういうときは、たぶん、何もジャッジせずに聞いてあげるのがいいのだろう。


「俺がここにくる前、二世帯で仲良かったじいちゃんとばあちゃんが、ほとんど同時に死んじゃって。俺はすごい悲しかったんだけど、なんか……、お袋なんか、『あんまり悲しむんじゃない』って感じの態度だし、親父もなんか、よそよそしくなってて。だから、まぁ大学行っとこうかなって思ったんだけど、実際通ってみたら全然面白くないし、でも家にもいたくないし……」


 私はつい、ぼんやり聞き入ってしまった。

 彼は、思ったよりもいろんなことを背負ってきたのかもしれない。


「おじいさんとおばあさんが亡くなって、練くん、悲しかったのかな」

「今も悲しいよ。なんで悲しんじゃダメなのかわかんねぇ」


「悲しむタイミングも、方法も、人によるもんねぇ」

と言って、私はお箸を置いた。

「ご両親も、きっと悲しんでないわけじゃないんだろうけど、タイミングとかが練くんとは違ったのかもしれないよね」


 もしかしたら介護疲れとかもあったのかもしれないが、そこまで話すのは踏み込みすぎだろうと思ってやめにした。


 練くんは、まだ窓の外を見ている。

 私は箸を手に取って、味噌汁の残りを食べ終えた。


 練くんは自主トレに行くと言い、一旦部屋に戻る私とは廊下の先で別れることになった。


「やっぱり」

と、彼は立ち止まって、私を振り返った。

「帰るかどうかはわかんないけど、とりあえず連絡ぐらいしてみる。心配してると思うし」


「うん。それがいいよ」


 それから別れ際に、練くんは「あ」と言って、また私を呼び止めた。


「フリューズ、いなくなっちゃって寂しいね」


 何を言うのかと思ったら、驚いた。


「あ、ああ、そうだね」

「俺、高いとこ嫌だけど……、あいつの背中には、また乗ってみたかったな……」


「すごい体験したよね」

と、私が思わず笑みをこぼしてしまうと、彼も口元を綻ばせた。

「動画なんかじゃ伝わんない、本物の経験だよな」


 そう言って去っていった彼は、やっぱりヒーローだな、と思った。


 

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