第86話 あなたの味方です!

 ぐつぐつ……

 ぼこぼこ……


「……動く迷路までは簡単すぎた」

と、練くんが口火を切る。


 それを受けて、地念ちゃんが別の方向から事実を確認する。


「罠は人為的でしたが、それを作ったモンスターとは出会ってません」


 私は大胆な仮説を立ててみた。


「鎧兵を倒したから、なんとなく一段落した気になってるけど、罠を作ったモンスターは別にいて、我々はまだおびき寄せられてる真っ最中、とか?」


 わからないことだらけで、仮説を裏づけようもない。


 私たちはまた鍋の中、ぐらぐらと沸騰する熱湯を眺める時間だ。


「……地下三層に降りてからは、明らかに空気が変わりましたよね」


 ぽつりと地念ちゃんが確認してくるのに、私と練くんは揃って頷いた。


「地下の強敵に追い込まれているとか……?」


 私の仮説を踏まえた地念ちゃんの推測に、練くんは鼻を鳴らした。


「だとしても、炎の皇帝ってのはガセだろ」


「ガセなんて言葉知ってるんだ!」と、私。

「嬉しそうに話の腰折んなよ」と、不満げな練くん。


「ごめん」


 私が謝ると、この掛け合いが面白かったのか、地念ちゃんは忍び笑いしていた。


 その時だ。


「すいません!」

と、急に青木さんが大声をあげてこっちへ走ってきた。


 カメラは手にしているが、明らかに撮影していない持ち方だった。


「そういう考察は、なしで!」


「え?」と、私たち三人は声を揃えた。


 練くんと地念ちゃんはそこで言葉が止まってしまうけれど、私は思ったことが口から出てしまう性格だ。


「なんでですか?」

「視聴者を混乱させないでください」


 即答されたが、なんだか納得できない。


 混乱してるのは、まさに今、私たちの方なんですけど。

 現場は大混乱だぞ! 命懸けだし!


「混乱、と言われましても……」

と、地念ちゃんも困り顔だ。


 言いたいことは一致している様子である。


「ただ黙って任務遂行しろってんだろ?」

と、ついに我がチームの喧嘩番長が声を荒らげた。


 これには、お湯を待ちながら向こうで荷物の整理をしていた富久澄さんも首をもたげる。


「視聴者数増やすのになんかしろっつったり、なんもすんなっつたり、どっちなんだよ事務員さーん!」


 練くんの超絶嫌味な呼びかけに青木さんは頬を引きつらせた。


「い、いまは技術班です」

「どっちにしろ内勤じゃねーか。俺たちは命かかってるから真面目に考えてんだろ。お前こそ黙って撮ってろよ。撮らしてやるからよぉ!」


 鍋を蹴らんばかりの勢いに、当然青木さんは怖気づいて引くと思ったのだが、違った。


「……出力高いだけで、コントロール悪いって評判なのは、そういう育ちの悪さからもきてるんじゃないですか? 知性が足りないんですよ。最初に会ったときなんか、半グレかと思いましたよ」


 ああ、やめて、言い争わないで!


 私は他人の口論でもお腹が痛くなるタイプなので、目が回りそうだった。


 あれ? 待って。

 練くんも顔色、悪くないか?


「待って待って! 二人とも、落ち着いて! こんなダンジョンの奥じゃ、イライラしちゃうから!」


 私は二人の間で腕を広げた。


「二人とも本気じゃないよ。本気じゃない。いや、この状況で日頃から思ってることがつい出ちゃった、っていう本心だったとしても、普段だったら伝えない配慮をするはずの言葉はノーカウントで! ノーカンです! 忘れよう!」


 私まで余計なことを言っている気がするが、おじさんの必死さに圧倒されたのか、二人はいったん口を止めてくれた。


 ところが。


「もういい! もう十分だ!」


 ずいぶん離れたところにいた獅子戸さんが、そう大声で言いながら、ずんずんと大股でやってきた。


「し、獅子戸さん?」


 彼女のそんな怒り心頭な様子は珍しいので、私は面食らってしまった。


「こんなもの……! 茶番だ!!」


 彼女は、見えない敵を振り払うように、ぶんと大きく腕を振った。


 事情が見えないのは練くんと地念ちゃんも同じだ。


「でも、こいつが……」

と、練くんが青木さんを指差すのを、地念ちゃんが「まあまあ……」と言って止める。


 だが、どうやら獅子戸さんは私たちに怒っているわけではないようだ。


「獅子戸さん?」

「獅子戸さん!」


 私の疑問符と、青木さんの感嘆符が重なる。


 青木さんのその言い方は、獅子戸さんが何を言おうとしているのか知っていて止めようとしているように思えた。


 実際、二人は視線で鍔迫り合いしている。


 怒鳴って口封じするなんて、ハラスメントじゃないかしら?!


「獅子戸さん!」

と、私は彼女を正面から見た。


 その顔は、なんだかつらそうで、今にも泣きそうだった。

 そんな獅子戸さん、見てられないよ……


「大丈夫ですよ! 私たちはみんな、あなたの味方です!」


 私の後ろに練くんと地念ちゃんが並ぶ気配。そして、彼女の隣には富久澄さんがいる。


 獅子戸さんは、完全に吹っ切れた表情になって力強く頷いた。


「この任務は、嘘なんです!」

「うそ……?」


 絶句する私の後ろから、練くんと地念ちゃんの声が聞こえる。


「嘘って?」

「なにがですか?」


 苦々しげに、しかしはっきりとした口調で、獅子戸さんは言い切った。


「ここは……、〝完全制圧済み〟のダンジョンです」


 私は、その言葉が意図するところが判然とせず、つい真っ直ぐに疑問の視線を獅子戸さんに投げてしまった。


 だが、さすがに地念ちゃんは理解できていたようで、おずおずと確認の質問をした。


「もう……モンスターは出ないと、確約されたダンジョン、ということですか?」


「出てんじゃん」


 練くんのスピードツッコミは、虚しく部屋の真ん中に転がった。

 獅子戸さんは体側たいそくで拳を握りしめた。


「すべては……、配信のための仕込みです」


 あっけに取られた、なんてものじゃない。

 私たちは、なんの反応もできなかった。


 広場は一瞬にして水を打ったように静まり返り、そしてざわめいた。


 

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