第77話 ありのままの私たちで
「そんな……」
地念ちゃんの恐ろしい仮説に、富久澄さんは自身を抱きしめるように両方の二の腕をさすった。
氷に乗って浮上してきた練くんに手を貸すと、握られた手のひらから「ジュッ」と音がして水蒸気が立つ。
驚いて熱が上がってしまったのだろう。
「大丈夫?」
「……めちゃくちゃビビった」
こっそり聞くと、小声で返してくれた。
高所恐怖症の彼にしたら、気絶してもおかしくないくらい怖かっただろう。
「このダンジョンは、なんか他と違うみたい……」
そうつぶやく練くんの真剣な表情。
すかさず至近距離で撮影する青木さん。
「ちっ」と、練くんは舌打ちしてそっぽ向いてしまった。
「みなさん、配信に気を取られないでください」
と、一番後ろから獅子戸さんの厳しい指令が飛んできた。
「ここはダンジョンですよ。何が起こるかわからないんですから、気を引き締めて」
全員が「はい」と応えようと息を吸う。が、そのタイミングはずらされた。
「どんなことがあっても、慌てず、騒がず、最善の策で乗り越えるんです。配信のことなんて気にしてはいけません。これは訓練じゃないんですよ。本番なんです。起きていることの全ては現実です!」
いつになく力の入った獅子戸さんの長演説に、私たちはむしろ戸惑った。
ぽつりぽつりと、不揃いの「はい」が漏れる。
「さあ、いきましょう。足元に気をつけて!」
最後尾からのリーダーの号令に、私たちは前進を再開した。
今の変な感じ、何だったんだろう?
考えずにはいられない。
獅子戸さん、配信に舞い上がっちゃって言葉数が増えてしまったのかと思ったけれど……
もしかしてご自身に言い聞かせていたのかしら。
真面目な彼女にとっては、〝配信バトル〟なんて、そうとう堪える指令だろうな……
彼女のちぐはぐな激励のせいにしてはいけないが、それからダンジョンを進む私たちは、しばらくの間、なんだか手足がバラバラに動いているような感じになってしまった。
* * *
広くはない通路に差し掛かった。
「静かに」
と、先頭を歩いていた
「敵?」
れるるさんが縮こまって声をひそめた。
「いや、なんだか……妙な気配を感じる」
しかし
「ばっかじゃないの。いちいち止まってられないっしょ」
「優衣!」
琉夏くんが追いかける。
ちょうどそのタイミングで、優衣さんが落とし穴に落ちた。
空を飛んでその様子を間近に撮影するカメラ。
琉夏くんの手は、しっかりと彼女の腕を掴んでいた。
「琉夏!」
優衣さんの恐怖に染まった叫び声が響く。
「優衣さん!」
駆け寄ったれるるさんも一緒になって優衣さんを引き上げると、助けられた優衣さんは琉夏くんに飛びついた。
「怖かった……」
その背中を優しく撫でる琉夏くん。
しかし彼の視線は、肩に顔を埋める恋人ではなく、その後ろに立ち尽くしている、れるるさんに注がれていた。
* * *
「なんか、大変そうだな」
水筒片手の練くんの声に、呆れと疲れが滲み出る。
開けた場所に出た私たちは、カメラを止めて昼休憩をとっていた。
そこで青木さんがタブレットを立てて、配信班の様子を見せてくれたのだ。
別に誰も頼んでないけど。
「向こうは恋愛とシリアス。やはりこちらはギャグ、または解説を担当するべきだと思うんです」
と、青木さんがゼリー状の栄養補給食を手に熱弁を振るう。
配信についての作戦会議を促しているのだろう。
彼の多少強引な姿は、しかし立場を考えれば頷けるものだ。
青木さんは本部から氷結三班の撮影を任されているのだ。いい映像をお届けしなければ評価が下がるに違いない。
いくら私たちにやる気がなくても……
そう思ったときだった。
「そうですね」
と、意外にも獅子戸さんが青木さんに賛同した。
「千葉ダンジョンで武器を使うゴブリンと交戦したしたというのは、アドバンテージだと思います。先ほどの落とし穴のシーン、視聴者の反応はどうでしたか」
なんと。
彼女はダンジョン配信にちゃんと向き合ってるではないですか!
ついさっきまで、〝配信バトル〟なんて、そうとう堪える指令だろう、なんて彼女の胸中を察したつもりになっていたけれど、私ったら全然わかってなかった。
「コメントとしては……」
そう言って青木さんがコメント欄をさかのぼって音読していく。
〈一般的なダンジョンについて知りたい〉
〈俄然面白くなった〉
〈本田さん目がいい〉
〈モンスターの進化ってやばくね?〉
〈氷結三班もけっこう面白いかも〉
〈千葉ダンジョンの話聞きたい〉
〈あっち色恋ウザいからこっち固定にする〉
「と、言う感じで、好意的なものが多いですね」
って言ってるけど、こっそり覗き込んだら〈仕込み?〉とか〈掘ってるじゃんw〉とか笑われてもいた。
いやいやいや。
仕込みなわけないでしょう。
そうだとしたら、本部の人たちが私たちの安全を軽視していることになる。
あの穴、もし地念ちゃんが間に合わなかったら、練くんはまた大怪我してしまっていたかもしれないのだ。
いくら富久澄さんがいるからって……
え、まさか、そんなこと、ある……?
でもダンジョン内部が知りたくて動画を配信するなら、人間が罠を仕込んでなんになる?
私はダンジョンの影響からだけでなく、緊張で胃のあたりがきゅうっと冷たくなっていくのを感じた。
目の前では、車座になった正面で、獅子戸さんがキリッとした目で全員を見回している。
「つまりこれは、素の私たちで十分、魅力ある配信が可能ということです。いいことですね!」
彼女は確信を持って拳を握った。
「これ以上の妙な小細工は考えず、ありのままの私たちでいきましょう」
妙に演説めいてしまった自身への戒めでもあるのだろう。
立ち上がる我らが指揮官に、チームの面々も続いた。
青木さんはやや不満げだが、申し訳ないが私たちのリーダーは獅子戸さんだ。
余計なことは考えず、任務遂行あるのみ!
私も胃痛を追い出して、自らを奮い立たせて腰を上げた。
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