第4話 能力精密検査で死ぬの?

 私が千葉県の衝撃を受け流している間に、高梨先生は手元の資料に目を落としていた。


 首を伸ばして覗き込むと、今年会社で受けた私の健康診断と、例の全国能力者一斉テストの結果だった。


「素晴らしい数値ですね」

「いやー、ありがとうございます」

「あ、能力の方ですよ。体の方はちょっと、コレステロールとメタボが気になりますね」


 先生の苦笑いに、こちらも「ははは」と笑うしかない。


「このあと、本来はここで健康診断を受けていただくのですが、本田さんは直近のデータがありますのでいったん省略します。それで、すぐにでも能力精密検査を始めたいのですが、お疲れじゃないですか」


 一応心配してくれているが、先生も科学者なのだろう。実験台を前に早く事を進めたいという雰囲気が伝わってくる。


 私もコレステロールとメタボと言われた矢先で、ちょっと格好つけたい気持ちもあった。


「大丈夫です」

と答えると、先生は勇むように立ち上がった。


「では、そちらの検査着に着替えてください。他に誰もいませんので、荷物はそのままで。私は出て待ちますので」


 そういうことになった。


 一脚の椅子に置かれていたのは、病院でよくある上下セパレートのガウンだった。


 いそいそと着用して、代わりに畳んだスーツ一式を椅子に乗せる。荷物は置いてと言われたが、財布とスマホの貴重品はどうすべきだろうか。


 迷った末にカバンの中に残して、手ぶらになって部屋を出ると、高梨さんはすぐ目の前にいて、「それじゃあ」と、低めの太いヒールを鳴らしてどんどん歩いていってしまう。


 私も、脇目もふらずそれに続いた。


 いったん外に出ると、まっすぐ正面の出入り口から今度は大きな方の倉庫へ。中では迷彩服の人とスーツの人が、同じくらいの割合で忙しそうに動き回っていた。


 肌寒い検査着一丁の私は、もはや裸みたいな気持ちで落ち着かない。ついつい俯きがちになる。


 倉庫の中にさらに簡易的な部屋が設置されていて、ドアの前には警備員が立っていた。先に進むと、床がやや下へ傾斜しているような気がした。


 坂道なのだろうかと思った時には少し広い空間に出た。暗闇の中でナンバーロックの扉を高梨さんが開けると、そこは真っ白な四角い部屋だった。


「スリッパは脱いで入ってください」


 物珍しさも手伝って、言われるままに素足になる。

 右側に横長の鏡があった。マジックミラーからこちらを観察しているようだ。


「ここでなにを?」

と、振り返ったらもう扉が閉められていて、そこに高梨さんの姿はない。


 白い部屋に、おじさん一人。

 検査着一丁で。


『ここはもうダンジョンの内部なんです、本田さん』


 天井のスピーカーから音声が降ってくる。


『どのタイミングで、どんな能力が発動するかわかりませんから、我々はここから観察させていただきます。担当の青木です。本日はよろしくお願いします』


「あ、はい。よろしくお願いします」


 そんな必要はないのに、喋る時にはついスピーカーを仰ぎ見てしまう。


 検査着一丁で閉じ込められているのに、よろしくと言われるとよろしくと返してしまう社会人の悲しいさがよ。


『発動まで時間がかかるかもしれませんので、少し説明させていただきます。本田さんは、テストの結果からも、最高ランクの能力者だと確定しています。しかしそれがどのような種類なのかによって、配属先や任務の内容が変わってきてしまうんです』


 青木さんの声はナレーターか声優のように明瞭だったが、鼻にかかるような音質で、個人的には苦手に感じた。優しいけれども台本通りという印象で彼の気持ちが感じられず、それも私を不安にさせる。


『まったく利用方法がない能力もあるので、その場合はボランティア免除ということで、ここまでご足労いただいて大変恐縮なのですが、お帰りいただくことになってしまいます。ご理解いただけますでしょか』


「はい、大丈夫です」

と答えながらも、何をさせられるのかわからないうちは、帰りたいと思わない人なんかいるのかな……と考えていたら、震えがきた。


 いやに寒い。


『その際は守秘義務契約書にサインいただいてますので、この施設や実験について、一切の他言は厳禁となっております』


「あの、ちょっと寒いんですが」


 失礼かとは思ったが、立っていて自然と身震いしてしまうのはなんとかしてもらいたいとお願いを挟む。


 だが。

『え? えっと……、エアコンは二十五度のままですよ?』


 こんな布切れ一枚だからじゃないかな、と思ったけど、自分よりうんと若そうな青年の困惑したような声色に、「そっかそっか、おじさんが我慢しよう」と思い直して言葉を飲み込んだ。


 こちらの沈黙を了承と受け止めたのかマニュアル的な対応に戻ったのか、青木さんは鼻声で続けた。しかも急にちょっと馴れ馴れしい。


『なにかモーション取ると発動するってこともあるんですよねぇ。どうでしょうか、手を伸ばしたりとか、歩いたりとか、走ってみるとか』


 まさか温度設定うんぬんのやりとりで距離感が縮まったと思ったのかなと驚きながらも、私は一歩、二歩と歩いてみた。


 というより足踏みだ。とにかく寒い。両手で二の腕をさすって足を動かしていないといられない。


 気がつけば、吐く息だって若干白いではないか。


「あ、あの」と、見上げて驚いた。


「凍ってる……?」


 ガラスの端から中央へ向かって、霜が走っていくのが肉眼で見えた。


 足元に目をやれば、床には私を中心にして、雪の結晶のような模様が現れている。


『ガガッ……』と、スピーカーから雑音が響いた。『やば……だっ……早く…て!』


 どうしたんだ?

 マイクを落としたのか?

 怪訝に思ったその時だった。


 ピーーー!


 ハウリング音に、両耳を塞いでしゃがみ込んだ。


 いったい何が起きているんだ?

 ああ、だめだ。

 寒い。寒い。

 体の最深部が冷えていく。


『本田さん、すごいですよ。氷結魔法です! こんなことがあるなんて。すぐにチームを結成しなくちゃ……』


 興奮し切った青木さんの声が、遥か遠くから聞こえてくる。


『あ、コントロールが難しいようでしたら、横になっていただければ笑気麻酔ガスを注入して鎮静させますがいかがでしょう』


「わ、わかりませんが、寒くて、あの、もう……」


 私の記憶は、ここで途絶える。



 やだ。本当に死んじゃう。

 まだダンジョン入る前なのに。


 

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