第25話 獅子戸の本音とチーカマと

 私は手の中にあったチーカマを急いでポケットへ押し込んだ。


 それが包装されていたか確認する間もなかった。だが、しかたがない。こんな大事なときに、チーカマを持ったままなんてよろしくない。


 獅子戸さんは、ぐっと一歩、私に寄ってきた。


「本当に、私の指揮が感謝に値するとお思いですか」


 どうやら少々酔ってらっしゃるようだ。


「も、もちろんです」


 どもりながら答えるも、獅子戸さんは不服そうだ。


「ゴブリン前の、あの面談だって、本田さんが主導だったじゃないですか」

「え、いやそんな……」


 私は胸の前で手を振った。

 確かに個人面談をしたほうがいいと提案したのは私だ。

 しかし、それは獅子戸さんの助けになりたいと思ったからだ。


 オブザーバーとしてついていてほしいと言われ、補佐をしているだけのつもりだったけれど、彼女にとってみたら出しゃばりだったのかもしれない。


「私よりあなたの方が向いてます」

「なににですか?」


「指導官ですよ!」

 彼女は、思わずという感じで大声を出した。


「わ、私なんて、日和見で腰抜けですから全然……」

「そういうところがいいんじゃないですか!」


「ちょ、こ、こっちでゆっくり話しましょう……」

と、私は片腕を前方へ伸ばして、彼女を誘導する。


 柱の向こうに、ゆったりとした革張りのソファがあった。

 ここなら、レストランから距離もあるし人目も気にならないだろう。


 並んで腰を下ろすなり、彼女は振り絞るように言い出した。


「私は……、どうせへっぽこです……。へっぽこ指導官なんです……」

「そんなことないと思います。あれは、神鏑木くんが勢いで言ってしまった悪態なだけで」


「しかもへっぽこ能力者で、あんな電気しか起こせない……」


 獅子戸さんは私のフォローを聞かず、拳を握りしめている。

 私は、あのとき感じた微弱な電気を思い出した。


「触れば電撃攻撃になるんです。でもモンスターとの肉体的な接触は禁止されているので、役立たずなんです。たった五人の班を束ねることもできない。安全なルートを通ってゴブリン一体持ち帰る、簡単な訓練しか任せてもらえない……」


 獅子戸さんが、こんな苦しみを抱えていたなんて、知りもしなかった。


 私ごときが口を挟むことなんてできない。


 彼女は溢れる思いを手の甲で拭って、鼻をすすった。


「私が指導官になったのは、最初期からダンジョンに入っていたからという理由だけです。能力だって充電にしか使わせてもらえないし、『指揮官』じゃなく『指導官』って扱いは、初歩的なダンジョンの歩き方を、初心者にちょっと教えといてくれないか、ってことなんです」


「それだって立派なお仕事ですよ。私もあなたのおかげで生きて帰ってこられましたから」

「私は何もしてません。ただ威張って、突っ立ってただけです」


 こ、これは……、酒魔法で、とんでもなく悲観的になってらっしゃる!


 私の頭はぐるぐる回転した。

 今、彼女に、何が必要なんだ?

 どうすれば、彼女の力になれるんだ?


 落ち込んでいる人に必要なのは、寄り添う心!

 否定したり、ハッパかけたりしないことだ!


「そんなふうに思ってしまうのは、つらいことですね……」


 わかったことを言ってしまいそうになる自分にしっかりブレーキをかけ、精一杯『お見舞い申し上げます』の顔を作った。


 具体的な言葉は避け、ただ気持ちに寄り添う。


 その甲斐あってか、獅子戸さんは、音量だけは落としてくれた。


「……私にはこんな簡単な任務しか任せられないと思われてるんです。予算もぜんぜん振ってもらえないし、人員補強要請も無視されたし。調べ尽くした初心者千葉ダンジョンに押し込められて終わるんです」


 話が飛躍している気がするが、酔っ払いの話なんてそんなものだ。

 私は眉を下げ、頷いて、ただ聞いた。


 するとそのうち、獅子戸さんはポロリと本音を漏らした。


「私、本当は、『地図作成班』に行きたいんです……」


 な、なんですと!


 私は驚いて話の腰を折らないように注意したのだが、態度にはすっかり出てしまっていたようだ。


 しかし彼女は嫌な顔せず、むしろ打ち明けられてホッとしたような、つきものが落ちたような表情になって、「本当ですよ」と、私に向かって微笑んでくれた。


 獅子戸さんって……、こんな顔もするんだ……


「三ヶ月補佐をしてたんです。カメラや機材の充電でね。最前線で未開の地を切り開くのって、すごくワクワクしました……」


 獅子戸さんはその情景を思い出しているのだろう、虚空を見つめて幸せそうに微笑んでいた。


 これが、彼女の本当の姿なんだろうな……


 普段の彼女がいかに自分を律して〝厳しい指導官〟を演じているか。

 それに気がついて、私の胸に何かが去来した。


 遠くから聞こえるレストランの声は賑やかで、この柱の影で、夢敗れかけた若き指導官と冴えない中年男性が、淡い思い出を語り聞いているとは知りもしない。


 ほろ酔いで自室に戻る男女の弾んだ話し声と足音が、影など気にも留めず通り過ぎていく。


 思わず彼らの行く先を眺めていたら、「戻ります」と、獅子戸さんが力強く立ち上がっていた。泣き言など微塵も見せず。


 わ、私も頑張ろう!

 何かを頑張りたい!


 獅子戸さんが去っていくのを見送り、なんだかわからないが決意を新たにした私は、結局自室に戻ってパジャマに着替えるまでチーカマの存在を忘れてしまっていた。


 包装されていたかは聞かないでほしい……


 

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