第4章 動画配信任務へ

第24話 大浴場と祝杯

 ざぶーんと音を立てて、私は大浴場の湯船に肩まで入った。


「はぁー、極楽……」

「うわ、まさにおっさんて感じ……」


 先に浸かっていた練くんが、少し離れたところにいたのに、さらに遠ざかりながらつぶやいた。


「えー、ちょっとー、ひどいよー」


 などと言いながらも、私はウキウキへらへら。

 なぜなら、私はついに、宿舎という場所に来ることができたからだ。

 そう、この広いお風呂だって、宿舎のもの。


 初めてのダンジョン実地訓練の後、情けなくも膝から崩れ落ちた私は、実習センターまでの百メートルを車に乗せてもらって帰還した。そして全員が高梨医師の検診を受けると、ここまで送り届けられたのだ。


 正直、私だけ一人倉庫に残されると思ったから、「こっちですよ」と誘導されて大慌てで車に乗り込んだ。


 到着したのは立派なホテル……だと思うのだが、なんせ真っ暗になってしまっていたので判然としない。

 夕飯までの時間は自由と言われて、さっそくお湯を求めたのである。


「おっさんおっさんて、私まだ四十二ですから」

と、軽口を叩くほど浮かれていた。

 しかし練くんは容赦ない。

「二十三からしたらジジイ!」


 ひえ!


 確かに私も二十代の頃には、四十代なんておじいちゃんだと思って……、いや、そんなこと思ってない。

 彼の押しの強さに流されてはいけない。


 ぐぬぬ……


と、押し黙っていると、湯煙の向こうから地念寺くんの声がした。


「じゃあ、まだ初老じゃないじゃないですか……」


 それは彼と初めて会った時、私が自己紹介で言ったことだ。まさか覚えてくれているとは。私の方が忘れかけていて焦った。


「あれは、笑わそうと思ってね。だって地念寺くんが中年だって言うから」

「ええ、来年三十ですから……」

「え、二十代だったの?」


 声が裏返ってしまった。


 思わず「中年だなんて自分を下げすぎだよ!」と、言いそうになって飲み込む。


 客観的事実としての年齢と、主観的な感覚とのズレは他人が口出しすることじゃないし、年長者が「まだ若いんだからー」とか言っても嫌な顔されるわけで。


 そんなおじさんになりたくなくて、私は「そっかー」と、微笑んだ。


 私も自分のことを「おじさん」って思ってるとおじさんになっちゃうのかしら。

 などと思っていたら、練くんが「熱い」と、湯船から上がる。


 その出口へ向かう後ろ姿のピカピカ加減といったら……

 はーい、私は自他共に認める正真正銘のおじさんでーす!


「本田さん、初ダンジョンだったんですよね。どうでした?」

 地念寺くんの問いかけが、私を現実へ戻してくれた。


「いやー、怖かったね。移動距離は今思えば短かったけど、動いてるモンスターは写真よりずっと気持ち悪いし、帰りなんか大荷物だし。でもみんなと一緒だから心強かったよ。これからもよろしく」


 爽やかぶったつもりだったのに、地念寺くんったら、目を細めてすごい怖い顔。


 あ! メガネないからか。


 気がついて、肩から力を抜いた。

 彼もお湯の力でリラックスしているのか、半身寄ってきた。


「一度敵を倒すと、その場所は浄化されてしばらく出てこなくなるんです。だから、帰りは割と安全です」


 たぶん安心させようと思って解説してくれているのだろう。


「そうなんだ。教えてくれてありがとう」

「僕は、オドが溜まるって考えてます」

「オド?」

「瘴気とか、悪い気……みたいな」

「なるほど」


 地念寺くんは続けて、今回出会ったモンスターについて講義を始めようとしてくれたのだけれど、のぼせそうになったので、二人とも出て食事に向かうことにした。


「元々高級ホテルだったんですよ」

と、彼はいろんなジャンルで事情通だった。

「でも、位置的にダンジョンの上なので、政府に貸すことになったと聞きました」


「よく見えなかったけど庭も広いよね」

「ゴルフ場がついてるとかで、ヘリポートとか資材置き場になってますよ」


「地念寺くんは、物知りだね」

「……! そんなことないです!」


 慌てて否定した彼は、よそ見したせいで「食事こちら」の立て札にぶつかった。が、流れる動作で看板を直すと、何事もなかったかのように入っていく。


 びっくり屋さんなのに、リカバリー時には落ち着いている。

 おもしろい人だなぁ……


 一歩入るとそこは壁一面がガラス張りになった見晴らしのいい大きなレストランだった。まさにゴルフ場のクラブハウスだ。


 奥のテーブルに、すでに富久澄さんと獅子戸さんが着席している。

 二人ともお風呂上がりですっきりした印象だ。


 練くんも食事の乗ったトレーを手に席に着くところだったので、私と地念寺くんも厨房前に並べられた料理をよそって席に急いだ。


 美しく並んだブッフェメニューをよく確認したかったが、調理したての温かい食事が十日ぶりで、ご飯と味噌汁があれば十分だと思ってしまった。あと焼き鮭。


「遅くなりましたぁ」

と、ぺこぺこしながら席に着くと、みんな食べ始めている。


 あ、一緒に「いただきます」とかではないのね。


 ふと見ると、机の上には茶色く輝く瓶。


 こ、これは……、ビール様……

 しかも第三のじゃなくて、本物の、生……


 涙出ちゃう。


 ビール瓶を崇める私を尻目に、獅子戸さんが挨拶をした。

「揃いましたね、本日はお疲れ様でした。休暇は二日間の予定ですが、指令が届き次第出動ですので、そのつもりでいてください」


 休暇とはいえ緊急指令もあり得るのか……

 気を引き締めなければ……


 しかし、今夜はビールだ!

 ダメって言われるまで飲んでやる!


 立派なホテル、温泉、食事にビール。

 至れり尽くせりである。


 地念寺くんがやたらに飲むことにも、練くんが一切飲めないのにも驚いたが、酔っ払った富久澄さんが「げははは、おらおらおっさん、ちゃんと飲んでるのか?」と下品になるのには腰が抜けた。


 しかし何よりも、おかわりを取りに席を立ったら、帰ったはずの獅子戸さんが廊下に佇んでいたのには目を見張った。


 ぼんやりと遠くを眺める、浮かない表情。


「まだいらしたんですね」

と、私は声をかけていた。チーカマ片手に。


「ああ、本田さん。どうも。ちょっと酔いを覚ましていました」


 こんな、廊下で?


 獅子戸さんは視線を窓の外へ移してしまった。

 レストランの喧騒が遠く聞こえる。

 

「いやー、今日はお疲れ様でした。指揮を取ってくださってありがとうございます。すごかったですよね。うまくいってよかったです」


 ちょっとした世間話でも……と試みたが、思いのほか厳しい表情とぶつかってしまった。


「本当にそう思いますか?」

「え……」


 わ、わかりませーん……


 

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