第5章 ダンジョンの深層へ

第31話 落下そして挟撃

「うそ!」

「きゃあ!」

 私と富久澄さんの悲鳴が重なった。


 青木さんは体を反転しようとして足を踏み外したのだろう。一度壁面にぶつかり、跳ねたところを地念寺くんが念動力で押さえてくれている。


 だが、地念寺くんは飛んでくる矢も払わなければならない。片手では限界がある。


「……あ、重い……、無理……!」

「地念寺! 壁を使え!」


 獅子戸さんの指示が飛んだ。

 青木さんは壁面に押し付けられ、ずるずると闇に向かって降下していく。


 これ以上落ちたら、地念寺くんが目視できなくなっちゃう……!

 どこかに足場があれば……!


 私は懸命に青木さんの行く先を探した。


 足場……!

 足場!

 足場さえあれば……!


 それはほとんど無意識だった。


「青木さんの足元に、出っ張りがあればいいのに」と、ただそう願っただけだった。


 青木さんは、着地していた。

 大きな氷の足場に。


「私が、やった……?」

「本田さんスゴイです!」

 つい呆然としてしまったが、富久澄さんの涙声に我に返った。


「か、火事場の場馬鹿力……、いや『馬鹿氷』ですね!」


 興奮ゆえの私の馬鹿な発言は完全にスルーされた。

 それどころではない。


 地念寺くんは、すでにゴブリンへ向かっていた。

 彼は視野がとてつもなく広い上にマルチタスクだ。


 ゴブリンたちは絶え間なく石を投げ、矢を射る。

 しかも連中、危ないと見るや岩陰に隠れる能力もある。


 獅子戸さんが、単二電池くらいにしか見えない青木さんを指差した。

「本田さん、あそこまで足場を伸ばせますか?」


 目を凝らせば、青木さんの口が大きく動いている。


「なんか言ってます」

「なんですか!」


「あ、あ!」

と、後方の富久澄さんが、タブレットの音量を慌てて最大にした。


〈足を捻ったと言っています〉

〈痛くて立てないそうです〉


 無感情な女声が読み上げるコメント。


 えええええ? 


 即座に獅子戸さんが私を振り返った。


「足場作ってください!」

「や、やってみます!」


「必ずやってください! 富久澄さん、行けますか?」

「行きます!」


 二人とも迷いがない。

 おじさんだって、覚悟を決める!


 『馬鹿氷』は頑丈ですごい!

 人が乗っても大丈夫!

 私は際限なく氷を作れる!

 怖がるな!


 心の叫びは全然格好良くなかったが、どこからともなく現れた吹雪が蛇のように崖を這い、青木さんの乗った足場に絡みつくと、一瞬で氷のスロープになった。


 崖壁にしがみついた氷たちは、大人三人に耐えてくれるだろうか。

 いや、耐えるに決まってる!


 獅子戸さんは目にも止まらぬ速さで富久澄さんからタブレットをひったくると、私に押し付けてきた。説明してる暇はない、というやつだ。

 そして躊躇なく氷の上へ踏み出す。


 果敢な二人が滑り落ちることなく青木さんに合流したのを確認すると、私はホッと胸を撫で下ろした。


 って、安心している場合じゃない!

 ゴブリンの攻撃に対応せねば!


 その時、手の中のタブレットがコメントを読み上げた。


〈インカムから獅子戸さんの指示を記入しています〉

〈インカムから獅子戸さんの指示を記入しています〉


 なんと!


〈ゴブリンの制圧に集中してください〉

〈青木の怪我は時間がかかります〉

〈こちらは周辺の確認をします〉


 このためにタブレットを置いていったのか。

 獅子戸さんの判断力、すごい。

 皆さんのタイピングの早さもすごい。

 他の人は余計なコメントを書き込まずに待ってくれている。


 タブレットの音量は最大だが、絶え間ない爆発音とゴブリンの鳴き声が洞窟に反響していて、前衛の二人には届いていないようだ。


 私は大声で復唱し、ゴブリン対応に参戦しようと試みた。

 が、暑い。


 そうだ。

 主力の炎のせいで私の力は弱まっているし、逆に私が場を冷やせば練くんの攻撃力が下がる。

 私ができるのは、なるべく炎から遠いところで……


「下の三人を守ります!」

「お願いします!」

と、地念寺くんの返事。

 

 『馬鹿氷』が溶けないか注意しながら、獅子戸さんたちに向かって飛ぶ矢があれば凍らせた。


〈五メートル下方、横穴を発見〉

〈身を隠すことができそうです〉


 映像では暗くて何も見えないが、肉眼では捉えているようだ。


「ゴブリンども来る気だ!」

 練くんが叫んだ。

 崖沿いの細い道を、我々の鎖を掴んでやってこようとしている。


 大変だ。


 考える前に動いていた。

「塞ぎます!」

 足場を作った感覚を思い出し、私は『馬鹿氷』で道に障害物を立てた。

 残念ながら完璧な氷壁とはいかなかったが、敵はうろたえ、戻り始める。


 すると、後ろからも、不気味な鳴き声が響いてきた。

 聞き覚えがあるそれは、コウモリ男たちのものだ。


「後方ジャイアントバット!」

と、状況を叫んだが、誰も余裕はない。


「塞ぎます!」


 私は返事を待たず、帰り道を分厚い氷で埋めた。

 ゴン、ゴンと、向こうから体当たりらしき音がする。


 よし。しばらくは大丈夫。


 視線を氷の足場に戻した。

 炎の熱風でスロープから水が垂れている。


 そして驚いたことに、獅子戸さんが、ほとんど四つん這いになって登ってきていた。


 目が合って、今度こそ、私は彼女とアイコンタクトが取れた。


『私のことはいい』


 瞬時に理解した。

 下にいては戦況が見えない。周囲の状況を確認しきったから、戻って前線をコントロールしようということだ。

 リーダーとして、その職務を全うするために。


 小柄で身軽な彼女を信じて、私は他の状況を確認した。

 後方の氷壁もまだ大丈夫だ。

 ゴブリンへ視線を移動する。

 わらわらと出てくる奴らの一部が、谷底へ向けて闇雲な投石を始めた。

 富久澄さんと青木さんを狙っているようだがよく見えないらしい。

 神鏑木くんの熱気を邪魔しないように、落下の途中で凍らせて失速させていく。


 視界の端に、獅子戸さんが元の細い崖道に到着したのが映る。

 と同時に、その向こうで氷壁を破壊しようとしているゴブリンが見えた。

 片手で鎖を握ってバランスを取りながら、もう片方の手にした石で氷を叩いてる。


「離れろ!」

と叫ぶや、獅子戸さんが鎖を握って力を込めた。


 その瞬間、鎖を、電流が走った。


 

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