第39話 偽りの希望
しかしダンジョン内の、我々の状況が一気に好転することはない。
「まだ下がるか」
と、練くんが聞こえよがしに言うとおり、長いこと緩い下り坂が続いている。
「下降し続けているので、青木さんの具合も悪くなる一方なんだと思います」
地念寺くんも続け様に言って、「意見してすみま……」と唇を噛んだ。
彼も余裕がなくなりつつあるようだ。
我々の足は完全に止まった。
「このまま進んでいいの?」
「確かに、このままだと出口からむしろ離れてしまうかもしれません」
練くんの質問に、獅子戸さんは地図を確認しながら答えた。
ダンジョン内では当然ながら、方位磁石もGPSも使えない。
私などは「もはや野生の勘に頼るしかない!」と思っていたのだが、獅子戸さんは地図を書きながら歩いていたのだ。
さすが『地図作成班』配属希望。
そんな彼女ですら、苦戦する迷宮だ。
「戻りましょう」
と、獅子戸さんは悔しそうに背後を振り返った。
裂け目を降りて移動し初めてから、ずっとこんな調子である。
そりゃ配信視聴者もだれて当然……かもしれない。
まぁ仕事ですから、ちゃんとしててほしいけど。
〈がんばってー!〉
〈応援してる!〉
〈食糧残数に気をつけて〉
そうなのだ。
青木さんの具合もさることながら、我々はそもそも三時間で帰る予定なのだ。装備もそれなりでしかない。
分かれ道のたびにつけていたピッケルや電気、炎の印が役に立ち、私たちは複雑な道でも迷わずに来られていた。
ところがこの道が厄介で、蜘蛛の巣かあみだくじのように分岐しては向こうで繋がって……と、複雑な形状をしているのだ。
獅子戸さんは分かれ道ごとに両方を十メートルほど確認して、分岐点に戻り、どちらにいくか決めた。調査終了地点にはペケ印を焼く。
慎重で確実なやり方だと思うが、歩みは遅くなる。
それが、せっかちな練くんを苛立たせた。
「こんなんじゃいつまで経っても出口に辿り着けねぇよ」
「確実な方法が、結局は一番の近道ですよ」
地念寺くんの反対意見が、また練くんの気に触る。
「私は神鏑木くんの言うとおりだと思います」と、富久澄さん。
練くんの肩を持つのかと思ったら、違った。
「青木さんはもう限界です。彼は一般人なんですよ!」
だが、獅子戸さんに方針変更の余地はなかった。
「闇雲に進むわけにはいきません。堅実な方法で進みます」
と、ぴしゃり。
徐々にピリついた空気が溜まっていく。
閉鎖された洞窟内だ。
青木さんもつらいだろうけれど、我々能力者だって、楽々ってことはない。私は冷気が漏れ出しそうだし、練くんだって汗をかいている。
みんな、限界まで疲れていた。
またしても道を戻り、印を確認して、また戻り、ついに最初の分かれ道まで戻ってきて、矢印のない方へ曲がる。若干だが上り坂だった。
「行き止まりだ」
先を偵察してきた練くんが小走りで戻ってきた。
青木さんを気遣って、練くんはかなり前を歩いて、行ったり来たりを繰り返してくれている。口では文句を言うけれど、先頭で気を張って、偵察で誰よりも動いてくれているのは彼だ。
「では、もう少し戻りましょう」
と、獅子戸さんが号令をかけた時、地念寺くんが壁を指差した。
「あの、こっちから見たら、そこに道が」
右手の壁に、確かに道……というか割れ目がある。
「ちょっと見てくる」
「一人じゃ危ないよ。私も」
飛び出した練くんに、私も続いた。
「なんか奥、明るくない?」
「本当だ、けっこう広いね」
私たちの会話に、獅子戸さんも覗き込んできた。
「風が吹いてきますね。どこかに出られるのかも……」
「ちょっと上り坂だし、いいかもしれないですね」
私たちは疲れていた。
それで、岩の割れ目という怪しげな場所に吸い寄せられてしまったのだ。
完全に判断を誤っていた。
周囲の岩が明かりを反射してキラキラと光るので、なんとなく明るい気がしていたが、空気はどんどん濁っていったのだ。
「なんか歩きにくい……引っかかる感じが……」
首を傾げた練くんが、足元を炎で照らす。
すると、地面は白っぽく濁っていた。
「ファングスパイダーの……巣かもしれない……」
怪談話でもするかのような地念寺くんの低音に、私は縮み上がった。
〈ファングスパイダー〉
〈粘液を飛ばして拘束して毒のある牙で麻痺させ巣に持ち帰る。養分を吸われると報告されている〉
「戻りましょう……!」
しかし時すでに遅かった。
「きゃああ!」
後方から富久澄さんの悲鳴。
振り返ると、人の背丈ほどある巨大なタランチュラの姿が……!
無数の赤い目が、ピカッと光って我々を捉えた!
練くんが反射的に狐炎を放つ。
その隣で、周囲を確認した地念寺くんが叫んだ。
「囲まれてます!」
獅子戸さんの鋭い指示が飛ぶ。
「神鏑木、そのまま注意をそらせ。蜘蛛の巣を使って感電させる。地念寺、足元を払えるか」
「いけます……!」
彼が手を振ると、私たちの足下の蜘蛛の糸が吹き飛ばされた。
獅子戸さんは、しゃがんで蜘蛛の巣を掴む。
私は大急ぎで富久澄さんと青木さんを引き寄せて、練くんに身を寄せた。地念寺くんもくっついてくる。
バチバチバチッ!!
全部で六体もいたファングスパイダーは動けなくなり、ビクビクと痙攣している。
「燃やしたほうがよくない? 追いかけてくるかも」
「そうですね。お願いします」
〈景気よくいこう〉
〈ガンガン燃やそう〉
コメントに煽られて、というわけでもないが、練くんは巨大な『火車』で巣を奥から燃やし始めた。
敵が巣ごと燃えて、黒い煙になっていく。
ぼんやり見ていないで、後退しなければいけなかった。
煙だって出ているのだから。
やはり我々は、限界まで疲れきっていたのだろう。
私は異変に気がついた。
もっと早く気づくべきだった。
「待って! 床が!」
床が氷でできていたのだ。
巣が燃えて、現れたのは溶けていく地面。
「あっ……!」
次の瞬間、私たちは穴に転がり落ちていった。
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