第7話 甘いおじさんの甘くない訓練

 はい、甘かった。

 見積もり、甘々でした。


 貸与されたジャージに着替えたあと、「軽いストレッチを」と言われて始まった準備運動の段階で、もう悲鳴をあげてしまった。


 比喩じゃなくて、しっかり本当に。


「痛い痛い痛い痛い!」


 十坪ほどに敷き詰められたゴム床の、丸見られの一角で、長座前屈だけで体がバラバラになりそうだった。


「本田さん硬いっすねー」

「いたーっ!」

「そんなに力、入れてないんですけどねぇ」

「ひーーー」


 どっちに伸ばしてもどっちに押されても全身が痛い。

 これが通勤以外で体を動かさないデスクワークの四十代というものなのか。十年前はもっと動いていたはずなのに。


 相手をしてくれているのは、見るからにスポーツインストラクターといった風の西園寺さんだ。


 さっき紹介してくれた様子からいって、獅子戸さんとは旧知のようだった。


「お疲れ様です」

と、二人が会釈し合うので、私も混ざってぺこぺこした。


「あ、氷結最高ランク、本田さんですね。西園寺です!」


 筋肉を見せつけるような半袖半パン姿。挨拶からして活力あふれる細マッチョ。肌がピカピカしていて二十代にも見えるが、場慣れした雰囲気もある。


「そうです」

と、私より早く獅子戸さんが肯定すると、その彼女に向かっても爽やかな笑みを返す。


「まぁ獅子戸さんだって最高ランクですけどね」

「能力の出力が最高ランクでも、内容が発電では大したことないので」


 爽やか青年にまで獅子戸さんはピシャリと言い切って、腕時計をちらりと見た。


「打ち合わせがあるので、十五時には戻ります」


 西園寺さんはそれでも「はい、あとは任せてください」と、にこやかに彼女を送り出した。


 それから三十分と経っていないのに、私は休憩を要求し、壁際まで這っていってペットボトルの水を煽った。


 振り返れば、同じように悶絶している大人が三人。


 同志がいて心が和んだが、戻るとまた西園寺トレーナーにあらぬところを伸ばされるのだ。


「あーー!」

「基本なんで、とりあえず股関節を柔らかくしましょう」


 中年たちが並んでひいひい言ってる地獄絵図。


 開脚側屈のために右腕を天井へ向けて、左側へ倒れていくとか、それだけでもう!


「わ、私は、歳のことなんてね、非可逆的なことですから、自分のことでも他人のことでも、責めるのも褒めるのも、言っちゃダメだと思ってるんです。『もう歳なんで』とか『まだお若いのに』なんて、そんなの、その人の人生で、今どの位置にいるかなんて、その人にしかわからないし、何事もタイミングと運だと、私は常日頃から思ってるんです! でも!」


と、痛みを紛らわしたい一心なのか、自分から次々漏れ出る言葉を制御できなくなっていた。


「でも! これだけは言わせてください! 四十肩で、腕は上がりません!」


「はーい、使えば治りますから、もう一回」

「ひー、勘弁してくださいー」


 いちいちこんな調子である。


 朝から軽快にトレーニングしていた肉体派の人々は、もうとっくに宿舎というところに帰ったそうだ。


「運動に慣れてない人たちには、とりあえず一日中体を動かすってことを体験してもらってます。それから、クールダウンにも時間をかけてるんです」


 そう説明されている間もぐいぐいぐりぐりやられている。


「そ、そうなんですね。ありがたいです」

「本田さんも明日からは朝のウォーキングでスタートですよ。夕飯の後、メニュー見といてください。体調によって当日組み替えたりもしますけど」


 ニコッと白い歯を見せられても悪魔に思える。


 爽やか筋肉悪魔から解放された私は、シャワーを浴びて着替えるのがやっとで、備え付けのベンチでぐったりしていた。人目がなければこのまま寝転んでしまいたい。


 そこへ獅子戸指導官が息を弾ませてやってきた。


 目が合うなり「いけますか?」と尋ねられ、私はてっきり宿舎に連れて行ってもらえるものと思って「大丈夫です」と、立ち上がった。


 ところが、到着したのは試験場だった。

 昨日私が気を失った現場、能力精密検査を行う白い部屋だ。


『本田さん、今日は状況判断ですぐに笑気ガス入れますので、安心してください』

と、鼻声青木さんの、ちっとも安心できない説明が天井のスピーカーから振ってくる。


『本田さん、これが終わったら夕飯ですので、頑張ってください』

と、高梨医師の声もする。今になっては、彼女が天使のように思える。


『どんな感じですか?』

と、獅子戸指導官からは無機質な問いが飛んでくる。


 私は冷たくなってくる手足の感覚に気を取られながら、現在の自分の状態を言葉にしようと努力した。


「中から勝手に溢れちゃう感じで、集中してないとダメになっちゃいそうです」


『……そうですか』


 獅子戸さんの返答に一拍の間があって、変なことを言ってしまったんじゃないかと焦る。と、心の乱れが冷気を呼んだのか、一気にぐっと寒くなった。


「あ、あの、今は短時間ですけど、これ、ダンジョンに入ったままだったら、私、どうしたらいいんでしょう」


 寒さで歯が鳴る。


『コントロールできそうにありませんか?』

「ひゃい……」


『今日はこの辺にしましょう。そのまま部屋を出てください。坂の途中からダンジョンの外です。能力は発動しません』


 福音を受けて、私はよろよろ部屋を出た。


 高梨さんがお湯の入ったカップを持ってきてくれたが、獅子戸さんは何やら考え込んでいる様子でこっちに注意を向けてくれない。


 格好良く氷の塊を投げたりできるのはいつのことやら。


 いや、そんな弱音を吐いている場合ではない。急いで一人前にならなくては。「おっさんやっぱ使えねー」って放り出されてしまう。


 しかしこの日は挽回のチャンスもなく解散となってしまった。しかも宿舎ではなく大事をとってと、また救護室に戻されてしまい、まったくいいとこなしである。



 明くる日も、朝から呼び出された試験場へ足を運ぶ。


 ところが、昨日と違って先客がいた。

 すらっと背の高い、若い男性だ。


「え?」と、驚いたが、向こうも「あ?」と、不遜ふそんな若者らしいしかめっ面。


 中性的な顔立ちだが、分厚い前髪で目が隠れそうだ。支給品のジャージではなくどこかで見たことあるような派手なオレンジ色のジャンパーと紺のズボン。


 彼は怪訝そうにこちらを振り返ったまま、無言だった。


『本田さん』と、スピーカーから獅子戸さんの声がした。『チームに加入する神鏑木かぶらぎれんさんです。あなたと同じく最高ランクの、炎を操る能力者です』


 直後、私と彼との声が被った。


「あ、消防士さんの服」

「は? おっさんじゃん!」


 はい、いただきましたー。



 

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