第6章 最終決戦へ

第89話 大事なことを忘れていたんです

 衝撃的な事実を明かされ無言の食事を済ませた私たちは、それぞれ寝袋に収まって横になった。


 緊急用にみんな足元を小さなランタンで灯していて、真っ暗闇というわけではない。


 私にとっては本物のダンジョンで眠るのも初めてのことだ。

 それでなくとも神経が昂って、眠れそうにない。


 ダンジョン攻略は無意味……

 それで私は……どうしたいのだろう……


 最高ランクだ、珍しい氷結魔法使いだ、なんて言われて、いい気分にならなかったかと聞かれれば、そんなことない。浮かれた。


 始まってみれば体力のなさに筋トレばかりの日々だったが、それは実生活にも良い影響を与えてくれたから問題ない。


 しかし、このまま『地下迷宮対策部』という、まやかしの組織に所属し、働き続ける意味はあるだろうか。


 いやいや、働くなんてもんじゃない。

 戦う、だ。

 命懸けだぞ?


 『凍つく鉄槌』との死闘。

 勝てたからいいものの、あんなの死んじゃうじゃん。

 やらなくていいなら、その方がよくないか?


 そう思った時、私の内側で〝凍える闇〟というやつが強く吹雪いた気がした。


「そうだ……、忘れていた……」


 あまりにも大切なことを思い出して、思わず独り言が漏れた上に、起き上がってしまった。


 すると視線の先に、頭を寄せ合う練くんと地念ちゃんが見えた。

 何か話している。そう思って耳をすませば、うっすら声も聞こえてくる。


「けど、どう言ったって嘘は嘘だし、俺は許せねぇ」

 声は落としているけれど、練くんの語気は荒い。


 それに対して地念ちゃんの声は冷静だった。

「その怒りはもっともだけど、問題は、真実を知った今、僕たちがどうするかってことだと思います」


 多少ムッとした練くんの声が聞こえてきた。

「それはわかってるよ。獅子戸さんだってそれを聞いてきたんだし。俺、あの人は許せるよ。ちゃんと謝って、俺たちに本当のことを言ってくれたし。だけど、組織ってところの連中には……」


「僕は……」と、地念ちゃんは、終わらない練くんの愚痴を切るように言った。「できれば大学に……研究に戻りたいと思ってます……。まるで利便性のためであれば環境破壊も厭わないというような、あの言いっぷりには辟易しました。でも……」


 言葉尻を濁すのは、まだ決心がつかないからだろう。

 練くんが、天を仰ぐのがわかった。


「俺だって、こんな嘘つき組織なんかにはもういたくないけどさ……」


 私も彼らに合流しようと立ち上がったが、それより早く富久澄さんが現れた。どうやら彼女も起きて話を聞いていたようだ。


「モヤモヤするよね」

と、彼女は二人の間に腰を下ろした。

「私もずっと、言われたことをどう考えていいのか迷っちゃって」


 そう語りながら、私にも目を合わせて微笑んでくる。

 寝転がっていた二人も身を起こした。


「おっさんも起きてたのかよ」

「眠れないねぇ」


「このダンジョンの前にも、こんな場面ありましたね」

と、地念ちゃん。


「そういえば、ホテルの自販機コーナーで乾杯したよね」

と、富久澄さんも思い出す。


 もはやなつかしいくらいの情景だ。

 まだ、使命感に燃えていたあの頃。


「まさか全部嘘だったなんて」

と、富久澄さんがつぶやく。それはただ思いを吐き出すものであって、悲しげではあったが、決して恨みがましいものではなかった。

「まだ整理がつかないだけど、でも……ずっと信じて頑張ってきた思いを、急には捨てられないっていうか……」


 誰もが、胸に抱えるものを言語化できない、そんな様子だった。

 気がつくと、私の後ろには獅子戸さんも起きていて、最後に青木さんも、おずおずと我々の輪に加わった。


 私たちは全員、車座になってしばらく静寂の中にいた。


「あの、私、大事なことを忘れていたんです……」


 この雰囲気の中で言い出すのはちょっと勇気がったが、私はさっき寝袋の中で思い至ったことを、みんなと共有することにした。


「人間にとっては茶番でも、アッシャにとっては本物の監獄なんじゃないでしょうか」


 視線が集まる中で、私は続けた。


「彼女の苦しみは、茶番なんかじゃありませんでした。どういう仕組みでこうなっているのかは知りませんが……フリューズも、ここを壊してくれって言ってたじゃないですか。だから、私にとっても、ダンジョンを攻略するのは、意味のないことじゃない、と思ったんです」


 言い終わると、場の空気が一変していた。


「そっか」

と、富久澄さんの顔に光が戻る。

「ここにも誰かが、本当に囚われているかもしれない……ってことですよね」


 彼女が力強くそう言ってくれて、私は「ええ」と、頷いた。


「私はダンジョンを探索し続けたいです」


「本田さん、私が引っかかってたこと、全部言葉にしてくれました!」

 興奮気味の富久澄さんに背中を押されて、私はさらに続けた。


「勝手に入ることができない以上、『地下迷宮対策部』の一員として、今後も活動する所存です」


「所存って……」

と、練くんは笑って、それから獅子戸さんの方に向き直った。

「俺も。現世げんせと折り合い悪いから、ここに残るよ」


 また古めかしい言葉を、と思ったけれど、ここは反応しないようにグッと堪える。


 次の考えを述べたのは地念ちゃんだった。彼は、前の二人よりも暗い面持ちだった。

「僕は……、もうしばらく考えたいです……」


「地念寺……」

と、練くんは非難めいた声で彼の名を呼んだが、私が制するよりも早く本人が口を開いた。


「意義は理解しました。僕には本田さんみたいな視点が欠けていた。まるで周辺の少数民族を辺境の蛮族と捉える大国の奢り……。でも、それでも、僕には研究がありますし、何より、やはり思想の合わない組織に所属していたくない……」


 私たちの答えを、うんうんと相槌しながら聞いていた富久澄さんが、にっこりと笑った。

「それでいいと思うよ。とにかく今回のミッションにみんな集中して、成功させようね」


「みなさん……、受け止めてくださって、ありがとうございます……」

と、それまで黙って成り行きを見守っていた獅子戸さんは、武士みたいに頭を下げた。

「どんな結論であってもみなさんの決断を尊重しようと決めていましたが、正直、残るという結論に至って下さって嬉しく思います」


 そんな大団円に、青木さんが割って入る。

「でも、この話は、くれぐれも内密に。決して漏らさないでください……!」

「じゃないと殺されるとか?」


 練くんが嫌味っぽく言ったが、青木さんの表情は固かった。


「そういうことも、ありえます……」


 わあ!

 DORAGO-Nって、思ってた以上に怖い組織なの!?


「まさか、言いふらさないですよ。大混乱になっちゃうでしょうから」


 他のみんなを見回した。

 バラしてやりたいって顔の人はいないようだった。


 そんなことより、自分の行く末を考えているのかもしれない。


「寝ましょう!」

と、獅子戸さんが号令をかけた。

「明日は『炎の皇帝』討伐です!」


「という名の演技だろ」と、練くん。

「まぁまぁ、そう言わずに付き合ってあげちゃおうよ」と、富久澄さん。

「かっこいい映像が撮れるといいですね」と、地念ちゃんは青木さんへ。


 その青木さんは、最後まで「みなさん、くれぐれも内緒に」とか「発言もそうですが行動も気をつけて、ちゃんと迫真でお願いします」とか、注意喚起に余念がない。


 私は薄暗がりの中で獅子戸さんを見た。

「私たちを、信じてくれてありがとうございます」

「それはこちらのセリフです」


 我々は、それぞれの寝袋へ戻っていった。

 

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