第98話 LABYRINTH

 後になってみれば、それは急に現れた、明らかに人工的な門だった。

 装飾まで施されていた。


 だが、その時は誰も疑問に思わなかったし、通り抜けてすぐそれが閉じられたことにも気がつかなかった。 


 五人はとにかく走っていた。

 余裕などない。


 壁は石のブロックで組まれた直線的なもので、広くなったり細くなったり、何度も分かれ道を通った。


「なんかいる……!」

 先頭の琉夏るかが急ブレーキをかけて道を戻ると、壁に背をつけ、息を殺して先を覗き込んだ。


「リビングメイルだ……。昨日氷結の方にいた奴らだろ?」

 振り返るとそこには、れると大地がいた。


 いや、二人しかいなかった、という方が正しい。


「え、どうすんだよ」と、話し方にも表情にも気を使えなくなったれるがすごむ。「炎なんか効かねぇじゃん。結城さん、優衣ゆいは?」


 一方通行だとはわかっていても、司令官のテレパシーに問いかける。


「しっ……」

と、大地が二人を制止した。


 カメラで確認する。

 と、すぐ先の通路を鎧が通り過ぎていった。


「本物なんて、ありえない……こんなの絶対やばいよ……」

 泣き言を言い出した琉夏の背中を、れるが叩いた。


「しっかりしろよ。お前が一番強いんだろ……!」


「無理に決まってんだろ、実戦経験ないんだから」

「みんなそうじゃん」


 そのとき全員の脳内に、結城の声が無遠慮に飛び込んできた。


「天井に穴がある。のぼれそうだから上から指示を出す! バラバラになって、ひとりずつの見せ場を作ろう!」


「あの馬鹿オヤジ」と呟いたのは、一人きりで途方にくれる優衣だった。「もうバラバラなんですけど……」


 彼女の腕の中には、大地のコントロールから外れたカメラが一台。


「ってか、だいたい鎧兵とか本物なわけないじゃん。うちらが真実に気づき始めてきたから、焦ったが混乱させようとしてきてるだけだって。最近かなり核心に迫ってきてる手応えあったから、いつかはこういう脅され方するって、わかってたんですけど」


 さも迷惑そうに一人演説を終えると、優衣はカメラを勝手に起動させた。


「やっとこの時が来た。あたしはパワハラ馬鹿オヤジと青春ごっこしたくてここにいるんじゃない。本気でジャーナリズム目指してんだから」


 きりっと前を見据えると、彼女はしっかりとした足取りで歩き出した。


「あたしが、このダンジョンの嘘を暴いてやる……」


 そんな単独行動など知りようもなく、天井に開いた穴から上へと這い出した結城は、愕然としていた。

 彼が立っているのは、なにもない、巨大な箱の上だったのだ。


「デカすぎる……」

 それは完全な独り言だった。


 上から見れば、何もかもを掌握できるのではないかと思ったのだが、ここまで登った苦労は無駄だった。


「いや、無駄なんかじゃない。この迷路が巨大だということがわかったんだ……!」


 司令官としてなんとか彼らを導かなければならない。その使命感が、結城を奮い立たせた。

「気を抜くな。この迷路はとてつもなく巨大だ。天井裏に出たが、暗くて終わりが見えない」


「そんなの言われてどうしろってんだよ!」

 れるは我慢ならずに悪態をついた。


 バラバラにと指示されても、せっかく一緒にいられた三人は離れたくない。


 しかし鎧兵に追い回されるうち、足の速い琉夏の背中は曲がり角に消え、画面越しに世界を見ていた大地は、れるさえも見失ってしまった。


 脳内に結城の声が響いてくる。

「いつもやっていることの延長だ。応用だよ。持てる力を出し切れば勝てる」


 しかしそれは虚しい啓示になっていた。

 もう誰にも、彼の言葉を受け取るだけの余裕などない。


「もうやだ! なんなの! こないで!」


 れるは技の名前を叫ぶのも忘れて、やたらに火の玉を投げ続けていた。振り返っては虚空に攻撃をし、でたらめに角を曲がる。


 そしてついに、絶望という名の行き止まりにぶつかってしまった。


 敵の足音は容赦無く迫ってくる。


「やだやだやだ!」

 れるは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「お家かえりたい……、もうやだ! こんなの聞いてない! 死にたくない! 助けて! 助けてーーーー!」


 泣き叫んで顔を上げれば、にじむ視界にゆっくりと近づいてくる甲冑の姿。


 もう何も考えられない。


 だらりと手足が弛緩する。


 全身に寒気が走り、世界が凍りついたようだった。


 いや、実際、辺り一面が凍りついていた。


 そして次の瞬間——……!


 ガシャーーーン!!


 れるの背後で、壁が砕け散ったのだ。


 慌てて身を固くしたが、彼女には小石の一つもぶつからなかった。

 見えないベールが守ってくれている。それを彼女は感じていた。


 鎧兵も凍って砕けた。

 きらきらと輝く氷の破片と砂煙。


 それらが晴れるなり現れたのは、こちらに向かって手を差し伸べてくる、後光の差した獅子戸の姿。


「助けに来たぞ!」


 れるはわずかな躊躇もなく、その手を掴んだ。


 

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