第49話 氷の星空
緩やかに上り坂を描いた氷の橋を渡り切ると、その後の道のりはスイスイだった。
まさに制圧済み。敵はおろか、嫌な気配さえなく、もはやバロメーターになりつつある青木さんの顔色も悪くない。
それでもまだどこか緊張は抜けない。現にところどころ、救出部隊とドラゴンのフリューズが交戦したせいで落石があり、地念寺くんがどかしてくれた。
「見えた」
という、先頭の練くんの声に首を伸ばすと、前回と同じように白衣の研究員が待ち構えてくれていた。
ただし今回は、五人も。
「おかえりなさい!」
「お疲れ様です!」
と、熱烈だ。
「配信見てましたよ!」
駆け寄ってきた彼らの興奮に、私たちは一気に飲まれた。
「すごかったですね!」
「もう大丈夫ですよ」
「ご苦労様です」
五人が獅子戸さんたちを通り過ぎて、私をぐるりと取り囲んだ。
ダンジョン内の、出入り口すぐ脇の研究施設にいる人たちだ。保冷用の容器が二つ用意されている。
「さあ、こっちに」
ニコニコ労いながらも目の奥が笑っていない。
手を差し伸べられて、私は身を固くした。
「え、なにがですか……?」
咄嗟に阿呆のフリをしたが、わかっている。
ステッキとドラゴンを渡せと言っているのだ。
「危険ですから」
「いえ、困ります!」
困るというより、なんだか嫌だ。うまく言語化できないが、これを他人に渡してはいけないと、私の本能がビンビン警報を鳴らしている。
苦楽を共にした氷結三班のみんなも同じ思いなのか、それとなく私と研究員たちの間に体を入れてディフェンスの構え。
しかし、一歩遅かった。
「あ!」
研究員と私の手からこぼれ落ちた氷のステッキが、地面に着く前に粉々に砕け散った。まるで手から離れた途端に、弾け飛んだかのように。
「ああ! 大変だ!」
と、白衣の男たちは一斉に、私を押しのけるようにして氷片を拾い集めては容器へ放り込む。
ただの氷に見えるがどうなのだろう……
すると、ジャージの襟裏に隠れていたフリューズがぽつりとつぶやいた。
「なるほど……」
そして私が何か聞き返す前に、彼は粉雪となって消えたのだった。お別れを言う間もなかった。
「なんてことだ……」
と、研究者たちは一様に肩を落としたが、即座に向き直って獅子戸さんと青木さんに詰め寄った。
「一体なにがあったんですか」
「ドラゴンはなにを言ってましたか?」
「計器を全て渡してください」
「詳しく聞きたいので研究所に」
「ちょっと!」
と、目を回す二人に代わって抗議したのは富久澄さんだった。
「みんな疲れてるんだから、治療が先ですよね!」
腕組みしてまなじりを釣り上げる彼女に、白衣の集団はしゅんと肩を落として引き下がる。
こんなふうに、みんなのためにと行動するときの彼女のパワーは凄まじいものがある。
元気で羨ましい。
おじさんは、また迎えをお願いしたいんですけど……
と思ったら、最後の坂を登り切った先で待っていたのは、車……。
「あ、もう来てくれてたんですね……」
まるで重力が変わったみたいにどっと疲れにのしかかられて、息も絶え絶え、膝に手をついて、顔を上げたら……
迎えどころではない数の車やジープ、装甲車まで止まっていた。
ずらりと並ぶ迷彩服と、私たちと同じ黒ジャージの人々も見える。
眩しいほど明るいと思ったら、それは車のライトだった。
「氷結二班だ……」
と、元メンバーの練くんは、知った顔を発見したようだ。
その瞬間、わっと歓声が上がった。
「見てたよー!」とか「あの技なに?」とか聞こえた気がするが、もうもみくちゃだ。三班みんな、タオルや銀の保冷シートで包まれていく。
「あ、どうもどうも……」
などと言いながら、差し出されるままストロー付きの容器から水を飲んだり、ゼリー状の食料を渡されたり。首を巡らせると他のメンバーもそんな感じで一斉に介抱されている。
気がついたら折り畳み椅子に座らされて、血圧を測られているじゃないか。
しかも、相手の顔を確認すれば、高梨医師だ。
「あ、どうも……」
お久しぶりですという気持ちで気の抜けた挨拶をしてしまうと、彼女は微笑んで、そしていきなり力強くハグをしてきた。
「異常ありませんよ! お疲れさまでした」
「あ、は、はい!」
血圧、上がってしまいそうです……
「精密検査は後ほど」
と、去っていく彼女を、ついつい目で追ってしまう……
あ、獅子戸さんと話して……ハグだ! ハグしてる!
次は隣にいた地念寺くんに……ハグ拒否されてる!
ハグ魔なのかもしれない……
ぼんやり眺めていたら、「本田さん、こっちです!」と、周囲の盛り上がりに負けない音量で、迷彩服の青年に促されてトラックの荷台へ。
左右に横向きのベンチシートがあって、右側の奥に練くんが座っていた。
なんとなく向かい側に座ると、続いて地念寺くんと獅子戸さんが乗り込んできて、最後に富久澄さんが乗ったところで出入口の幌が下ろされた。
「青木さんは?」
と、思わず、しかし当然のように富久澄さんに聞いてしまうと、彼女もすんなり答えてくれる。
「救急車に乗せられてました。元気そうでしたけど、大事をとってと」
「そうですか……」
力無い私の相槌。
それを最後に静寂の訪れる車内。
揺れるトラック。
幌の隙間から、夜景。遠くなる千葉ダンジョン。
誰もが、なんとなくそれを眺めていて、そして誰からともなく、みんなで顔を見合った。
二秒……、三秒……、四秒……
「ぷっ……」
と、最初に吹き出したのは練くんで、あっという間に笑いが伝染して、車内は大爆笑。運転手と助手席の人が驚くくらいに。
「なんだよ、おっさんあの、あれ」
と、練くんがステッキを振る仕草で私を見る。
「いや、だって、あんなの渡されたら……」
「変でしたよ」と、地念寺くんまで参戦してくる。
「地念ちゃんなんて大事なところでカミカミだったじゃない!」
興奮状態ということなのか、大変な冒険を共に終えた私たちは、なんだかおかしくてゲラゲラ笑って、手を叩いて、くだらないことを言い合った。
その隙間で、獅子戸さんが富久澄さんに声をかけていた。
「助かりました……、さっきの、ダンジョン内で研究員からの……」
「いえいえ」
と、富久澄さんが微笑む。
照れ隠しなのか、獅子戸さんは半透明のビニールでできた窓の外へ視線を流した。まだ腹を抱えて笑っていた青年二人も、思わずそっちを見やる。
「終わりましたね……」
獅子戸さんの声に、私たちも息をついた。
夜に沈んだ田園風景。
空には満天の星が、氷のように瞬いていた。
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