第8話 “婚約者”とお世辞
「そう言えば、雪城」
「何でしょう?」
ゲームをしている最中、由弦は愛理沙に話しかけた。
愛理沙はゲーム画面に視線を向けたまま、返答する。
数時間前までは操作すら覚束なかったが……今は由弦と話をしながらでもできるほど、上達している。
もっとも、対戦相手である由弦が下手というのも大きいのだが。
「君の料理、美味しかった。絶品だったよ」
その瞬間、愛理沙の操作しているキャラクターが奇怪な動きをした。
どうやらボタン操作を誤ったようだ。
「そうですか」
平坦な声で返してくる愛理沙。
……由弦の脳裏に、以前料理を褒めただけで驚いた“照れ屋”な愛理沙の姿を思い浮かべる。
(……これは、勝てるんじゃないか?)
負けが続き、そろそろ勝ちが欲しくなってきた由弦は心理戦を行うことにした。
「肉ジャガは美味かったな。甘さと塩味の加減も丁度良くて、それに旨味とコクもあった。鰹出汁が効いてたのかな?」
「今は新ジャガと玉ねぎが美味しい季節ですからね」
「作ってくれる味噌汁は絶品だった。具と出汁のバランスが丁度良かった。鰹節や昆布から、出汁を取っているところは本当に凄い。最近の顆粒出汁はよくできているし、下手な奴が出汁を取ろうとすると却って美味しくなかったりするんだが……やっぱり上手な人が出汁をきちんと取ると、全然違うんだなって。あと、これは個人的な好みなんだが……あっ!」
愛理沙の料理を褒める言葉を考えていた所為で、集中力を欠いていた由弦は、愛理沙のキャラクターの必殺技を食らい、見事に敗北した。
「策士策に溺れるとは、このことですね」
「気付いていたか」
「露骨過ぎるお世辞ですからね。大体、唐突過ぎますよ。あまりにもわざとらしかったです」
全くもってその通りである。
が、一部訂正しなければならないことがある。
「過剰に言ったのは本当だし、お世辞気味ではあったかもしれないけど、美味しいのは本当だったよ。味の感想もね」
「そうですか。まあ、料理はそこそこ得意ですからね。不味いはずがありません」
そう何度も同じ手は通用しないということか。
由弦の褒め言葉にも、特に動揺した様子は見せず、いつも通りの微笑を浮かべている。
折角なので、由弦は料理を中心に会話を進めることにした。
「料理、好きなのか?」
「……別にそういうわけではないですよ。慣れてはいますけど。普段、家で料理をするのは事実です」
「へぇー、それは凄い。君の料理を食べられる人は、幸せだな」
「……そうでしょうかね?」
そう言って愛理沙は小さな笑みを浮かべた。
それは照れ笑いとは少し毛色の違う、自分自身を嘲るような、皮肉気な笑みだった。
「高瀬川さんみたいに、お世辞でも褒めてくれると作り甲斐はありますけど」
「別にお世辞じゃない。君の料理は本当に美味しかった。また食べたいなって、思うくらい」
「……そうですか」
すると愛理沙は由弦に向き直った。
正座をして、背筋をピンと伸ばし……改まって表情を浮かべ、長い睫毛に覆われた翡翠色の瞳を由弦に向ける。
思わず、由弦も姿勢を正した。
「ど、どうした?」
「じゃあ、今日、食べますか?」
「え?」
「ケーキもご馳走になりましたし、良かったら……お作りします。嫌なら、良いですけど」
思ってもいない提案だった。
五時半頃。
白米。
葱と豆腐の味噌汁。
和風ハンバーグ(付け合わせに大根おろし、焼いた茸、茹でたブロッコリー)。
根菜の煮物。
ほうれん草のおひたし。
出汁巻き卵。
冷奴。
と、想像以上に豪華な食事が食卓に並んだ。
以前、愛理沙が由弦に作ってくれた時よりも二品多い。
「そう言えば……普段はおかずを四品以上、作っているって言ってたな」
ぽつりと由弦は呟いた。
あの時の言葉は嘘偽りではなく、普段から一汁三菜に+αを作っているのだろう。
由弦としては驚くばかりであるが、愛理沙は何でもないという表情だ。
「大したことはありませんよ。冷奴なんて、お豆腐を買って来て、出しただけですし」
それを抜きにしても、四品もおかずがある。
普段からこれを作っているとなると……相当な重労働ではないだろうか?
とはいえ、それについて由弦は口には出さなかった。
「悪いな。こんなに豪華で美味しそうな物を作ってもらって」
「ケーキとゲームのお礼です。材料費は折半で、私も食べさせてもらいますし……普段から作っていますから、どうということはありません」
「いや……ケーキとゲームは介護してくれたお礼なわけで、返されると困るんだが」
由弦は苦笑いを浮かべる。
貸し借りの応酬でいろいろなことが有耶無耶になっているような気がする。
「ところで、普段は君が家で作っているんだろう? ……その、君のご家族の夕飯は大丈夫なのか?」
ふと、気になったことを由弦は尋ねた。
すでに愛理沙は由弦に夕飯を振るまい、ついでに一緒に食べてくることを養父母に連絡している。
愛理沙の料理をまた食べたかった由弦はその好意に甘えてしまったが……そんなことをして彼女が養父母に怒られないのか、心配だった。
「高瀬川さんに手料理を振舞いたいと、そう伝えたら、心と胃袋を掴んで来いと、そう命じられましたよ。そんなに欲しいんですかね? 結納金」
僅かに口角を上げ、小さく鼻で笑ってからそう言った。
自嘲するような、そしてどこか小馬鹿にするような、そんな笑みだ。
「心はともかくとして、胃袋の方は掴まれているけどね」
「お上手ですね」
「いや、本当だよ。しばらくの間、雪城禁断症に悩まされたくらいだ」
「下らない冗談です。……早く食べましょうか。冷めてしまいます」
呆れた表情を浮かべ、冷ややかな声でそう言った。
料理よりも先に空気の方が冷めた。
由弦は手を合わせてから、箸を取った。
取り敢えず、味噌汁を一口飲む。
「うん、今回も美味しいな」
「そうですか。まあ、作り方は変えてませんから。同じ味なのは当然ですが」
「安定した味が出せるってのは、やっぱり料理上手な証拠なんじゃないかな?」
「お世辞が過ぎます。分量を覚えていれば、どうということはありませんよ」
愛理沙は淡々とそう答えた。
あまり言葉を重ねても薄っぺらくなるだけだと判断した由弦は、愛理沙の料理の味に関して細かい感想を口にするのは止めた。
口は出さずとも、美味しいなと思いながら、由弦は箸を動かす。
すると……
「……そんなに美味しかった、ですか?」
半分ほど、食べ終わってから愛理沙がそう尋ねてきた。
今更どうしてそんなことを聞くのかと、由弦は疑問を抱く。
「それはさっき、伝えたはずだけど?」
「いえ……本当に美味しそうに食べて頂いたので」
愛理沙はそう言ってから、料理の殆どが消えている由弦の皿へと視線を向けた。
そしていつも通りの冷静な声で尋ねた。
「お代わり、いりますか? ハンバーグと煮物とお味噌汁が、まだありますけど」
「是非、頂きたい」
「そうですか」
愛理沙は由弦から空になった皿を受け取ると、立ち上がった。
そして由弦に背を向けて、台所へと向かってしまう。
その表情は確認できなかったが……
一応、お世辞ではないことは伝わっていると、由弦は確信できた。
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