第33話 父と息子

 春期休暇。

 由弦は実家に帰っていた。


 寝間着替わりの和装に身を包んだ由弦が縁側を歩いていると……


「月見酒か? 父さん」

「ああ、今夜は月が綺麗だったからね」


 グラスを手に掲げながらそう答えたのは、由弦の父。

 高瀬川和弥だ。

 ガラス製のコップの中には透明な氷と、黄金に光る酒が入っている。


 クォーターである彼が和装で身を包み、縁側に腰を掛けて酒を飲んでいる姿は……

 不思議と様になっていた。


「月見酒なら、日本酒じゃないか?」


 由弦は和弥の隣に腰を掛けながら、そう言った。

 すると和弥は少し拗ねたような口調で返した。


「良いじゃないか。俺はこっちの方が好きなんだ」


 そう言って、用意していたもう一つのグラスへと、酒を注ぐ。

 そして由弦に手渡した。


「君もこっちの方が好きだろう? ……確か、ストレートの方が好きだったよね?」

「一か月で高校二年になる息子に、酒を進めるなんて……悪い父親だなぁ」


 由弦は冗談混じりにそんなことを言って……

 グラスを手に取り、酒を口に含んだ。

  

 そして箸を手に取り、目の前にある煮物を摘まむ。

 里芋を咀嚼し、飲み込んでから苦笑した。


「ウィスキーの肴に、煮物とは」

「飲むなら残り物を消費してって言われてね……」

「はは……」


 父親に対して夕食の残り物を押し付ける母親の姿が脳裏に浮かんだ。

 和弥は決して妻――彩由――に頭が上がらないというわけではなく、むしろ彩由は和弥を立てているくらいなのだが……

 こういう時は強く主張できないようだ。


「愛理沙さんに婚約指輪を送ったそうだね。天城さんから聞いたよ」


 和弥はそう言ってから、苦笑する。


「それなりに良い物を送ったそうじゃないか。……大変だったんじゃないか?」

「いや、まあ……それでも婚約指輪として渡すなら、ちゃんとした物が良いかなと思ってさ」

「ふむ、まあ……大事なのは気持ちだが、プレゼントの質や労力は、気持ちの指標にはなるからね」


 和弥は目を細めた。

 それから由弦に尋ねる。


「ところで念のために聞いておくけれど……ちゃんと“高瀬川家”として正式な婚約指輪を買うことになるのは、分かっているよね?」


「それは、まあ……勿論。愛理沙も婚約指輪は自分で選びたいだろうし。あれは……プロポーズリングのつもりで送ったよ」


 由弦がそう答えると、和弥は満足そうに頷いた。


「分かっているならば、結構。……仮にも高瀬川の次期後継者ともあろう者が、有名なブランド品とはいえ、そこらの既製品を婚約者に送ったというのは、あまり良くないからね」


 由弦が愛理沙に送った指輪は決して安物ではない。

 むしろ高校生がバイト代で購入したことを考えると、あまりにも高過ぎる品物と言える。


 しかし“高瀬川家”としては安物の部類だ。


「そういうのは、何と言うか……」

「不満?」

「いや、まあ、そうだね。高ければ良いというものじゃないだろう」


 由弦がそう答えると、和弥は諭すような口調で語り始めた。


「もっとも大切な相手である婚約者に対する、非常に大事な婚約指輪で……」


「婚約指輪で、安物を送るような男が、果たして自分たちに資金を援助してくれるだろうか? 投資をしてくれるだろうか? 次期後継者はとてつもなくケチなんじゃないか……そう思われるのは不都合だと、そういうことだろう? 分かっているよ」


 和弥の言葉を遮るように由弦がそう言うと、和弥は嬉しそうに口角を上げた。


「よく分っているじゃないか。金の切れ目が縁の切れ目。実利を齎してくれない相手には、誰も従わないし、助けてもくれない」

「金で買えない人間関係も、世の中にはあるんじゃないか?」


 由弦が反抗半分、冗談半分でそう言うと……

 和弥はおどけた様子で肩を竦めた。


「驚いた。君は政治家や投資家、マスコミ、官僚のおじさんおばさん連中と、深い愛や友情を育みたいと思っているのかい? まあ、止めはしないけどね」


「い、いや……それはお金だけの関係で良いかな」


 由弦が苦笑しながらそう言うと、和弥は機嫌良さそうに由弦の背中を叩いた。


「それが良い。友情や愛というものは、金で切れないからこそ尊いし、いざという時に頼りになる。大切にしなさい」


「言われずとも」


 由弦は短くそう答えて、グラスに口を付けた。

 舌の上で酒を転がしながら……ふと、愛理沙のことを思い浮かべる。


「もっとも大切な相手と言えば、愛理沙のことだけれど」

「急に惚気て、どうした?」

「父さんはどこまで、知っていた?」


 先ほどとは少しだけ、トーンを下げながら由弦は父に問いかけた。

 和弥は笑みを浮かべたまま、しかし瞳だけは冷静に、由弦に返す。


「知っていた、とは?」

「愛理沙の家庭環境について」


 僅かに。

 ほんの僅かに……空気が張り詰める。


「愛理沙の家庭環境はあまり良いとは言えない。叔母から暴力を受けている」

「……ふむ、それは本当か?」

「恍けないでくれ。俺でも分かることが、あなたに分からないはずがない」


 由弦は冷静な声でそう切り返した。

 

「高瀬川の次期後継者に宛がう相手だ。当然……事前に隅々まで調べ上げただろう? 良善寺を使えば簡単だ」


 高瀬川の次期後継者の妻になる人物に、“問題”があってはいけない。

 身長から体重、スリーサイズ、持病の有無、学歴、性格、思想、宗教、過去、そして人間関係……

 徹底的に調べ上げたはずだ。

 由弦ですら簡単に察しがつくことを、和弥や祖父である宗弦が気付かないはずがない。


「知ってて、何もせず、俺に何も伝えなかったんだね」


 責めるような口調で由弦はそう言った。

 すると和弥は……


「別にそんなこと、伝えずとも君なら分かるだろうと思ってね」


 あっさりと、知っていて黙っていたことを認めた。

 そして苦笑いを浮かべる。


「そもそも調べずとも表情や態度を見れば分かる。彼女が結婚を嫌がっていることも、養父母に怯えていることも、一目で分かったよ。……分からない方がおかしいだろう」


 人生経験の浅い由弦ですらも、分かったことだ。 

 由弦よりも遥かに人生経験を積んできている和弥に分からないはずがない。


「報連相はしっかりしなさいと、あなたはいつも俺に言っていたじゃないか」


「まあ、そうだけど。……君が傷つくと思ってね。君の望み通り……とはいかないまでも望みに近い女の子を連れてきたのに、その子が君と結婚するのを嫌がっているというのは……ね」


 そもそも由弦も婚約は嫌だったので、別に傷ついたりはしない。

 が、親としてはある程度、息子を心配するのも当然の懸念……

 ではあるが、それでも婚約者の家庭環境は、婚約者が虐待を受けている可能性があることは重要なことして伝えるべきではないか。

 由弦がそう問い詰めようとすると……


「それに、それほど重要なことだとは思わなかったからね」


 悪びれもなく、あっさりとそう言った。


「重要なのは彼女が天城の娘であるということだからね。……いや、そもそも天城の娘に拘る理由も、こちらにはない。結婚をしなければ、どうしても取引に支障をきたすというわけでもない」


 和弥は雪城愛理沙のことを個人的に、人間として、息子の婚約者として気に入っている。

 だが、しかし。


 愛理沙に見出している価値は、彼女が天城直樹の縁者であるという点と……

 息子の無理難題我儘に完全に合致しないまでも、非常に近いという点だけだ。


「重要なことではない、か」


「勿論、天城さんの方が愛理沙さんのことを嫌っている、どうでも良いと思っているならば、問題だけれどね。……最初期の交渉で、二人いる娘のうち息子さんと年が近い方はどうだろうかと言われた時は、舐められているのかと思ったよ。“いらない方”をこちらに押し付けるつもりなんじゃないかとね」


 和弥からすれば、天城直樹と直接血の繋がりがない愛理沙よりも、血の繋がりがある、実の娘である天城芽衣の方が都合が良かった。

 だからこそ、天城芽衣の方を最初は要求したのだ。

 ……もっとも、由弦が金髪翠眼色白巨乳美少女ありさを求めたので、急遽愛理沙の方になったのだが。


「しかし呆れたことに……彼はどちらに対しても等しく愛情を注いでいるつもりらしい。まあ、何と言うか。不器用だね、彼は。もっとも、こちらとしては都合が良い。天城さんから愛理沙さんへの、一方的な“片想い”であれば……こちらが有利だ」


 愛理沙は高瀬川と天城を繋ぐ橋であり、同時に鎖でもある。

 通常、このような政略結婚は相手方を縛るのと同時にこちら側もある程度縛られることを覚悟しなければならないが……


 天城直樹の方が一方的に愛理沙を大切に思っていて、一方で愛理沙の方が天城直樹に対して、天城家に対して良い感情を覚えていないのであれば、高瀬川としては非常に好都合だ。


 愛理沙が天城に利する可能性が低くなるからだ。


「と、正直に白状させて貰ったよ。それで……やっぱり、怒っているかな?」


 和弥の問いに対して……

 由弦は静かに首を縦に振った。


「大切な相手を、道具扱いされて……怒らない人間がいるか? それが実の父親であっても」


「……そうだね、君の言う通りだ。俺が全面的に悪かった。勿論、君の気持ちはよく分っているよ。俺も、父さんに彩由を道具扱いされた時は、憤った」


 それは謝罪だが、同時にこう言っているようにも思えた。

 お前も自分の同類だ、と。


 由弦は静かにため息をついた。


「大事なのは過去のことへの謝罪ではなく、未来だと思うんだ。建設的な話をしよう、父さん」

「ふむ、建設的な話とは?」

「俺は愛理沙が一番大切だから」


 由弦ははっきりと、そう宣言した。

 

「大切というのは、二重の意味だ。絶対に愛理沙を手放したくないと思っているし、同時に愛理沙を幸せにしたいと思っている。勿論、俺の手で」


「ふむ……それで?」


「“高瀬川”は二番目、もしくはその手段だ」


 そう言って由弦は父親の顔を見た。

 かつては見上げていたが、今は由弦が僅かに見下ろす形になっている。


「だから愛理沙を俺から取り上げようとしたり、愛理沙を不幸にするようならば、全力で反抗させてもらうよ」

「反抗かぁ……具体的には?」

「家を割らせてもらう」


 和弥の表情から笑みが消え去る。

 じっと二人は見つめ、否、睨み合う。


「それは困る……とても困るね。分家を巻き込んだお家騒動を起こされたら、大変なことになる」

「ああ、その通りだ、父さん。身内同士で争うことほど、愚かで非生産的なことはない」


 由弦の言葉に和弥は同意するように頷いた。

 そして自分の顎に触れながら、僅かに口角を上げた。


「ふむ、しかし……逆説的に言えば愛理沙さんがいる限り、君は俺に逆らえないわけだね」

「その通りだね。そしてあなたは俺を敵に回したくなければ、愛理沙を大切に、家族として扱わなければいけない」


 その場をしばらくの沈黙が支配した。

 ピンと張りつめていた空気は……


「……っふふ、はは、あはははは!!」

「っく、はは、あはははは!!」


 二人の笑い声で一気に緩んだ。

 

 和弥は楽しそうに笑いながら言った。


「由弦、言っておくけどね。俺だって血も涙もない人間じゃあないんだ。君の……息子の幸せを願っているし、好きな人と結ばれて欲しいと、恋を応援する気持ちはあるんだよ。そして大切な息子の婚約者ならば、当然、尊重するさ」


 一方、由弦も笑いを噛み殺すようにしながら答える。


「勿論、分かっていますとも。……敬愛していますよ、お父さん。世界の誰よりも」


 そして二人はグラスを掲げた。


「高瀬川の繁栄と……」

「永遠の親子の絆に」


 カツン、とガラスとガラスが触れ合う。


「「乾杯」」






______________________________________



というわけで三章はこれで完結です。

まあ、とりあえず第一部完ということで。

四章は順当にいけば火曜日になりますが、作業が進まなければキャラクター紹介と第一部あとがき的な話を投稿して、お茶を濁すかもしれません。


ここまでの話を読んで面白い、第一部完結おめでとうという方はフォロー、レビュー(☆☆☆を★★★に)をしてついでに一巻を買い、宣伝していただけると励みになります。






また近況ノートにも書きましたが、二巻の発売が決定しました。

時期はまだ未定ですが、二巻もよろしくお願いします。

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