第14話

 由弦と愛理沙は無事にアメリカの大学院に進学した。

 慣れない異国の地、異なる言語と文化に戸惑うこともあったが……二人ともすぐに慣れた。

 

 時はあっという間に過ぎ去り、修了まで半年ほど。

 二人は修士論文に取り掛かっていた。


「愛理沙は今、どんな感じ?」


 場所は大学近くのマンション。

 本を読んでいる愛理沙に由弦はそう尋ねた。


「全然、進んでないです……。とりあえず、大学にある文献は一通り目を通したのですが。足りないので、他の大学にも照会を掛けると思います」

「そ、そうなんだ……」


 愛理沙の言葉に由弦は心臓がドキドキするのを感じた。

 恋のときめきではない。

 

 もしかして、俺の進捗状況、遅すぎるのでは……という焦りのドキドキだ。


「由弦さんは?」

「う、うーん、まあ、とりあえず使う文献の目星はついたかな……?」


 実のところ、由弦はまだ調べ物もまともに終わっていなかった。

 今は文献を探している最中。

 文献を読むのはこれからだ。


「私が言えることではありませんが……ちゃんと修了してくださいよ?」

「わ、分かってるよ」


 愛理沙の忠告に由弦は何度も首を縦に振った。 

 そんな由弦の様子に不安を覚えた愛理沙は続けて尋ねる。


「修論もですが、単位も大丈夫ですよね? まだ全部、取り終えていないんでしょう?」


 愛理沙は修論など、二年生にならないと取れない単位以外は全て取り終えていた。

 しかし由弦はまだ必要な単位が残っている。

 もちろん、数は少ないが……。


「今期で取り終える予定だから、そこは安心してくれ」

「そうですか? ……必須単位、取り忘れてたとかやめてくださいよ?」

「そこまで間抜けじゃない。……そういう愛理沙こそ、学部生の頃、登録忘れしてたことがあったじゃないか。大丈夫か?」

「不安にさせないでください。……もう十回も確認しましたよ」


 そう言いながらも愛理沙は携帯を取り出した。

 どうやらまた不安になってしまったらしい。

 自分のアカウントで大学の公式ページにアクセスし、単位を確認する。


「……大丈夫です。見てください、ほら。大丈夫ですよね?」

「あれ? 愛理沙、この単位……」

「え、何か、おかしいですか?」


 由弦の呟くような声に愛理沙は顔を青くさせる。

 そんな愛理沙に対して由弦は真剣な表情で答える。


「冗談だ……いたっ!」


 パシン! 

 と愛理沙は由弦の頭を強く叩いた。


「揶揄わないでください」 

 

 そう言って頬を膨らませ、顔を背けた。

 

「ごめん、ごめん」

「……ごめんで済むなら警察はいらないです」

「何でもするからさ」

「……何でも、ですか?」

「うん、何でも」

「じゃあ、今晩……」


 愛理沙はほんのりと頬を赤らめ、由弦にして欲しいことを囁こうとする。

 が、その前に由弦の携帯が振動した。

 電話だ。


「あー、すまない。……ちょっと出てくる」

「あ、はい」


 由弦はそう言ってその場から離れた。

 せっかくの雰囲気に水を差される形になった愛理沙はモヤモヤした気持ちになりながらも、由弦を待つ。


 由弦は十五分くらいで戻ってきた。


「長かったですね。誰からですか?」

「亜夜香ちゃんから。……修論、どうしてるかって」


 亜夜香も大学を卒業した後、大学院に通っている。

 もっとも彼女はアメリカではなく、イギリスだが……。

 入院・修了時期はほぼ同じなので、修了スケジュールもさほど変わりはないはずだ。


「へぇ……亜夜香さんはどんな感じなんですか?」

「まだ何を書くか、全然決まってないって」

「さすが、大物ですね……」

「無計画なだけだよ」


 由弦は小さく肩を竦めた。

 無“計画”。

 ふと、その単語を聞いた途端、愛理沙は大事なことを思い出した。


「そう言えば由弦さん。結婚式、どうなってますか?」

「え? け、結婚式!?」


 愛理沙の言葉に由弦はビクっと体を震わせた。

 由弦の態度に愛理沙は少しだけ引っかかりを覚える。


「準備は順調に進んでいるけど……」


 すでに会場は予約済みで、日付も決まっている。

 今は招待客のリストを製作中だ。

 もっとも、こちらは主に由弦の祖父や父が主導しているため、今は由弦がすることは特にない。


 修論に集中しろ。 

 新郎が留年なんていう大恥は掻かせてくれるなよ。

 と、ありがたいお言葉を貰っている。


 ちなみに就職先は決まっている。

 アメリカの有名企業だ。

 大学院を修了してから、入社する予定になっている。


 高瀬川家傘下の企業ではないのかと思うかもしれないが、最初からコネ入社すると角が立つ。

 由弦の成長にも繋がらない。


 両親と祖父からは数年修行して来いと言われている。

なお、愛理沙もこのままアメリカの大学で博士課程に進む予定だ。


「千春さんから色の良い返事は貰えたかなと」

「あぁ、そっちか……。うん、家としてではなく、個人としてなら問題ないそうだよ」

 

 千春は日本で大学院に進んでいる。

 修士課程で勉強をしながら、既に実家の神社業の方を手伝ったりしている。

 由弦も愛理沙も最近はあまり顔を合わせられていない。

 もっとも、夏季休暇等、日本に戻った時は会ったりしているし、メールでのやり取りは頻繁に行っている。


「……そっち? 何か、あるんですか?」

「え、あ、いや、別に?」

「最近、由弦さん。何か、こそこそしてません?」


 愛理沙はそう言って首を傾げた。

 愛理沙の問いに由弦は露骨に目を逸らした。


「……まあ、追及はしませんけど。ちゃんと修士課程は修了してくださいね。結婚式で新郎が留年、就職も御破算になりました……というのは恥ずかし過ぎるので」


「もちろん」


 自分の父や祖父と同じことを言う愛理沙に、由弦は神妙な表情で頷いた。

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