第13話

 成人式から一年と三か月。

 由弦と愛理沙は大学四年生に進級した。

 その日、二人は大学近くのファミレスで勉強をしていた。


「ふぅ……」


 由弦は小さなため息をつき、大きく伸びをした。

 そんな由弦を見て、愛理沙もペンを止める。


「休憩ですか?」

「そうだね。……何か、飲み物でも持ってこようと思っているんだけど、いる?」

「じゃあ、アイスティーをお願いします。


 由弦は気分転換も兼ねて席から立つと、ドリンクバーから自分用のアイスコーヒーと、愛理沙のためにアイスティーを淹れた。

 席に戻ると、愛理沙はメニュー表を眺めていた。


「何か、頼むの?」

「はい。少しお腹が空いたので……軽食を。由弦さんは何か、食べたい物はありますか? 私はフライドポテトを頼もうかなと、思っているのですが」

「特にないかな。……愛理沙のフライドポテト、摘まませてくれ」

「分かりました」


 愛理沙はタッチパネルを操作して、フライドポテトを注文した。

 それからアイスティーに口を付けて、小さく微笑む。

 由弦はそんな愛理沙に尋ねた。


「勉強、どんな感じ?」

「調子はいいと思います。例年通りなら、問題なく通るかなと。……由弦さんは?」

「俺も過去問通りなら大丈夫かなと……。後は口述試験かな?」

「それはなるようになるしかないですね……」


 大学卒業後、由弦と愛理沙は大学院への進学を目指している。。

 愛理沙は自分自身の将来のため。

 由弦は特別、学問に興味はないが……父親から「修士号はあった方が箔が付く」と言われたため。

 それぞれ、勉強中だ。


ちなみに順当に合格すれば、アメリカの大学院に進学することになる。


「ところで、愛理沙。結婚式についてだけどさ」

「はい」


 由弦の言葉に愛理沙は姿勢を正した。

 結婚は大学を卒業した頃にしようと、前から決めていた。

 もうそろそろだ。


「気は早いけど、俺が大学院を修了してから就職するまでとか、どうかな?」

「いいと思います」


 由弦の問いに愛理沙は頷いた。


 結婚式にはいろいろと準備がいる。

 就職してからだと、時間が取れないこともあるだろう。

 精神的にそれどころではないかもしれない。

 それを踏まえると、修士課程を終えた後から、就職するまでの間がもっとも時間的・精神的な余裕がある。


 ……大学を卒業した年の春休みでも余裕はあるかもしれないが、新郎の就職が決まっていないのはあまり良くない。


「新婚旅行も……ですか?」

「そうだね。就職してからだと時間も取りにくいし」


 愛理沙の問いに由弦は頷いた。

 結婚式だけならともかく、新婚旅行のことを考えると、やはり時間には余裕があった方が良い。


「入籍はどうしますか? 先ですか? 後ですか?」

「そこはどっちでもいいけど……まあ、あまり日が空くと良くないかな?」


 結婚式は花嫁・花婿のお披露目という意味もある。

 高瀬川家の関係者たちに、次期後継者がしっかりと結婚したこと、次代も安泰であることを示すのだ。

 だから入籍と結婚式は極力、同時期が望ましい。

 結婚式をあげたのにいつまでも入籍していないと、騒ぎ出す可能性がある。


「なら、入籍を先にしましょう。……特に理由はないですが、気持ち的に」

「分かった。そうしよう」


 由弦としても……というよりは“高瀬川家”としても、入籍してからの方が都合が良い。

 その方が招待客は安心する。

 由弦としては愛理沙と一緒になれればそれで良いので、法的地位に拘りはないが……。


「結婚式ですけれど……えっと、高瀬川家は伝統的にプロテスタント式でしたっけ?」

「まあ、そうだね。伝統というよりは、付き合いの問題だけど」

「付き合い、ですか?」

「結婚式や葬式を合わせることで、結束を高める……みたいな?」


 由弦は苦笑しながらそう言った。

 高瀬川家とその親族、およびその派閥の人々はプロテスタントを信仰している人が多い。

 熱心な人もいれば、聖書をまともに読んだこともないような人もいるが……掲げている看板は同じだ。

 

 同じ経験や考えを共有することで、金銭や血縁以外の結びつきを作っている。


 それがなくなったところですぐに瓦解するということはないが、動揺は走る……かもしれない。

 かもしれないなら、やらない方が良い。

 やらないで欲しい。

 と、由弦は父と祖父からやんわりと釘を刺されていた。

 


「本当は二人で話し合って決めるべきだとは思うけど……」

「大丈夫ですよ。結婚式と言えば、ウェディングドレスだと思っていましたから」


 申し訳なさそうな表情をする由弦に対し、愛理沙は笑顔を浮かべて言った。

 愛理沙にとって結婚式と言えば、純白のウェディングドレスだ。

 伝統や付き合いなど、しがらみが多そうなのは少し堅苦しく感じるが……。

格式ある結婚式というのも、趣があり、素敵だ。 

それはそれで思い出に残る物になるだろう。


「それに二回目も挙げて良いんですよね?」


 由弦の両親は結婚式を三回挙げたという話を愛理沙は覚えていた。

 自分も複数回、挙げて良いとも。

 二回目以降なら自由にしても良いとも。


 普通は費用の問題もあり、複数回挙げることはしない。

 しかし自分はできるのだ。

 至れり尽くせりだ。

 不満など、持ちようがない。


「もちろん。……二回目、やりたい?」

「うーん、まだ分からないです。一回目で満足できるかもしれないですし……」


 一度目の結婚式は高瀬川家が主導するため、愛理沙の意見は反映されにくい。

 しかしだからといって、嫌な結婚式になるとは限らない。

 案外、それで満足できればわざわざ二回も挙げたいとは思わないだろう。


「二回目に挙げることに拘らなくてもいいよ。愛理沙が挙げたい結婚式を言って見て」

「うーん、そうですね」


 由弦の言葉に愛理沙は考え込んだ様子を見せた。

 それから遠慮がちに答える。


「個人的には……やっぱり、二人の結婚式ですから。その、挨拶回りだけで疲れちゃうとかは、結婚式自体を楽しめないかなと思います。由弦さんと友達と……楽しい時間を過ごしたいです」


「そうか……。そうだよね」


 愛理沙の本音に由弦は少しだけ申し訳ない気持ちになった。

 愛理沙の希望は一度目では叶わないかもしれない。

 高瀬川家の面子に掛けて、盛大な式を行うことになるからだ。


「式自体は何度も挙げたいとは思いません。ただ披露宴……というか、パーティーは楽しい思い出になるものができればなと思います」

「分かった。覚えておくよ」


 “楽しい思い出”にするには、やはり“知らないおじさんたち”はいない方が良い。

家族や親しい友達だけを呼んでパーティーをするというような形になるだろう。

 親しい友達――亜夜香たちも都合もあるだろうから、彼女らにも相談しなければならない。

 由弦がそんなことを考えていると……。


「ところで由弦さんは希望、ありますか?」

 

 愛理沙にそう問いかけられた。

 由弦は思わず首を傾げる。


「俺の希望?」

「二人の結婚式ですから。由弦さんの希望も大切でしょう?」

「なるほど。それもそうだね」


 正直なところ、由弦は愛理沙とは異なり、“結婚式”自体に拘りはない。

 そもそも挙げたいという気持ちは薄い。


 ちょっとした、結婚記念になるようなモノであれば何でもよいと思っていた。

 記念撮影だけでも十分というのが本音だ。


 とはいえ、これを正直に言うのは憚られた。

 何だか、興味がないように捉えられてしまう。


「うーん、難しいなぁ。愛理沙のウェディングドレスは見たいし、身内だけで気楽な挙式をしたい気持ちはあるけれど」

「私と同じじゃないですか。それ以外にです。……ないですか?」

「ないことはないけど……」


 強いて言えば、いろんなウェディングドレス衣装を見たい。

 ウェディングドレスにはAライン、プリンセスライン、マーメイドラインといろいろな種類がある。


 つまりそれに応じて愛理沙の花嫁姿もいろいろな物がある。

 花婿として、一人の男として、絶世の美少女のいろんな姿を脳裏に焼き付けたい。


 とはいえ、これは「愛理沙にどんなウェディングドレスを着て欲しいか」であって、「どんな結婚式が良いか」ではない。


 愛理沙が求めている答えとしては、ややピントがずれているだろう。


 と、そこまで考えたところで由弦はふと思いついた。


「君の白無垢も見たい」

「白無垢、ですか?」

「そう。……神前式とか。どう?」

 

 由弦の提案に愛理沙は大きく頷いた。


「構いませんよ。私も興味あります。してみたいです。……でも、何度も人を呼ぶのはちょっと、良くないですね」


 愛理沙は苦笑しながらそう言った。

 二度目までなら「堅苦しい結婚式じゃなくて、楽しく明るい結婚式をしたい」ということで理解してくれるだろう。

 しかし三度目となると、さすがに「いい加減にしろ」と思われる。

 みんな暇じゃないのだ。

 ……それに少し恥ずかしい。


「うーん、まあ、人は呼ばなくてもいいんじゃないかな? 俺は君の白無垢を見たいだけだし。儀式だけ体験して、来たい人だけ呼んで……写真だけでもいいよ」


 由弦としては記念撮影だけで十分だ。

 儀式には興味がないこともないが、強い気持ちはない。


「そうですね。二人だけで静かにするのも思い出になりそうですし、そういうのもアリですね……あ!」


 愛理沙は何かを思いついたのか、会話の途中で声を上げると、ポンと手を打った。

 

「どうした?」

「神社なら千春さんがいるじゃないですか。千春さんのご実家で……あぁ、でも、高瀬川家と上西家は仲が良くないんでしたっけ? 難しいですね……」


 変なことを言ってすみません。

 と、愛理沙は肩を落とす。

 が、しかし由弦は大きく首を左右に振った。


「いや、そんなことはないよ。二人だけで挙げる分なら、全然問題ないはずだ」

「そうなんですか?」

「友達同士という建前があるからね」


 これが“高瀬川家”として“上西家”に協力してもらおうとなると問題になるが、“由弦と愛理沙”の個人として“千春”に頼むなら全く問題にならない。


「しかし皆さん、良い顔をしないんじゃないですか?」

「いや、両家の友好に繋がるから、むしろ歓迎すると思うよ。……表面上は良い顔をしないフリはするかもしれないけど」


 高瀬川家と上西家は仲が悪い。

 が、本当は仲直りしたいのだ。


「俺たちの代は仲が良いってアピールにもなるし、名案なんじゃないかな。良い前例にもなる。もちろん、うるさく言ってくる老人はいるかもしれないけど……将来的には仲良くした方がいいのは自明だ。伝統を変えることも今後の発展には重要だ。大局を見据えられないやつの言っていることは無視して……」


 そこまで由弦は言いかけて、慌てて自分の口を押えた。

 そして表情を歪める。

 そんな由弦の態度に愛理沙は首を傾げた。


「どうされました?」

「いや……ごめん。二人の結婚式なのに、家とかなんとか言っちゃって……」


 一度目はともかくとして、二度目と三度目は家の都合を絡めなくても良いはずだ。

 愛理沙も“由弦”の希望を聞いているのであって、“高瀬川家次期当主”の希望を聞いているわけではない。

 にも関わらず、由弦は“高瀬川家次期当主”としての視点を持ち込んでしまった。


 これは愛理沙に対して失礼だ。


「あぁ、そういうことですか。お家のことも大事だと思いますし、それを気にすることは問題ないと思いますよ」

「しかし……」

「私たち、夫婦になるんですよ。恋人ではなくて、夫婦です。家族になるんです。将来の……その、子供たちの関係を考えるのも、当然だと思います」

「……ありがとう。そう言ってくれると助かる」

「……言っておきますけど、一番は私ですからね? 私を一番、大事にしてください」


 恥ずかしそうに、もじもじしながらそう言う愛理沙に由弦は笑みを浮かべた。


「もちろん。言うまでもないことだ」


 そんなやり取りをしてから、二人は笑った。

 

「とはいえ、上西の……千春の都合もあるからね。神前式の結婚式については、一度保留ということで」

「そうですね。そうしましょう。今は……勉強に集中しましょうか」

「あはは、そうだね」


 休憩にしては長く話し込み過ぎてしまった。

 反省した二人は勉強を再開した

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