第33話 “婚約者”の嘘
次々と空へ打ちあがる花火。
青や赤の光が、暗い空を明るく照らす。
「綺麗ですね」
ぽつりと愛理沙は呟いた。
由弦は花火から、愛理沙へと視線を移す。
花火が打ちあがるたびに、芸術品のような容貌が明るく照らされる。
目を細め、僅かに口元を緩め、ぼんやりと、しかし楽しそうに夜空を見上げている美少女の姿は、とても絵になった。
庭園と花火と愛理沙。
この三つを写真に切り取ることができたら、素晴らしい作品になるだろう。
「……高瀬川さん? どうしました?」
「いや、綺麗だと、思ってね」
「花火が、ですか?」
「勿論、花火だよ」
まさか「君が」などとは言えない。
由弦は再び、愛理沙から花火へと、視線を移した。
気付くと二人は沈黙していた。
双方に会話はない。
だが不思議と気まずさはなく、由弦はどこか心地よさを感じていた。
最後に大掛かりな仕掛け花火が夜空を彩り、花火は終わった。
メインとなる花火が終わったので、もう祭りも終わりだ。
一時間ほどしたら、屋台は撤収の準備を始めることだろう。
「綺麗、でしたね」
「あぁ……」
「高瀬川さん」
二人の目が合う。
にこり、と愛理沙は笑みを浮かべた。
「今日は楽しかったです。ありがとうございます」
「俺もだよ。君と一緒に遊べて、楽しかった」
由弦は素直な気持ちを愛理沙に伝えた。
すると愛理沙は再び、視線を夜空へと向けた。
花火が終わった後の夜空は、不思議と寂しく見えた。
「高瀬川さんのご家族も、みんな良い人たちばかりでした。みんな、親切で、優しくて、明るくて」
「君が来て、ちょっと浮かれているだけだよ」
「そうかもしれません。でも……それでも、うちとは大違いです」
どこか寂しそうに愛理沙は言った。
その表情には羨望や、僅かな嫉妬の色があった。
それから、愛理沙は由弦へと視線を移した。
その瞳には迷いの色があった。
不安と恐怖、そして罪悪感……様々な感情が混ぜこぜになっている。
愛理沙は泣きそうな顔をしながら、しかし何かを決心した様子で、固く拳を握った。
「高瀬川さん」
「……どうした?」
「本当に……申し訳ありませんでした」
そう言って愛理沙は由弦に頭を下げた。
何のことで、愛理沙が謝っているのか由弦には分からなかった。
「何か、したのか?」
「……嘘を、つきました」
小さな消え入りそうな声で愛理沙は言った。
嘘をついた。
つまり、由弦を騙したということだ。
少しだけ由弦は身構える。
「何の嘘だ?」
とんでもないような内容だったら、怖いなと由弦は少しだけ緊張する。
そして緊張しているのは、愛理沙も同じだ。
「以前、お見合いの時に……養父に、無理矢理受けさせられたと、言いました」
震える声で愛理沙は言った。
確かに、彼女はそういうことを由弦に言った。
だからこそ、由弦は愛理沙を守るために偽の婚約を結ぶことにしたのだ。
「本当は違うんです」
「……どう違うんだ?」
「養父からは……お見合いを受けてみないか、と言われただけなんです。強制されたわけじゃ、ないんです。でも、私……怖くて、それで、受けるって……自分で言ったんです」
由弦の顔を見るのが怖いのか、愛理沙は顔を俯かせた。
表情は分からなかったが、僅かに涙ぐんでいることから、彼女が不安と恐怖に襲われていることがよく分かった。
「でも、やっぱり嫌で……断り続けたんです。それで……後が無くなっちゃって。だから、悪いのは、全部私なんです。私が自分で自分の首を絞めたんです」
ポタポタと、縁側に水滴が落ちる。
ぷるぷると、愛理沙の小さな肩が震える。
「これを言ったら……絶対、協力してくれないと思って。都合が悪いことを、隠しました。その後も……言い出せなくて。高瀬川さんのご厚意を利用する形になって、すみません」
それから愛理沙は黙ってしまった。
どうやら彼女の告白はこれで終わりのようだ。
由弦は思わず、ため息をついた。
「何だ、そんなことか。……顔を上げてくれ」
由弦がそう言うと、愛理沙は恐る恐るという様子で顔を上げる。
彼女の美しい容貌は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
由弦は愛理沙に向き直り、彼女の肩に両手を乗せる。
「別にその程度のこと、気にしない」
由弦はゆっくりと、丁寧にそう言った。
すると愛理沙は表情を歪める。
「で、でも……」
「そもそも、それは嘘とは言わない」
由弦は愛理沙の声を遮った。
それから愛理沙の目を見つめ、言い聞かせるように語る。
「君は精神的に追い詰められていた。少なくとも、養父の提案を拒否することができなかった。そういう精神状態だった。だから、君は養父の提案を受けるしかなかったんだろう? それは世間一般的には“強制された”って言うんだよ」
彼女の養父が、天城直樹がどういう気持ちで愛理沙に「お見合いをしてみないか?」と提案したのかは由弦は分からない。
もしかしたら、本当に愛理沙の自由意志に問いかけただけかもしれない。
愛理沙が本気でお見合いを望んでいると、思っているのかもしれない。
こればかりは本人に聞いてみなければ分からないだろう。
だが……結果的には愛理沙は、嫌々お見合いをする羽目になった。
婚約や結婚を、無理矢理させられる状態に追い込まれたのだ。
「少し前にも言ったと思うけど、君は被害者だ。君は自分の行動に落ち度があると、思っているのかもしれない。実際に少しはあるのかもしれない。それでも、だからと言って、不幸にならなければならない道理はない。そして助けを求める権利がなくなるわけでもない」
もし、怒ることがあるとすれば。
由弦が不満に思うことがあるとすれば。
それは一つだけだ。
「前にも言ったはずだ。君に助けを求められても、迷惑だとは思わないと。少しは頼ってくれ」
愛理沙に言いたいことは、それだけだった。
彼女は瞳を赤くし、涙ぐみながら、か細い声で言った。
「じゃあ、一つ、良いですか?」
「良いよ」
「……胸を貸してください」
言われるままに、由弦は愛理沙を抱きしめた。
由弦の胸に顔を押し付け、ぐずぐずと泣きじゃくった。
抱きしめてみて、彼女が如何に小さく、華奢な体をしているのかが分かる。
彼女の熱と柔らかさと、そして体の震えが伝わってくる。
この小さな体で、ずっと耐え続けてきたのだろう。
もしかしたら、彼女が罪悪感を抱きやすいのは、ある種の防衛本能なのかもしれない。
自分が不幸なのは、理不尽からではなく、自分にも非があるからだと。
そう納得しようとしてきたから……
というのは考えすぎかもしれないが、どちらにせよ、彼女の気弱な性格と人との間に壁を作るような接し方は、抑圧され続けた家庭環境のせいだろう。
由弦は愛理沙の頭を優しく、髪型を崩さないように、撫でた。
こんなことで彼女の救いになるかは分からないが、それでも何かをしてあげたかった。
しばらくして。
愛理沙は由弦の胸から顔を上げた。
瞳は涙で濡れたままではあるが、先ほどよりも随分とマシな顔になっている。
由弦の前で号泣したのが恥ずかしいのか、顔を赤らめている。
気まずそうに視線を逸らし、黙りこくっている。
「雪城、気は済んだか?」
「……我儘を言って、良いですか?」
「良いよ」
「もう少し、こうさせてください」
愛理沙はそう言って、再び顔を由弦の胸元に押し当てる。
今度は顔を埋めるのではなく、ぴったりと頬を押し当てるような形だ。
「頭、撫でてください」
「承知しました、お姫様」
「……それ、言ってて恥ずかしくないんですか?」
「指摘された方が恥ずかしいって、言わなかったっけ?」
「……指摘されないのも、それはそれで恥ずかしいかと」
「君のお願いの方も、大概だと思うけどね」
そう言いながらも、由弦は愛理沙の頭を撫でてあげた。
サラサラとして、とても手触りが良い。
強く抱きしめながら、良い子良い子をしながら撫でていると、再び愛理沙は口を開いた。
「あの、高瀬川さん」
「今度はどうした?」
「……名前で呼んで、良いですか?」
「名前?」
「由弦さん、と、そう呼んで良いですか?」
一瞬、由弦は面食らった。
動揺からか、愛理沙の頭を撫でる手が止まってしまう。
すると愛理沙は言い訳するように言った。
「だって、佐竹さんも、亜夜香さんも、千春さんも、由弦さんのことを下の名前で呼んでいるじゃないですか。……私だけ、苗字というのはちょっと、距離が遠いかなと」
どこか拗ねるように愛理沙は言った。
少し不安なのか、チラりと上目遣いで由弦を見上げてくる。
由弦は再び愛理沙の頭を撫で始めた。
「良いよ。……代わりに愛理沙と、呼んで良いか? みんな、名前で呼んでいるわけだし」
「はい。呼んでください」
愛理沙は満足気に小さく頷き、目を瞑った。
そしてぎゅっと、お気に入りの毛布を放そうとしない赤子のように、両手で由弦の体を掴んだ。
「あのさ、愛理沙」
「……何でしょうか」
「いつまで、こうしていれば良いかな?」
愛理沙の頭を撫でながら、由弦は尋ねた。
ずっと撫で続けるのも疲れるし、それに夜とはいえ、夏に体をくっつけ合うのは少し辛いモノがある。
それに対する愛理沙の答えはこうだった。
「ずっと、私の気の済むまでです。ダメ、ですか?」
由弦はため息をつく。
「仕方がないな。全く」
由弦は愛理沙の頭を撫で続けた。
______________________________________
デレ度:75%→100%
次回からは『デレ度』(この人となら恋人になっても良い。この人が好き。という気持ちの指標)から『真デレ度』(この人となら夫婦になっても良い。一生を添い遂げても良い。この人の子供なら産んでも良い、という気持ちの指標)に変化します
現在の真デレ度:0%
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