第9話 “婚約者”の家庭事情


 食後、由弦は愛理沙を家まで送ることにした。

 愛理沙は駅までで良いと主張したのだが……最近は明るくなってきたとはいえ、女の子に夜道を歩かせるのは気が引けた。

 

 そもそも愛理沙の帰りが遅くなったのは、由弦に夕食を振舞ったからである。


「高瀬川さんって、意外に紳士的なところもあるんですね」


 唐突に愛理沙は感心したようにそんなことを言いだした。

 別に由弦は紳士を自称しているわけでは全くないのだが、しかし“意外”は少々遺憾である。


「意外にとは、何だ。意外にとは」

「ご不快に思われたなら、すみません。でも……さり気無く、自分が車道側を歩くようにするところを見て、そういうところもあるんだなと」


 女の子と並んで歩く際には歩道側を歩かせなさいと言うのが、両親祖父母の教えである。

 男は女を守らなければならない……とはこのご時世を鑑みると、少々守旧的な考え方ではあるが、高瀬川家はまさにそういう家だ。


「親の躾けというやつだ。言っちゃなんだが、うちは古臭い価値観や封建的な風土の残る家なんでね。男なら女を守りなさい、と。まあ……松葉杖の時は実践できなかったわけだが」


 由弦がそう言うと、愛理沙は押し黙ってしまった。

 わずかに顔を俯かせている。

 街頭に照らされた整った容貌は……僅かに沈んでいた。


「もしかして、ご迷惑をおかけしてしまいましたか?」

「うん? ……どうして?」

「私のせいで……高瀬川さんがご両親から怒られてしまったんじゃないかと……」


 つまり女である愛理沙に男である由弦が守られるのは、家の教えに反しているので、そのせいで由弦が両親からお叱りを受けたのではないか……

 と、そういう懸念を抱いているようだった。


「まさか! いくら何でも、そんな化石みたいな価値観はないよ。そもそも、うちの親は放任主義だからさ。気にし過ぎだ」

「……そうですか。それならば、良いのですが」


 ホッと息をつく愛理沙。

 しかしその表情には憂いの色が僅かに残っていた。

 自分の行動の所為で由弦が両親から叱られることを、まだ心配しているようだった。


「雪城は、あの後、大丈夫だったか?」

「……あの後、ですか?」

「お見合いの後、家に帰ってから……何か言われなかったか?」


 由弦の問いかけに対し、愛理沙は答えなかった。

 だがその曇った表情と、無言が由弦の懸念が真実であることを雄弁に物語っていた。


「叱られたか?」

「……悪いのは私ですから。お気になさらず」


 拒絶するような声で愛理沙は言った。

 どこか突き放したような、自分と由弦との間に壁を作るような、そんな態度だ。

 だが……同時に酷く悲しそうで、辛そうだった。


 無理に踏み込んでも拒まれるだけだろと、彼女を傷つけるだけだと、由弦は判断する。

 が、しかし無視するのも最適解ではない気がする。


「君がそう言うなら、俺は君の事情には踏み込まない」

「そうして頂けると、助かります。高瀬川さんにはこれ以上、迷惑を……」

「俺は迷惑だとは、思っていないけどね」


 由弦はそう言って、愛理沙の声を遮った。

 それから由弦は愛理沙の方を見ず、正面を向いたまま……独り言のように話す。


「婚約者となったからには、君の家庭事情に関して、俺は決して他人というわけではない」


 決してできることが何一つ、無いわけではない。

 由弦は愛理沙にそう伝え、その上で改めて言う。


「ただ、俺は君の本当の婚約者というわけではない。だから、君の意思を尊重する。お節介だったら、お節介。迷惑だったら、迷惑。嫌だったら、嫌だ。嫌いだったら、嫌い。はっきりと気持ちを口にしてくれると嬉しい」


 しばらくの沈黙の後、愛理沙ははっきりとした声で由弦に答えた。


「今のところ、高瀬川さんに助けを求めるつもりはありません。少々大袈裟ですし……お節介です」

「そうか。まあ、そうだな」


 仮に由弦が愛理沙の両親に釘を刺しに行ったとして、ちゃんと彼らが由弦の意図した通りの行動を取るか分からない。

 よほど愚かではない限り、ということは、愚かだったら、酷いことになるかもしれない。

 そんなリスクを愛理沙は取れないだろうし、由弦も責任は持てない。


「でも、高瀬川さん」

「うん」

「私の意思を尊重してくれて、ありがとうございます。そこは純粋に嬉しいです」


 そういう愛理沙の声はいつもより、ずっと柔らかかった。

 


 しばらくして、愛理沙の自宅が見える位置まで到着した。

 愛理沙はここまでで良いと、そう言うように由弦の方へ向き直り、一礼した。


「今日はありがとうございます。楽しかったです」


 そう言う愛理沙の表情はいつもと同じ、取り澄ましたような顔だった。

 しかしその言葉には嘘はないような気がした。


「俺も楽しかったよ。料理も美味しかった」

「その感想は素直に受け取っておきましょう。……たくさん、食べて貰いましたし」


 愛理沙は由弦の賛辞に対し、小さく頷いた。

 それから少し考え込んだ様子を見せてから……口を開いた。 

 

「高瀬川さん。……来週もゲームをやりに行って良いですか? 代わりにお料理、お作りしますので」

「来週? ああ、良いよ。まだ手を付けてない物もあるしね。……だけど、別に“代わり”なんて要らないぞ? たかがゲームだし。勿論、作ってくれるなら喜んで食べるけど」


 由弦としては愛理沙に料理を作ることを強制したくはなかった。

 ゲームをやらせてあげて、ちょっとケーキをご馳走する程度の対価として……料理を作って貰うのは由弦の価値観では少し過剰だ。


「そうじゃないです。……言い方を変えましょう。作らせてください。その方が楽なんですよ」

「ああ……そういうことか」


 由弦に料理を振舞わないということは、早く帰って天城家で料理を作るということだ。 

 天城家の詳しい家族構成を由弦は知らないが……由弦と愛理沙の二人分の方が労力的には簡単なのだろう。


 つまり、彼女はサボりたいのだ。


「喜んで協力しよう。……毎日、作りに来てくれてもいいぞ?」


 由弦が冗談半分にそう言うと……


「ふふ……考えておきます」


 愛理沙は冗談なのか、本気なのか、どちらか分からない笑みを浮かべた。






 毎週、土曜日には愛理沙は由弦の家に行き、ゲームをやり、夕食を作って帰る。

 そんな関係が一か月ほど続いた。

 六月の中頃。


「はい、もしもし。何の用だよ、爺さん」

『孫に電話をするのに用が必要かのぉ?』

「用もないのに電話してきたことなんてないだろ? 早くしてくれ」


 由弦がそう答えると、確かにそうだけど、やら、別にそんなに冷たくしなくても、とブツブツと文句を言う。

 焦れてきた由弦が再度急かそうとすると……


『一週間後、何の日か分かっておるか?』

「知らんらんらん」

『ふざけておる場合じゃないぞ? 重要な日じゃ』


 重要な日と言われても、知らないものは知らないのだ。

 はて、何の日だろうかと首を傾げていると……


『誕生日。天城の娘さんの誕生日じゃよ』

「あー、そう言えば……そうだったかな?」


 お見合いの前、資料を見せて貰った時に彼女の生年月日も書かれていたはずだ。

 ああ見えて(いや見ての通りかもしれないが)由弦よりも少しだけ誕生日が早いのだ。


『全く……本当に婚約者のつもりか?』

「う、うん……」


 誕生日は完全に盲点だった。

 仲睦まじい恋人同士ならば、互いの誕生日は把握して然るべきである。


「恩に着るよ、爺さん。うん、プレゼントを用意しておく」

『うむ。……早く曾孫を見せておくれ』

「なら、あと六年は長生きするんだな。俺は大学を卒業するまでは、結婚するつもりはない」


 由弦はそう言って電話を切った。

 




「さぁーて、どうするか」


 由弦はため息をついた。


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デレ度:20%→30%


好感度25%を超えたので『親しい友人』から『異性の友人』にシフトしました

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