第20話 “婚約者”とお泊り(自宅編)


「今、行くから頑張れ!」

「は、早く……早く、た、助けてくださいぃ……」


 由弦が大声を掛けると、気弱そうな声が返ってきた。

 そういえば彼女は暗いのが苦手だと言っていた、と由弦は思い出す。


 一先ず、スマートフォンの灯りを頼りに脱衣所まで向かう。

 そして浴室のガラス扉越しに愛理沙に話しかけた。


「おい、愛理沙。生きてるか?」

「ゆ、由弦さん!! た、助けてください……む、無理なんです。く、暗くて狭い場所は……」


 今にも死にそうな声が返ってきた。

 

「落ち着け。自力で動けるか?」

「む、無理です……は、早く、た、助けてください」

「いや、助けると言われても」


 この暗闇はおそらく、停電だ。

 いくら何でも電気を何とかすることはできない。


 由弦も愛理沙を助けてあげたいのは山々だが、彼女がお風呂場で全裸である以上はどうしようもない。


「……入って良いか?」

「はい! はい!! は、早く!! も、もう、だ、ダメです……」

「諦めるな。目を瞑って入るから」


 由弦はそう言うと、目を瞑ってから扉を開けた。

 そしておそらく愛理沙がいるであろう場所に、スマートフォンのライトを向ける。


 すると、ひんやりした何かが由弦の体に引っ付いてきた。


「由弦さん!!」

「ば、馬鹿! 濡れたまま、くっつくな! いや、濡れてなくてもくっつくな!」


 由弦はそう言って愛理沙を掴んだ。

 すべすべとした、滑らかな肌の感触がした。

 彼女を自分の体から強引に引き剥がす。

 そしてその手を取り、スマートフォンを握らせた。


「これがあれば、何とかなるだろう?」

「は、はい……ありがとう、ございます」

「俺は目を瞑っているから。早く体を拭いて、着替えると良い」


 由弦はそう言うと脱衣室から出て、その扉の前に背を向けて座り込んだ。

 時折、愛理沙から「由弦さん……いますか?」「そこにいてくださいよ!」という念押しの声が聞こえてくるので、そのたびに答えて、励ましてあげる。


 しばらくしてから、ゆっくりと脱衣室の扉が開いた。

 光源がスマートフォンの光しかないので分かりにくいが、ちゃんと上下にジャージを着ているようだ。


「お、お騒がせしました」

「まぁ……怖い物は仕方がないだろう」


 全くだ。

 と、そう言いたかったが本人も迷惑を掛けたくてやっているわけではないだろうと信じ、由弦は愛理沙を慰めてあげることにした。


 そしてこのタイミングで電気が復旧した。

 家中に灯りが戻る。


 思わず、ため息をついた。


「いろいろ、タイミングが悪かったな」

「そ、そう、ですね」


 それからもう一度、停電が発生する可能性を危惧し、早めに就寝の準備をしてしまうことにした。

 と言っても、やることは寝袋を押し入れから取り出し、敷くだけだ。


 しかしここで問題が発生する。


「いや、愛理沙。さすがに同じ部屋は……」

「だ、だって! また停電が起こったら、真っ暗になっちゃうじゃないですか」


 由弦と同じ部屋で寝ると、強弁する愛理沙。

 

「あのなぁ……大体、君は不安じゃないのか? 何度も言うが、俺も男なわけで。雷は実害があるかもしれないけど、暗くなるくらいは……」

「て、停電は危険です。同じ部屋で寝ていた方が、お互い、安全だと思います」


 そう言う愛理沙の顔は真っ青だった。

 ここまで必死に頼み込まれると、由弦としても無理強いはできない。

 ……いや、無理強いをしているのは愛理沙だが。


「何か、理由でもあるのか? 暗いのがダメな、理由が」

「それは……理由、は怖いから、ですけど。その、昔……」


 幼い頃。

 何か失敗をするたびに、養母によって押し入れに閉じ込められたことが度々、あった。

 それがトラウマで、今でも暗い場所と狭い場所は苦手。


 と、愛理沙は語った。


「その、由弦さんには、本当にご迷惑をお掛けして申し訳ないと、思っています。でも……」

「……まあ、そういうことなら、仕方がないだろう」


 気にするな。 

 と、由弦は愛理沙を慰める。


「考えてみると、俺はベッドで、君は床に寝袋を敷くわけで。ならそんなに危なくはない……か?」


 隣合って寝るのは不味いが、高低差がある。

 許容範囲だろう……と、由弦は勝手に一人で納得することにした。





 就寝時間。

 由弦は愛理沙の望む通り、常夜灯を付けることにした。


(……意外に常夜灯って、明るいんだな)


 普段は付けることがないので、気にしたことはないが……常夜灯はそこそこ、明るい。

 今日は少し寝難いかもしれないと、由弦は内心でため息をつく。

 もっとも明日は日曜日なので、特に問題はないのだが。


「停電になるなら、私の寝ている間になって欲しいです」


 一方の愛理沙は少し不安そうな様子で常夜灯を見上げた。

 今の明るさは、普段、常夜灯の中で寝ている彼女にとっては悪くないもののようだ。


「まあ……もし、君が目を覚ましている時に運悪く、再び停電になったら、起こしてくれ。俺はトイレに行くとき以外はここにいるから」

「ご迷惑をお掛けして、すみません」

「気にするな。……じゃあ、おやすみ」


 由弦は愛理沙にそう言うと、目を閉じた。

 愛理沙もまた、「おやすみなさい」と口にする。


 それから体感時間にして、十分後。


「……あの、由弦さん」

「ん? どうした」

「あっ……起こしちゃいましたか?」

「いや、別に起きてたけど。……どうした?」


 トイレにでも行きたいのだろうか?

 と由弦は首を傾げた。

 前回のホラー映画の時から日が経っているので、それくらいはさすがに一人で何とかしてもらいたい。

  

「いえ、その……ドキドキして、眠れなくて」


 ドクッと由弦の心臓が跳ねる。

 勿論、愛理沙は特に深い意味でそう言ったわけではないのだろう。

 修学旅行の夜のような、そういう独特のテンションだから眠れない……そんな感じだろう。

 

 とはいえ、男の家に泊まっている女の子の「ドキドキして、眠れなくて」という発言は中々可愛らしく、同時に艶っぽく、そして意味深な感じもする。

 少し勘違いしそうになる程度には。


「由弦さんは、どうですか?」

「まぁ……俺も少しは緊張しているけど」


 勿論、愛理沙の「ドキドキ」とは微妙に異なるが。

 もっとも、愛理沙と同様にこの独特な状況にワクワクしたりする気持ちが全くないわけではない。

 このまま無理に寝てしまうのも、少し味気ない。


「しりとり、でもするか」

「良いですね。……じゃあ、『リ』からですね。リンゴ」

「ゴリラ」

「ラッコ!」

「コアラ」

「ら……ラクダ!」

「『だ』か。……抱き枕」

「ちょ、ちょっと! 『ら』ばっかり、狡いですよ!!」

「しりとりはそういうゲームだからさ」

「むむ……」


 しりとりを始めて、十分ほどが経過した。

 

「『ら』『ら』『ら』……」


 『ら』から抜け出せていない愛理沙は、ぶつぶつと呟いていたが……

 その声は途中で途切れてしまった。

 それから可愛らしい、寝息が聞こえてきた。


 由弦は寝返りを打つフリをして……

 愛理沙の顔を覗き込んだ。


 とても無防備で、か弱く、可愛らしい寝顔だ。

 つい、襲ってしまいたくなるほどに。


「全く……」


 由弦はため息をついた。

 そしてふと、疑問を抱いた。


(……そう言えば、今の愛理沙は、下着を着ているのか?)


 その夜、由弦は悶々とした時間を過ごすのだった。



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