第28話 “婚約者”と“恋人”

 バレンタインの日から、およそ二週間ほどが経過した……早朝。



「おはようございます、由弦さん」

「おはよう、愛理沙」


 今日も愛理沙は由弦のマンションを訪れてくれた。

 愛理沙は由弦に弁当を手渡し、由弦は空になった弁当を渡す。

 それから由弦は愛理沙に料理の感想を伝え、愛理沙が嬉しそうに微笑む。


 そして……


「じゃあ……行きましょうか」

「そうだね」


 由弦と愛理沙は共にマンションを出て、学校に向かった。





「……そろそろ春ですね。まだ、寒いですけれど」

「そうだね。ここ数年は春と秋がなくなって、夏と冬だけになっている気がするよ」

「これじゃあ、四季じゃなくて二季ですよね」


 そんな他愛もない話をしながら。 

 由弦と愛理沙は仲良く、並んで歩いていた。


 少し前から、由弦と愛理沙は共に登校するようになった。

 

 以前は、朝は生徒に目撃されることが多いから控えようという理由で一緒に登校することは避けていたのだが……

 バレンタイン以来、少し状況が変わった。


 というのも学校内で、由弦と愛理沙は“恋人同士”として見做されるようになったからだ。


 しかしそれも当然のことだろう。

 教室で、あれほど大胆に、いかにも“本命です”というようなチョコレートを、愛理沙が如何にも「あなたのことが好きです」と伝えるかのように由弦に手渡し、そして「告白しちゃった、恥ずかしい!」と言うように逃げていけば……


 少なくとも愛理沙が由弦のことが好きだと、告白したと周囲は認識する。


 そしてある種の伏線として、由弦と愛理沙は亜夜香たちも交えて弁当を食べたり、共に行動をすることで、親しい友人同士であることを周囲に示してきた。

 

 だから由弦が愛理沙の想いを受け入れる余地は十分にあった。

 そして以前と以後で、由弦と愛理沙の距離感が露骨に離れるということはなかった。


 少なくとも、雪城愛理沙は高瀬川由弦にフラれたということはないのだろう。

 それはつまり彼は彼女の想いを受け入れたのだ。


 と周囲は自然と解釈する。


 それに前々から下校時に由弦と愛理沙が共にいることは幾人かの生徒たちに目撃されていたため、由弦と愛理沙が“デキている”という噂は存在した。


 つまり由弦と愛理沙が恋人同士であると、周囲が認識する“下地”は出来上がっていたのだ。

 ……もっとも、この“下地”は由弦と愛理沙の二人が暗黙の了解で作り上げたものなのだが。

 

 もうすでに由弦と愛理沙は親しい関係であることは周知の事実になった。

 ならば……

 今更、共に登校することを躊躇する必要はない。


 自然と二人で一緒に帰ることになった。


「本当に……寒いですね」


 そう言って愛理沙は真っ白い手に、白い息を吹きかけた。

 ……由弦の記憶が正しければ、彼女は自分の手袋を持っていたはずだ。


 しかしどういうわけか、今日は手袋をつけていない。


 やや赤らんだ顔で、潤んだ瞳をチラりと、愛理沙は由弦に送ってきた。

 由弦は無言で片手の手袋を外した。


「……由弦さん?」


 きょとん、と。

 まるで「急に手袋を外して、どうしたんですか?」などと言いたそうな表情で愛理沙は言った。


 ……由弦は少し、意地悪をしたくなった。


「片方、貸すよ」

「……ありがとうございます」


 私がして欲しいのは“そっち”じゃないのに……

 由弦さん、鈍い……


 しょんぼりと、そんなことを言いたそうに愛理沙は由弦から手袋を受け取った。

 おずおずと、歩道側――つまり由弦とは反対方向――の手に手袋を付ける。


 そしてわざとらしく、「寒いなぁ……」と言いたそうにもう片方の手に息を吹きかける。

 わざとらしく、体を震わせてみたりする。


 由弦は吹き出しそうになるのを堪えながら――なんとか苦笑に抑えつつ――剥き出しになった手を差し出した。

 

「俺も寒いから。そっちの手はこれで我慢してもらえないだろうか?」


 そう言いながら愛理沙に手を開いて見せた。

 すると愛理沙はその翡翠色の瞳を大きく見開いた。


 由弦の顔を見上げ、花が咲いたように顔を綻ばせる。

 そして躊躇なく、待ってましたと言わんばかりに由弦の手を握った。


 ひんやりと、冷たい手だった。

 由弦はギュッと、その手を握りしめてあげる。


 すると愛理沙は顔を耳まで真っ赤にし、顔を俯かせながら言った。


「あ、ありがとうございます。実は……手袋を忘れてきてしまって。ご迷惑をおかけします」


 早口で言い繕いながら、チラチラと由弦の表情を伺う。

 その仕草は飼い主に構って欲しいがために、わざと悪戯をしたり、体調不良のフリをする犬や猫のようだった。


 実に白々しい。

 だが本人は上手に“演技”できていると思っているのだろう。

 

 そこが本当に……


「可愛いな」

「ふぇ? な、何を言ってるんですか、急に!?」


 愛理沙は上擦った声を上げた。

 どうやら、つい口に出してしまったようだ。


「いや、ごめん」

「……揶揄ってるんですか?」


 もう! 酷い人です!!

 と、そう言って愛理沙はプイっと頬を背けた。

 

 怒っていますと、アピールする。

 しかし由弦の手から、手を全く離すつもりがなさそうな辺り……やはり“演技”であることは明白だった。


(……もう、“告白”はいらないな)


 すでに由弦と愛理沙は恋人同士だった。

 

 勿論、お互いに明確に好きだと行為を伝えたわけではない。


 愛理沙からチョコレートを受け取った時、愛理沙は由弦に対して“好き”“愛している”とは決して言わなかった。

 だから由弦もチョコレートの味の感想だけを伝え、決して返答はしなかった。

 そもそも聞かれていないのだから、返答する理由はない。


 しかし聞く必要もないし、直接口にする必要もない。

 すでに手と手の温もりで、互いの好意と愛情は伝わっていた。


 由弦は愛理沙のことを、恋人だとはっきり思っている。

 そのことを直接言葉で伝えずとも、はっきりと態度と行動で愛理沙に示しているつもりだ。

 そして愛理沙も直接的には言わずとも、はっきりと態度と行動で示してくれている。


 ならば、“告白”は不要だ。

 むしろ無粋と言えるかもしれない。


 勿論……「愛している」「好きだ」とはっきりと口にすることは大切なのだが。


 少なくとも、互いに「恋人同士になりましょう」と伝える必要はない。


 もっとも……

 “プロポーズ”は別だ。


「……」


 由弦が黙ってしまったことに、不安になったのだろう。

 怒っている演技は忘れてしまったのか、チラチラと由弦の表情を確認する。


 怒らせてしまったかも……

 と思っているのかもしれない。


 もっとも、最初から由弦は愛理沙の可愛らしい演技は見抜いていたので、微笑ましいとは思っても、怒りは全く感じていないのだから、愛理沙の不安は杞憂と言える。


 由弦が足を止めると、ますます愛理沙は不安そうな顔をした。


「あ、あの、由弦さ……」

「そろそろ、ホワイトデーだね」


 由弦は愛理沙の言葉を遮るように、そう言った。

 すると……


「は、はい!」


 何故か、愛理沙は背筋をピンと伸ばした。

 どうやら緊張しているらしい。


 もっとも……

 由弦の方も表情こそ平静を保っているが、心臓がうるさいほど鳴っていた。


「バレンタインの……お返しをしたいんだけどさ」

「はい」

「学校が終わったら、デートに行かない? ……夜景が綺麗だって、評判のレストランがあるんだ」


 由弦がそう言うと、愛理沙は小さく頷いた。


「はい、大丈夫です。……その、お値段は?」

「それは俺が出すから、気にしないでくれ」

「え? い、いや……でも……」

「その日だけは」


 良い淀む愛理沙の言葉を、由弦は強い声で遮った。

 ギュッと、愛理沙の手を強く握りしめる。


「俺に見栄を張らせて貰えないだろうか?」

 

 二人の間を、しばらくの沈黙が支配した。

 ドクドクと、由弦の心臓が激しく鼓動する。


「……はい」


 愛理沙は小さく頷いた。




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