第17話

 結婚式、当日。

 由弦は愛理沙を家まで迎えに行くと、真っ先に市役所へと向かった。


 結婚届を提出するためだ。

 すでに書かれたものを役所の窓口で出すだけだったので、提出自体は滞りなく終わった。


「これで夫婦……ですか」

「そうだけど……どうしたの?」


 複雑そうな表情の愛理沙に由弦は問いかける。

 まさか、マリッジブルーではあるまいかと。


「いえ、案外あっけないなと思いまして」

「うん、まあ……そもそも俺たち、前から同居してるしね」


 これによって二人の生活が劇的に変わるわけではない。

 もちろん、結婚後は由弦は就職、愛理沙は博士課程に進むが……それは結婚したからではない。


「でも、今日から私、高瀬川愛理沙なんですね。間違えないようにしないと」


 愛理沙は自分でそう言って嬉しそうに微笑んだ。

 決して不満や不安があるわけではなさそうだ。

 由弦は少しだけ安心する。


「じゃあ、結婚式の会場に行こうか。まだ早いけど……」

「そうですね。早い越したことはないですし」


 由弦と愛理沙は早速、結婚式場へと向かった。

 式場にはすでに由弦の両親と、愛理沙の養父母が到着していた。

 その他、仲人や司会進行を担う一部の親族も揃っていた。


「無事に提出できたかい?」


 由弦の父、高瀬川和弥は由弦にそう尋ねた。

 和弥の問いに由弦は頷く。


「もちろん」

「なら良かった」


 和弥はどこか安堵した声でそう言った。

 もちろん、書類の提出だけでトラブルなど起きようもないし、由弦が書類を提出するだけで戸惑るはずもない。

 ただ一つの区切りとして、安堵したのだ。


「おはようございます。……何から何まで、準備してくださって、ありがとうございます」


 愛理沙は由弦の父にそう言って頭を下げた。

 結婚式の段取りを整えたのは、由弦の父だ。

 由弦も愛理沙も準備にはあまり参加していない。

 

 これは就職と進学を最優先にしろという双方の両親からのお願い(命令)があったからだが、愛理沙としては心苦しい面もあるのだろう。


「いや、気にしなくていいよ。……すまないね、あれこれ口を出して」


 愛理沙の言葉に和弥は苦笑した。

 和弥からすれば、むしろ愛理沙を“高瀬川家”の事情に振り回してしまったという負い目がある。

 家の事情を最優先に愛理沙の希望を入れてあげられてないのだから、自分が代わりに準備を進めるのは当然という意識があった。


「いえ、私も今日から……高瀬川家の人間ですので」


 愛理沙が遠慮がちに言うと、和弥は目を細めた。


「あぁ、そうだね。ありがとう」


 一通り挨拶が済んだところで、由弦たちは最後の打ち合わせを行う。

 もっとも、あくまで当日の流れを再確認するだけだ。

 

 打ち合わせが終われば、本格的な準備に入る。

 由弦は花婿衣裳に、愛理沙は花嫁衣裳に着替える。


 そしてこういうのは男性よりも女性の方が遥かに時間が掛かるのが常々だ。

 先んじて着替えを終えた由弦は、早くも式場にやって来ていた客の相手をしていた。


「兄さん、愛理沙さんの準備、終わったよ」


 落ち着いた色のドレスに、きちんと髪を黒染めした妹が由弦を呼んだ。


「そうか」


 早速、由弦は愛理沙が待つ控室へと向かった。

 ウェディングドレスのデザインは二人で選んだので、知ってはいるが……それでも期待で胸が膨らむ。

 由弦は軽く扉をノックした。


「由弦だ。入って良いかな?」

「どうぞ」


 愛理沙の許可を得て、由弦は控室に入る。

 

「いかがですが……?」


 愛理沙ははにかみながら、由弦にそう尋ねた。


「……」


 その姿はとても美しかった。

 純白のウェディングドレスは愛理沙の白い肌に溶け込んでいて、美しい亜麻色の髪を輝かせている。

 またコルセットドレスは愛理沙のスタイルの良さを強調し、足元まで伸びるスカートはむしろ内側に隠れる愛理沙の美しい脚を想像させた。


「えーっと、由弦さん?」

「あぁ、すまない。……見惚れていたよ」

「もう、お世辞が上手ですね」


 そう言いながらも愛理沙は嬉しそうだった。


「そういう由弦さんも良くお似合いです」

「ありがとう。……正直、照れくさいけどね。これ」


 由弦が着ているのは白いタキシードだ。

 色は黒やグレーなども選べたが、せっかくの結婚式ということもあり、白を選んだ。


 しかし黒はともかく、白いタキシードははじめて着る。

 そのせいか、由弦は少しだけ気恥ずかしい気持ちになっていた。


「自信持ってください。カッコいいですから」

「そうかな? まあ、君の美しさには霞むと思うけどね。引き立て役として、頑張るよ」

「もう……お世辞ばっかり言って」


 由弦のお世辞に愛理沙は恥ずかしそうに顔を赤らめる。

 やはり満更でもなさそうだ。


「由弦さんも主役なんですから。しっかりしてください」

「あぁ、もちろん。……では、お手を」

「はい」


 由弦が差し出した手に、愛理沙は自分の手を重ねた。

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