第16話

 結婚式の前日。

 由弦は愛理沙の実家に訪れていた。


 テーブルには由弦と愛理沙。

 向かい合うように天城直樹と天城絵美が座っている。


「では、こちらに署名をお願いします」


 由弦はそう言って一枚の紙――直樹に差し出した。

 すでに由弦と愛理沙、それぞれ必要な情報は記入済み。

 証人として由弦の父も署名をしている。


 あとは愛理沙の養父が証人として、署名をすれば完成だ。


「ま、まかせてくれ……」


 直樹は不愛想な表情とは裏腹に、手を震わせながら住所と氏名を書き込む。

 彼が失敗すると一から書き直しになってしまうので、プレッシャーを感じているらしい。

 もっとも、失敗することを見越して予備を二枚用意しているので、そこまで緊張する必要はないが。


「ふぅ……これでいいかな?」


 最後に押印をしてから直樹は由弦に婚姻届けを返却した。

 由弦は内容を確認してから、頭を下げる。


「ありがとうございます。それでは娘さんと……結婚させていただきます」

「……娘を頼みます」


 直樹も神妙な表情で頭を下げた。


「直樹さん、絵美さん。今まで、ありがとうございました」


 愛理沙もまた、深く頭を下げた。

 それに対して直樹は少し泣きそうな顔で頷いた。

 一方で絵美は少しだけ複雑そうな表情を浮かべる。


(……仲直り、したんだろうか?)


 絵美は昔、愛理沙を虐待していた。

 もちろん、愛理沙の口からそれを直接語られたことはないが……由弦はそれを薄々、察していた。


 実際、愛理沙の口から直樹の話が出てくることはあったが、絵美の話が出てくることは殆どなかった。

 愛理沙にとっては話題にしたくない相手だったはずだ。


 しかし今日の愛理沙と絵美の間の雰囲気は、気まずそうではあるものの、険悪な雰囲気はない。

 少なくとも由弦の目から見た限りでは、だが。


(まあ、どちらでも良いか)


 愛理沙なりに気持ちの整理が付いたならそれで良し。

 仮についてなくとも、由弦が干渉することではない。


 これは愛理沙個人の問題なのだから。


「では、明日の段取りですが……」


 結婚式に関する最後の打ち合わせをして、二人は天城家を後にした。




 その後、由弦と愛理沙はとある霊園に向かった。


「確かこっちだと、聞いていたのですが……ありましたね」


 雪代家之墓。

 そう書かれたお墓の前で愛理沙は足を止めた。


「もっと早く、来るべきだったんですけどね……」


 愛理沙はどこか、悔いるように呟いた。

 それから言い訳するように話し続ける。


「正直、あまり実感なかったんです。昔は来ると本当になっちゃう気がして……ズルズル後回ししているうちに、記憶も薄まっちゃって。もう、行かなくてもいいかななんて……心のどこかで思ってて……親不孝ですよね。由弦さんに言われなかったら……きっと、一生来なかったです」


「……」


 由弦に話しているのか、それとも目の前の両親に話しているのか。

 判断が付かなかった由弦はあえて無言を貫いた。

  

 しかし何も反応しないのは、雰囲気がしんみりし過ぎてしまうのではと思い返す。


「あー、でも、今日は来たんだし、いいんじゃないかな? 幸いにもお墓も綺麗だし……」

 

 由弦はやや強引なフォローを入れた。

 実際、子供である愛理沙が一度も訪れなかったにも関わらず、お墓の状態は良好だった。

 ややしなびっているが、花も添えられている。


 定期的にお参りに来る人がいる証拠だ。


「絵美さんが……お掃除、してくれていたみたいです」

「へ、へぇ……!?」


 意外な事実に由弦は目を丸くした。

 一方、愛理沙は自嘲気味な笑みを浮かべる。


「お墓、どこにあるのか再確認したら……今更かと、呆れられちゃいましたよ」

「あー、うん……そうか」


 由弦はどうにかフォローを入れようと思ったが、上手く言葉が浮かばなかった。

 言葉を詰まらせる由弦に対して愛理沙は明るい声で言った。


「過ぎたことです。お掃除、しましょう」

「そうだね」


 由弦は早速、お墓の掃除に取り掛かった。

 さほど汚れているわけではないので、汚れや埃を水で軽く洗い流す程度だ。


 墓石を丁寧に磨いてから、しおれかけている花を取り除き、新しい花を添える。

 最後に線香をあげてから、手を合わせた。


(娘さんと結婚させていただきます……)


 由弦は心の中で義父と義母に挨拶をした。

 それから二人は霊園から撤収した。


「由弦さん」


 帰り道。

 ぽつりと呟くように愛理沙は由弦の名前を呼んだ。


「どうした?」

「……年に一度、一緒に来て頂いてもいいですか?」


 愛理沙の言葉に由弦は大きく頷いた。


「もちろん。君の両親ということは、俺の両親だからね。年に一度、行くのは当然だ」


 由弦がそう答えると愛理沙は微笑んだ。


「ありがとうございます」


 いつになく、愛理沙はすっきりした顔をしていた。




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