第17話 婚約者とケーキ

「すみません。お待たせしました」


 待ち合わせの場所で由弦が時間を潰していると、紙袋を手にした婚約者が駆けてきた。

 無事に水着を買うことができたようだ。


「持とうか?」


 水着は重いはずはないが、しかし女の子に、婚約者に荷物を持たせるのは男としてあまりよろしくない。

 そんな考えからそんな提案をすると……


「えっと……はい、じゃあお願いします」


 愛理沙は少し迷った様子を見せてから、紙袋を由弦に手渡した。

 紙袋は……当然だが、重くない。


(まあ、衣服としては生地が最小限だしな……)


 一瞬だけ愛理沙の水着姿が脳裏に浮かびかけ……由弦はそれを慌てて振り払った。

 こういう場でそのようなことを考えるべきではない。


「……由弦さん。もしかして、今、変なことを考えました?」

「……まさか」


 ジト目で見つめられた由弦は慌てて目を逸らした。

 妙に感が良い。


「ところでこの後、どうする? そろそろ遅い時間だが……」


 このままお開きにすることもできるが……


「そうですね。……もし良ければお食事にしません?」

「そうだな。どこにしようか?」


 ファーストフードなどが食べられるフードコートもあるし、洋風や中華のレストランもある。

 このショッピングモールから少し離れて、別のお店を探すのも良いだろう。


「それなんですけれど……その、実は行ってみたいところがありまして」

「ふむ、別に構わないが……?」


 「どこにしようか?」とそう言ったのは由弦だ。

 しかし何となく愛理沙の口調は少し懸念事項があるかのように聞こえた。


「スイーツのお店なんです。ほら……今は御夕飯の時間じゃないですか」

「あぁ……いや、別に構わないよ」


 夕食の時間にスイーツ……つまり甘い物を食べるのは嫌じゃないか?

 と、そういう確認のようだった。

 確かにスイーツのような類はあくまでデザートで、メインにしたくないというような人はいるだろう。


 だが由弦にはそのような拘りは特にない。


「良かった! じゃあ、決まりですね!!」


 嬉しそうに愛理沙は微笑んだ。

 由弦としては愛理沙が喜んでくれているだけでも嬉しかった。





「……」

「由弦さんはどれにします?」


 愛理沙が選んだお店に着いてから、由弦は少しだけ自分の選択を後悔していた。

 なるほど、スイーツの店という愛理沙の言葉に嘘はない。


 確かにそういう甘い物の専門店だった。


 が……問題はお店の内装だ。

 というのも、何ともファンシーな雰囲気をしていたからである。

 

 具体的には全体的にピンクっぽく、辺りにハートマークが見えるような……

 とても男が居辛い空間だ。


 何となくだが、落ち着かない。


「……由弦さん?」

「あ、あぁ……いや、どれでもいいかな。うん、愛理沙が選んでくれ」


 由弦がそう言うと愛理沙は目を輝かせた。

 というのも、つい先ほどまで愛理沙は二種類のケーキのうちどれにするか悩んでいたからだ。


 二つはさすがに多いので、泣く泣く一つに絞ったところだった。


 とはいえ、切り捨てた方にもやはり未練があり……

 婚約者さんが選んでくれたら半分こにできるのになぁ……と、そんな感じの空気を出していた。


 言葉に出ていなくとも、この程度の事ならば簡単に察することができた。


「じゃあ、私が選びますね。半分こにしましょう」


 さて愛理沙がケーキを注文してしばらく。

 店員が二種類のケーキを運んできた。


 それを見て由弦は思わず呟く。


「デカっ……」


 運ばれてきたのはホールケーキだった。

 チョコレートケーキとショートケーキが一つずつ。


 ホールケーキと言っても、一般的にお誕生会で食べられるような大きなサイズではなかったが……

 それでも一人前として考えると、やや大きく感じられた。

 普通のカフェなどで出てくるケーキ一切れの、三、四人前はあるように見えた。


 これを全部食うのか……と、由弦はケーキの前で少し尻込みしてしまう。


「わぁ……素敵ですね!」


 しかし愛理沙は由弦とは少し感性が違うらしい。

 嬉しそうに携帯で写真を撮っている。


「じゃあ、食べましょうか」

「そ、そうだな」


 由弦と愛理沙はそれぞれナイフでケーキを切り分け、自分の取り皿へとよそった。

 由弦はまずショートケーキをフォークで切り、口に運んだ。


 なるほど、味は中々美味しいケーキだ。

 珈琲と合わせれば、美味しく食べられる。


 チョコレートケーキの方も濃厚なカカオの香りを感じることができ、とても美味しい。


 美味しいが……


(……ちょっとキツイな)

 

 おおよそ、ホールケーキの半分ほどの量を食べたところだろうか。

 由弦は少し辛さを感じ始めていた。


 さすがに甘すぎるのだ。


 もちろん、由弦は決して甘い物が嫌いなわけではなく、どちらかと言えば好きな方だ。

 しかしこの量のケーキを一度に食べるのは、未知の領域である。


 胃の容量的には問題ないが、舌が少し受け付けなくなってきている。


(愛理沙は……)


 これ以上は食べられません……

 由弦さん、お願いできますか?


 と、そんなことを言い出したりはしないだろうかと、少し戦々恐々としながら由弦は愛理沙の方を確認する。


「~♪」


 だが、その心配は杞憂だった。

 愛理沙は由弦とは違い、軽快にフォークを進めていた。


 一応、自分から来たいと言うだけあって、ちゃんと食べられるようだ。


「……どうしましたか? 由弦さん」

「え? いや、何でもないよ……」


 愛理沙の言葉に由弦は視線を逸らした。

 由弦も愛理沙に「この店で構わない」と言った手前、「ちょっと辛くなってきた」などとは言えない。


 もしそれを言ったら、愛理沙は今後、自分の意志を二の次にするようになるだろう。

 愛理沙はそういう子なのだ。


 由弦としては愛理沙には幸せでいて欲しい。

 そのためには由弦も「問題なく美味しく食べられている」感を出す必要がある。


 しかし……


「なるほど……そういうことですか」


 愛理沙は何かを察した様子だった。


「い、いや、別に……」


 決してケーキが嫌というわけではない。 

 と、そのような弁明を由弦がしようとした時だった。


 愛理沙はフォークをゆっくりと由弦の方へと伸ばしてきた。

 フォークの上にはケーキが乗っている。


「え?」

「ほら……これを、して欲しかったんですよね?」


 少し恥ずかしそうに愛理沙は頬を赤らめ、視線を背けながらそう言った。

 それからチラチラと由弦の表情を確認する。


「あ、あの……は、早くしてください。……え、えっと、もしかして、ち、違いましたか?」

「い、いや、そんなことはない」


 由弦はそう答えると、愛理沙のフォークを口に咥えた。

 口の中に甘い生クリームの味が広がる。


「どうですか?」

「……甘いな」

「ケーキなんですから、当たり前です」


 何を言っているんですか? 

 と言いたそうに愛理沙はそう言った。


 それから愛理沙はチラチラと、由弦の表情を確認する。

 何か、物欲しそうな顔をしていた。


 由弦はフォークでケーキを切る。

 じっと、愛理沙の視線が由弦のフォークの先に向かい、それから由弦の顔へと向かう。


 翡翠色の瞳が何かを訴えかける。


「……はい」


 由弦はゆっくりと、ケーキを前に突き出した。

 すると愛理沙は増々頬を赤らめ、そして恥ずかしそうに身をくねらせた。


「も、もう……由弦さんったら。こ、こんなところで……し、仕方がないですね……」


 君がそうして欲しそうにしていたからしたんだろう。

 と、由弦がそう言うよりも先に愛理沙は大きく口を開けて、パクリとフォークを咥えた。


 愛理沙のリップによりフォークが挟みこまれ……

 そしてゆっくりと、口の中から引き抜かれていく。


「美味しいです」


 チロっと、愛理沙は舌で自分の唇を舐めてからそう言った。

 その表情はほんのりと上気している。


「そ、そうか……良かった」


 どういうわけか、由弦は愛理沙のそんな表情と仕草に官能を感じてしまうのだった。

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