第13話 上西の父
「おとう……お父さん? え、お父さん!?」
「……すげぇな」
何度も聞き返す愛理沙に、ポツリと驚嘆の声を漏らす聖。
一方の千春は愛理沙の反応に上機嫌な様子だ。
「お、お父さんって……どこのお父さんですか?」
「私のお父さんですよ。我が上西は父の子を授かり、血を娘へと受け継ぐのです」
と、そこで違和感に気付いた愛理沙が千春に尋ねる。
「……揶揄っているんですか? おかしいですよ。だって……それだと千春さんのお父さんは、二千歳ってことになるじゃないですか」
上西は父の子を授かる。
ということはつまり、千春のお相手となる“父”は、千春の母親の“父”であり、そして同時に千春の祖母の“父”になる。
父親はたった一人であり……もし上西の歴史が伝承通りの二千年だとすると、千春の“父”は二千歳以上ということになる。
「揶揄っていますが、嘘はついてないですよ?」
ニヤっと千春は笑った。
千春のその言葉に聖は「あぁ……」と声を漏らす。
彼は察したようだ。
「神様なんですから、二千年以上生きているのはおかしな話ではないでしょう?」
そこでようやく千春はネタ晴らしをした。
そう、上西千春は半神であり、現人神なのだ。
上西は代々、自らが奉っている神の子を孕み、歴史を紡いできた。
「え? ……本当に神様が?」
「いるわけないじゃないですか。信仰上の話ですよ」
呆気絡んと千春は言った。
神社の娘であり、現人神……ということになっている彼女だが、信仰心は薄い。
「まあ、つまり……実質的にはどこかから、種を貰うという形になりますね。上西の家系図に男子は乗りません。母系相続を守るためですね」
神と子をなすので結婚はできない。
というのは入り婿に家を乗っ取られることを防ぐために、上西が作り上げたシステムなのだ。
勿論、性交渉をしなければ子は生まれないので、事実上の夫となる者は存在する。
ただし家系図には記されず、家族としては扱わない。
と、そういうことである。
「我が上西はすべて女性だけで構成される一族です。面白いでしょう?」
「なるほど……そういうことですか。面白いですね」
愛理沙の目が少しだけ輝く。
そんな愛理沙の態度に対し、千春は誇らしげにその大きな胸を張ってみせた。
少し目に毒だ。
「ん? おかしくねぇか? 息子だって生まれるだろ。アマゾネスじゃあるまいし」
とそこで突っ込みを入れたのが聖だ。
千春は生物学的には立派なホモサピエンスであり、神話上の謎民族や種族ではないのだから、当然男の子が生まれることだってある。
「あぁ……最近は生まれますよ。ただし養子に出す……厳密に言えば事実上の夫の方の籍に入れますけどね」
「……最近?」
「昔は生まれなかったみたいですね」
千春のその言葉に聖は「何言ってるんだこいつ」という表情を浮かべたが……
すぐに「あっ……」と言葉を漏らし、黙った。
「へぇー、不思議なこともあるんですねー」
一方、愛理沙は気付いていない様子だ。
本当に昔は男子が生まれなかったと思っている様子だ。
「え? 皆さん、どうしたんですか?」
「いいや、何でもないよ、愛理沙。うん……不思議だね」
由弦はそう言って愛理沙に同調するようにして……その場を誤魔化した。
気付かなくても良いことは気付かなくても良い。
純粋無垢な愛理沙はそれはそれで可愛いのだ。
「ふと思ったんだけど、千春ちゃんのお母さんってつまり千春ちゃんのお姉ちゃんになるよね?」
亜夜香が思いついたようにそう言った。
全員が共通の“父”を持つのであれば、上西の女性は全員姉妹になる。
「まあ、そうなりますね。つまり私は妹を生むわけです」
「神話の世界ね……神話だったわ」
天香が自問自答をする。
「というか“設定”だと、上西の家系は永遠に一族内部で自己増殖しているわけだが……遺伝子的に考えると、お前と父親って九割九分同一人物だよな?」
「まあ、確かに。年々、初代の血は薄くなって、父親が濃くなることになるな」
聖と由弦がそう言うと、千春はその大きな胸を張った。
「ゴッド千春と呼んでくれて良いですよ?」
「……実質、自分自身と子作りしているようなもんだな」
宗一郎が呟く。
すると亜夜香が若干、興奮したような、上擦った声をあげる。
「それって実質、オナ……何? 宗一郎君」
「食事中だぞ」
亜夜香の失言を宗一郎が止める。
が、そこで千春が明るい声で言った。
「実質、自慰行為ですね!」
「自分から言うのか……」
由弦は思わず困惑の声を漏らした。
一方で愛理沙は苦笑する。
「まあ……古事記とかも、中々凄い内容ですし」
そういう愛理沙の表情や声音には不快な色はない。
というよりも、少し楽しんでいるように感じられた。
……意外に下ネタは大丈夫なようだ。
もっとも、思い返してみると愛理沙は男性慣れしていないだけで、別に潔癖というわけではない。
ジョークならば、許容範囲内なのだろう。
これが猥談になると、話は変わるかもしれないが。
(……嫌われたくなかったからそういうジョークは言わないようにしていたが、案外、大丈夫なのか?)
今度、機会があったら愛理沙の許容範囲を探ってみよう。
由弦はそんなことを思うのだった。
その日の夜のこと。
「今日はありがとうございます」
愛理沙は電話越しに相手に対し、そうお礼を言った。
相手は……橘亜夜香だ。
『ううん、気にしないで。私のお節介みたいなものだからさぁー』
由弦が愛理沙との“恋”に思い悩んでいるのと同様に。
愛理沙もまた由弦との“恋”について悩んでいた。
そしてもし恋人になった時、愛理沙が周囲からの“評判”を気にするのは当然のことだ。
由弦とは異なり当事者なのだから、それに関する悩みは深かった。
『まあ、何かあったら私に言ってね。私も、きっと千春ちゃんも天香ちゃんも、力になるからさ』
「……はい。分かりました」
明るい声で言う亜夜香に対し、愛理沙は小さく頭を下げてそう言った。
はっきり言ってしまえば、愛理沙は自分が所属している“グループ”に対して居心地の悪さを感じていた。
対して面白くもない話に相槌を打ち、適当に話を合わせ、何の生産性もないメールに返信をする……という付き合いに嫌気を覚えていた。
勿論、前々からそこまで好きではなかったのだが……亜夜香たちとの関係を深めるにつれて、自分が所属している“グループ”があまり“楽しくない”ことに気付いてしまったのだ。
特に自分の“グループ”内部に於ける、恋人や男女関係に関する“牽制”のし合いにはある種の呆れを感じている。
特に好きな人がいるわけではなかった時は、それほど気にはならなかったが……今となっては障害でしかない。
だから愛理沙は距離を置きたいと、思っていた。
……が、いじめが怖い。
いじめまでは発展しなくとも、悪口を言われたり、孤立したりするのは、気が弱い愛理沙にとっては少なくない恐怖だった。
そんな愛理沙に協力を申し出てくれたのは亜夜香たちだった。
いざとなれば亜夜香たちが味方になってくれるというのであれば愛理沙も安心できる。
『私としては、次期“高瀬川”夫人の愛理沙ちゃんに恩を売るのは、得だからね。出生払いしてね』
「あはは……気が早いですよ」
愛理沙は思わず苦笑する。
たまにふと感じることがある。
亜夜香たちは自分と比較して、大人びている。
否、達観していると言っても良いかもしれない。
愛理沙が所属している“グループ”の面々のような慣れ合いや、なあなあの付き合いではなく、明確な“損得”を求めてくるのだ。
最初は戸惑ったが、慣れると心地よい。
はっきりと口にしてくれた方が、線が引かれている方が分かりやすく、いろいろと気が楽だからだ。
「……由弦さんが私のことを、どれくらい好きか分からないですし」
『……』
愛理沙がそう言うと、しばらくの沈黙があった。
それから亜夜香は答える。
『謀略の一族』
「……はい?」
『高瀬川家の評価だね。あの家はね、根回しとか、そういうのを得意とするんだよね。やり口がいろいろと厭らしくてさ……』
それは言葉だけで判断すると、ただの悪口だ。
しかしその口調は決して悪口を言っているようではなかった。
『あの人たちはさ、器用なのか不器用なのかは分からないけど、その場の感情をグッと堪えることができちゃうんだよ。だから薄情に見える。冷静で冷徹で冷血な高瀬川、ってね。……一時の感情よりも理性を、計画を優先するんだよ。だからさ、もどかしいかもしれないけど、待ってあげて』
「……はい、分かっています」
亜夜香の言葉には“高瀬川由弦”への深い理解と信頼が感じられた。
愛理沙はそれを……少しだけ妬ましく思ってしまった。
勿論、彼女に彼への恋心はなく、彼から彼女への恋心もないことはすでに分かっているが。
「亜夜香さんは……」
『うん?』
「結婚って、早いとか……思わないんですか?」
ふと、愛理沙は疑問に思っていたことを尋ねてみる。
愛理沙は既に由弦と結婚しても良いと、否、結婚したいとまで思っている。
だが高校生でそこまで考えているのは、あまり一般的ではないだろう。
しかし亜夜香は由弦と愛理沙が結婚することに、特に疑問を抱いている様子はない。
『早いってのは、高校生でってこと? それは早すぎるよ』
「いえ、まさか……さすがに在学中に籍を入れようとか、そこまでは考えてないです。……早くても高校卒業後かなって。でも、そんなことを高校生のうちに考えることは、早いかなって……」
少なくとも周囲の高校生の恋人同士はそんな遠い未来まで考えてはいないだろう。
……勿論、考え無しが過ぎているパターンもあり得るが。
『一般的にはどうかは分からないけどさ……』
愛理沙の問いに対して、亜夜香は答えた。
『私もゆづるんも、いつかは子供を作って、家と血を繋げないとだからさ』
「……」
『物心ついた時から、考えてるよ』
言われてみればそうだなと、愛理沙は納得した。
同時にカルチャーショックを感じた。
始めから“結婚”への意識が違うのだ。
「亜夜香さんは……」
『うん?』
「その、佐竹さんと?」
愛理沙が尋ねると、しばらくの沈黙の後に亜夜香の声が聞こえてきた。
『どうかなぁ……宗一郎君は佐竹の長男だからね』
「そう、ですか……その、なんか、すみま……」
『でも宗一郎君はああ見えて熱い男でね。お前のためなら家督の相続権を放棄しても良いって言ってくれたよ』
それは愛理沙にとっては少し意外だった。
愛理沙にとって佐竹宗一郎は……はっきり言ってしまえば、何を考えているのかよく分らない人だからだ。
『まあ、私はほら……橘宗家の一人娘だからさ。もう、宗一郎君にいろいろと捨ててもらうのを期待するしかなくてね……』
その言葉には達観と諦めと羨望が僅かに含まれているように愛理沙は感じられた。
そして亜夜香は愛理沙の言葉を待たずにこう告げた。
『ゆづるんも、私と似たような立場だからさ。愛理沙ちゃんも……心構えをした方が良いよ。いろいろと、ね』
その言葉は愛理沙の心に重く圧し掛かった。
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デレ度:40%→45%
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