第2話 “婚約者”とお泊り
愛理沙と和弥が、天城直樹に対して連絡を取ると、彼は「高瀬川さんならば娘を任せられます」とあっさりと愛理沙の外泊を認めた。
それから彩由が付き添う形で、近くのコンビニで下着などの最低限のモノを購入。
すでに夕食は祭りでの食べ歩きで終えているので、お風呂に入ることとなった。
そして……
「私の和服だけど……どうかしら? 愛理沙ちゃん。サイズは大丈夫?」
「はい。丁度良い感じです」
愛理沙はそう答えた。
愛理沙が着ているのは、彩由が寝間着として利用している浴衣だ。
祭りなどの晴れの日に着るような美しいものではなく、小豆色の非常に地味なもので、柄もない。
風呂上りだからか、愛理沙の亜麻色の髪は湿り気を帯びている。
肌はほんのりと薔薇色に紅潮し、血色も良い。
そのせいか、少し……いやかなり艶っぽく見える。
加えて、愛理沙は「丁度良い感じ」と答えたが……微妙にサイズが合っていないような気がした。
特に胸の大きさが、合っていない。
少し苦しそうな形になっており、屈めば胸の谷間が見えてしまいそうだ。
もっとも、愛理沙はそこまで気になってはいないようだ。
というより、そもそも和服を着た経験が少ないせいか「そういうものか」と受け入れてしまっているように見える。
「じゃあ、由弦。次はあなたがお風呂に入ってきて。その間、私たちは愛理沙ちゃんから由弦の話を聞くから」
「はいはい。……愛理沙、あまり変なことは言わないでくれよ?」
「由弦さんの名誉はしっかり守ります」
その言い方だと不名誉なことがあることを、彩由たちに話しているようなものである。
とはいえ、由弦の記憶の範囲内では家族に知られたくないようなものはない。
由弦は手早く、風呂に入ってしまうことにした。
風呂から出て居間に戻ると、愛理沙と高瀬川一家は大盛り上がりをしていた。
どうやら愛理沙が持ってきたお土産を茶請けに、由弦の過去で話が弾んでいるらしい。
「ああ、兄さん。今、兄さんの話をしていてね」
「それは分かる。何の話をしているんだ?」
由弦はそう言いながら、愛理沙の隣の座布団に座り、中央に盛られているお菓子に手を伸ばす。
包み紙を取り外し、口に運ぶ。
どうやら冷やして食べるタイプの洋菓子のようだ。
こういうセンスは悪くないのだなと、由弦は愛理沙の養父に対する評価を上げる。
勿論、人格を抜きにした能力の話だが。
「由弦が昔から、まともに片付けをやらない子だったという話だ。玩具を出したら、散らかしっぱなし。ゲームも遊んだら、放りっぱなし」
「遊んだモノを片付けるように躾けるのは、苦労したわ。玩具を一つ、箱に戻すだけでも大袈裟に褒めてあげたりしてね」
「「ねぇー」」などと、和弥と彩由は楽しそうに語る。
さすがの由弦も出した物を片付けるくらいはできるので、おそらくは幼稚園か小学校に入学したばかりの頃の、それくらい幼い時の話をしているのだろう。
「子供なんて、みんなそんなものだろう。……そこに楽しい要素があるのか?」
麦茶を飲みながら、由弦は尋ねる。
すると和弥と彩由は顔を合わせ、楽しそうに笑った。
「玩具は片付けられるようになったが、自分の部屋は片付けられなかっただろう?」
「俺が俺の部屋で何をしようと勝手だ! って言って、掃除もさせなかったし」
「……それが何だよ」
何となく、話の方向が読めてきた気がした。
少し前までの由弦は、自分のプライベート空間の片付けなどはまともにやらないような人間だったのだ。
だが、今は違う。
愛理沙と出会ってからは、部屋を掃除するようになったのだ。
「どんな風に愛理沙さんに“躾けて”貰ったのかと思ってね」
「私があれだけ言ってもダメだったのに、恋人に言われてからちゃんとするようになったなんて。お母さん、嫉妬しちゃうわぁ」
「愛理沙さんに、お片付けできて偉いねぇーって、良い子良い子でもして貰ったの? 兄さん」
和弥、彩由、彩弓は由弦を揶揄うように言った。
さすがの由弦もこれだけ言われると恥ずかしいし、少し苛立つ。
そしてこの話をしただろう愛理沙を見ると……彼女は申し訳なさそうに縮こまった。
「す、すみません。その、悪気はなかったというか……今の由弦さんは自分の部屋を掃除するくらい立派な方になったと、説明したつもりだったんです」
「……まあ、君は悪くない。悪いのはこいつらだから」
由弦は愛理沙を慰めてから……両親と妹を軽く睨む。
とはいえ、部屋の掃除をしてこなかったのは事実であり、その点に関しては両親に反論はできない。
なので……
「彩弓、お前だってまともに掃除できない、汚部屋状態だろう」
「に、兄さん! 私の部屋、勝手に覗いたの!!」
「いいや、想像を語っただけだ。でも、その様子だと図星だったみたいだな」
げぇ、っと彩弓の表情が歪む。
彼女は慌てて首を左右に振った。
「ち、違うもん。汚くないし!」
「じゃあ……愛理沙と母さんに確認してもらおうか? 同性なら良いだろう」
「だ、ダメ! プライバシーの侵害だもん!!」
由弦と彩弓がそんなやり取りをしていると……
くすくすと、愛理沙が楽しそうに笑った。
「あぁー! 愛理沙さん、酷い! 笑った!!」
「ふふ、すみません。仲が良いんだなと、思いまして」
そういう愛理沙はとても楽しそうで、しかしその表情には少しだけ憧憬の色があった。
愛理沙と高瀬川家の団欒が終わるころには、時計の針は十二時を回っていた。
由弦は来客用の部屋へと愛理沙を案内し、押し入れから布団を取り出す。
「すみません。敷いて貰っちゃって」
「気にするな。君はお客さんなんだしね」
布団を敷き終えてから、由弦は愛理沙に尋ねる。
「トイレの場所は分かるよな?」
「はい。それは大丈夫です」
「そうか。もし喉が渇いたら、冷蔵庫を勝手に開けて、麦茶を飲んでくれて良いよ。……他に気になることはあるかな?」
由弦がそう尋ねると、愛理沙の顔に迷いの色が浮かんだ。
それから不安そうに天井へ、電灯へと視線を向ける。
「その、ここって……オレンジ、あります?」
「オレンジ? ……常夜灯か? 明るいやつと暗いやつの中間」
「そう、それです」
こくこくと、愛理沙は頷いた。
酷く不安そうに、そして恥ずかしそうに由弦に告白する。
「わ、私……暗いのが苦手で。その、常夜灯じゃないと寝れないのですが……あ、ありますか?」
「それは安心してくれ。はい、これ、リモコン」
由弦は照明のリモコンと、そしてついでに空調のリモコンも渡した。
愛理沙は照明へリモコンを向け、ボタンを押す。
少しだけ暗くはなったが……
オレンジ色の灯りで周囲を確認できる程度には明るい。
ホッと、愛理沙は小さなため息をついた。
「じゃあ、愛理沙。おやすみ……もし何かあったら、俺の部屋に来てくれ」
「はい、分かりました。おやすみなさい」
由弦は愛理沙に手を振ると、襖を閉めた。
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