第3話 “婚約者”と月灯り

「うん?」


 深夜。

 由弦はふと、目を覚ました。


 携帯の音が鳴っていることに気付いたからだ。

 半分寝惚けながらも携帯を見ると……愛理沙からメッセージが届いていた。


 真夜中に申し訳ない。

 自分が寝ている部屋に来てほしい。


 そんな内容が書かれていた。


「うん……用があったらこっちに来てくれと言ったような気がしたんだが……」


 言い忘れただろうか?

 と由弦は内心で首を傾げながらも、愛理沙のところへと向かう。


 家族を起こさないように注意しながら、由弦は客間へと向かった。


 愛理沙の部屋は明るく、電気がついていた。

 襖を開けると……


「ひぅ! あ、由弦さん……」


 ビクリ、と体を振るわせ……

 そしてどこかホッとした表情を浮かべる愛理沙がいた。


「どうした? 愛理沙。何か、あったか?」

「あ、あの……本当に、こういうことをお頼みするのは、ちょっと、どうかと思うんですけれど……」


 愛理沙は恥ずかしそうに頬を赤らめ、もじもじとしだした。

 僅かに解れた浴衣の隙間から、白い肌と下着が見えた。

 由弦は思わず、生唾を飲んだ。


「どうしたんだ?」

「その、お、お手洗いについていって欲しいなと……」

「トイレ? ……場所、教えてなかったっけ?」


 ゲスト用の寝室近くのトイレの場所については、愛理沙に伝えたはずだ。

 説明の仕方が分からなかったか。

 それとも忘れてしまったのか。


 由弦は首を傾げる。


「い、いや……その、教えて頂いた場所は覚えているのですが……」

「うん」

「そ、その……こ、怖くて……」


 恥ずかしそうに愛理沙は目を伏せながら言った。


「……なるほど」


 常夜灯がついていないと寝れない愛理沙が、一人で暗闇の中、トイレへ向かうのは難しいかもしれない。

 しかし、ふと疑問が浮かぶ。

 電気を付ければ良いじゃないか? と。


 由弦がそれについて尋ねる前に、愛理沙はまるで言い訳をするように言い繕った。


「そ、その、照明の電源の場所も、少し分からなくて……それにあまり灯りを付けると、ご迷惑かなと……」

「そういうことか」


 土地勘――土地ではなく建物だが――がない愛理沙が、暗闇の中で照明の電源を探すのは少し難しいだろう。

 携帯でメッセージを送ってきたのも、由弦の部屋まで辿り着けなかったからだろう。

 

 これは由弦の配慮不足だ。


「すまなかった。まあ、でも一応言っておくと……この部屋と、俺たちの寝室は結構離れているし、トイレも複数あるから、大声で騒がない限りは大丈夫だよ」


 愛理沙に貸し与えている部屋は、来客用の寝室だ。

 高瀬川邸には来客用の寝室や客間が複数、存在する。

 そして当然、来客用のトイレもある。


「あ、ああ……そ、そう言われてみれば、そうですね。……すみません」

「いや、大丈夫だよ、俺がもう少し、説明していれば良かった。一緒に行こうか」


 由弦がそう答えると、愛理沙は小さく頷いた。

 二人で照明を付けながら、トイレまで向かう。


「……ご迷惑をおかけしました」


 用を済ませた愛理沙は、小さく由弦に頭を下げた。

 今更ながら恥ずかしくなってきた様子で、耳まで顔が真っ赤だ。


「まあ、苦手な物の一つや二つ、誰にでもあるさ」


 由弦は愛理沙を慰める。

 そして今度は照明を消しながら、元来た道を戻るのだが……


 ギィィィ……


 廊下が僅かに、軋む音を立てた。


「ひぃゃあ!」


 すると愛理沙は素っ頓狂な声を上げて、由弦に抱き着いた。

 無我夢中という様子で、由弦の体を抱きしめてくる。


「お、おい、愛理沙……」


 次に驚いたのは、由弦の番だ。 

 突然、腕に柔らかい感触の物が押し当てられたのだから。


 薄暗く、視界不良なのも余計に触感を過敏にさせ、そして想像力を駆り立てる。


「そ、その……じ、実は理由が、もう一つ、ありまして……」

「理由?」

「そ、その……最初は一人でも、頑張れるかなと、思っていたんですけれど。そ、その、雰囲気があるなと思ったら、きゅ、急に怖くなっちゃって……」

「……雰囲気?」


 由弦の脳裏にクエスチョンが浮かぶ。

 が、すぐに合点がいった。

 要するに、この家はお化けが出そうな雰囲気がすると、愛理沙は言いたいのだ。


「そ、その、嘘を言うつもりはなかったんですけれど、そ、その、こういうことを言うのは、し、失礼かなと……」


 別に詰問をしているわけでもないのに、言い繕い、弁解をする愛理沙。

 愛理沙は決して嘘はつかないが……自分の本当の気持ちに関しては、相手に“配慮”して言わないことがあるようだ。

 そして今更ながら、罪悪感が湧いてきたのだろう。

 難儀な性格だ。


「雰囲気、か。その発想はなかったな」

「そ、その、決して由弦さんのお家を……」

「でも、言われてみれば“出そう”では、あるな。古い家だし」


 由弦はそう言って笑った。

 愛理沙のこの“嘘”に関しては、冗談として扱ってあげることにする。


 とはいえ、愛理沙に言われて“出そう”だと思ったのは本当だ。

 古い木造の屋敷なので、夜になればそれなりにそういう雰囲気がある。


 先ほどのように、軋んだりするのも事実だ。


 それに古い物には、何かが“憑く”というのが日本の八百万信仰だ。

 座敷童の一体や二体、いてもおかしくはない。


「も、も、もしかして、で、出るんですか!?」

「いや、俺は今までの人生で出会ったことはないから。出ないとは思うけど」

「そ、そうですか。……それなら、良いのですが」


 そうは言いつつも、怖いらしい。

 ギュッと由弦の腕を掴んで、離さない。


(……不味いな。いろいろと)


 愛理沙の肌の柔らかさと、温かさが薄い布越しに伝わってくる。

 これは絶妙に由弦の本能を刺激した。


 暗闇ということもあり、「どさくさで触っても許されるではないか?」とそんな邪な考えが思わず脳裏を過る。

 

 それに怖がっている愛理沙を一人置いていくのも、忍びない。

 かと言って、一晩中愛理沙と一緒にいるというわけにもいかない。


 そこで……


「愛理沙、せっかくだし月でも見てから、寝ないか?」

「……はい?」







 由弦は来客用の寝室からそれほど離れていない縁側まで、愛理沙を案内した。

 そこからは庭と、そして池が見える。


 それに……池に映る、月も。


「そこそこ、良い“雰囲気”だろう?」

「そうですね……綺麗です」


 由弦の言葉に同意するように、愛理沙は小さく頷いた。

 高瀬川邸の庭は、専属の庭師が常に整備している。


 だからとても景色が良い。


「花火の時は気付きませんでしたけど……静かで、風情があって、綺麗ですね」


 そう言って愛理沙は目を細める。

 亜麻色の髪が月明かりで輝き、金色に見えた。


 花火と一緒に映る愛理沙も綺麗だが、月明かりに照らされている愛理沙もとても美しい。

 由弦は少し胸がドキドキするのを感じた。


 とはいえ……これで少しは恐怖が薄れただろう。


「気に入っていただけて、幸いだ」


 由弦と愛理沙は向かい合って笑った。

 そして月明かりで……愛理沙の胸元が見えた。


 由弦は慌てて目を逸らした。

 愛理沙は不思議そうに首を傾げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る