第3話 “婚約者”とバイト

 それは五月中旬ごろの、ある日の昼休みのことだった。



「ゆづるんってさ、どうしてバイトしてるんだっけ?」


 唐突にそう尋ねてきたのは、由弦の幼馴染であり、女友達。

 橘亜夜香だった。


 同じクラスになったということもあり、最近は彼女と――勿論、愛理沙も交えて――昼食を食べる機会が増えた。


「……どうしてって、一人暮らしの条件だ。お小遣いぐらいは自分で稼ぎなさいと」


 由弦の家から学校までは、決して遠いわけではない。

 電車や車を使えば十分、通える距離だ。

 実際、それなりに時間を掛けて登校している生徒も決して少なくはない。


 にも関わらず一人暮らしがしたい、だなと我儘を言ったのだから……

 一人暮らしさせてあげるから、お小遣いくらいは働いて稼いでみなさいと言われると反論ができない。


「一人暮らしは許す癖にバイトしなさいなんて、由弦さんのご両親も甘いのか厳しいのか……高瀬川家の人の考えていることは摩訶不思議ですねぇー」


 同じくクラスメイト兼幼馴染の千春の言葉に、由弦は眉を顰めた。


「……そういう君はどうして一人暮らししてまで、この学校に通っているんだ?」


 千春の実家は関西だ。

 ここは関東圏の学校に通うには一人暮らしが必要……なのは当然ではあるが、しかし女子高生が一人暮らしをしてまで、この学校に通うメリットはない。

 関西にも良い学校はいくらでもあるだろう。


「えぇー、聞くまでもありますか?」

「……いや、すまなかった」


 要するに亜夜香・宗一郎と同じ学校に通いたかったのだろう。 

 聞くまでもない。 

 そして……この中にはもう一人、実家が関西にも関わらずこの学校に通うために一人暮らしをしている者がいるが……


「……いや、ほら。クラスメイトに信者がいると、嫌じゃない」


 天香の言葉は少し重かった。

 少し空気が重くなる。

 

 もしかして自分のせいで空気が悪くなったのではないかと、由弦が少し居心地悪く感じていると……


「そう言えば由弦さんは何のバイトをしているんでしたっけ?」


 助け船を出してくれたのは、由弦の婚約者であり恋人、愛理沙だった。

 由弦は以前、愛理沙にバイトの話を少ししたことがあるので、愛理沙の発言は由弦を助けるためであることは明白だった。

 

「レストランと、家庭教師と、弁護士事務所の雑用をしているな」

「そう言えば、時給、いくらくらいだ?」

「前から順に、千五十(1050)円、二千(2000円)、千五百(1500)円だ。……勤務時間んはレストランが一番長いから、一番稼いでるのはレストランのウェイターだ」


 宗一郎の問いに由弦はそう答えた。

 一方の聖は「ふーん」などと相槌を打つ。


「そこそこ良いところで働いているんだな」

「……まあ、親の紹介だしな」

「それもそうか」


 由弦の両親は自由放任に見えるが、しかししっかりと鎖と首輪は付けるタイプだ。

 それは由弦の安全のためでもあり、由弦が何かをやらかした時にすぐに火消しができるようにするためでもある。


「弁護士の雑用……というのは、どういう仕事なんだ? 千五百(1500)円ってのは、バイトにしてはかなり実入りが良さそうだが。難しい?」


 やや身を乗り出してそう尋ねたのは聖だ。

 どうやら少し興味があるらしい。


「大したことはしない。役所を回って判子をもらったり、掃除したり、荷物を運んだりだな。要するに高校生や大学生でもできるようなことだ」


 強いて言えば、一応スーツを着用する必要がある。

 もっとも由弦はTPOに応じて着られるようなスーツを、何着か所有しているのでその点は特に問題はなかった。


「ふーん……忙しい?」

「基本は暇だな。本や新聞を読んで時間を潰すことも多い」

「……俺でもできる?」

「……まあ守秘義務が守れれば。あとはコネだな」

「コネか……ふむふむ……」


 聖は勤勉なタイプではないので、仕事がしたいというよりは、自由に使える小遣いが欲しいのだろう。

 さて、聖が少し長考に入ったところで亜夜香と千春が口を開いた。


「ところで家庭教師って、どれくらいの子の面倒を見てるの?」

「何人くらいですか?」

「小学生を一人だな」


 由弦がそう答えると亜夜香と千春は揃って声を上げた。


「小学生!?」

「ダメですよ、由弦さん。手を出しちゃ!」

「お友達の上西さん。彼の印象は?」

「いやぁ……彼はいつかやると思っていました。……お友達の橘さんは?」

「彼はいつかやると言ってました」


 酷い茶番を始める亜夜香と千春。

 何か言い返してやろうと由弦が口を開こうとした時……


「……女の子なんですか?」


 今まで黙っていた愛理沙が、唐突に由弦にそう尋ねた。

 由弦はどういうわけか、背筋がぞわりとした。


「いや、男の子だよ」

「そうですか」


 由弦の回答に満足したのか、愛理沙は満面の笑みを浮かべた。

 一方、亜夜香と千春は少し悪いと思ったのか変な茶番はやめた。


 こうして友人たちとの昼食の時間は過ぎていったのだった。






 その日の夜。


『由弦さんのバイト先のレストランって、知っていますか?』


 愛理沙は亜夜香に対してメッセージを送った。

 既読はすぐに付き、メッセージが返って来た。


『知ってるけど。行きたいの?』

『はい。少し気になって』


 家庭教師先、弁護士事務所に訪問することはできない。

 しかしレストランなら訪問することはできる、

 

 レストランでウェイターとして働いている由弦の姿を、婚約者として、恋人として見てみたい。

 何より、自分の知らない好きな人の姿があるというのは、愛理沙としてはあまり望ましいことではなかった。

 好きな人のことは、知れる範囲内なら、知りたいのだ。


『ゆづるんに聞けば普通に教えてくれると思うけど……隠すことでもないし』


 勿論、聞けば由弦は教えてくれるだろう。

 世の中にはバイト先が知られるのは嫌、知人には会いたくないという人もいるが、しかし由弦はそういうタイプではない。


 だからこっそりと、共通の友人に聞く必要は薄いが……


『びっくりさせたいなと思いまして』


 由弦をびっくりさせたいという気持ちが一つ。

 もう一つは……


『じゃあ、良かったら一緒に行く?』

『はい。喜んで』


 千春と天香も誘った上で、由弦が働いているレストランで食事をしよう。

 ということで方針が決まった。


 携帯を置いた愛理沙は、一人呟く。


「男の人しかいないということはないだろうし。何より由弦さんはカッコいいからなぁ……」


 

 こうして友人たちを巻き込んでの、愛理沙の婚約者の職場訪問が決まったのだった。





______________________________________




バイトの話をやるのがこんなに後ろになるとは思っていなかったでござる。


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