第5話 “婚約者”の悩み?

 正月を開けてから、最初の登校日。

 いつものように由弦は友人たちと一緒に昼食を食べていた。


「お前、それ温かそうだな」


 由弦の弁当箱を見ながら、宗一郎は羨ましそうに言った。

 由弦は温かいコンソメスープを飲みながら、頷く。


「ああ。冬に温かい食べ物や汁物が食べられるのは良いな」


 由弦が使用しているのは、汁物なども一緒に容れられる、保温性の弁当箱だ。

 勿論、中身は愛理沙の手作り弁当となっている。

 白米もおかずもスープも、まだ温かい。


 今までは自宅にあった適当な弁当箱を使用していたのだが、冬休みを期に一新した。


「俺も買おうかな……ところで、夏場ってどうなんだ? 腐りやすくならないのか?」

「高温状態なら、むしろ細菌は繁殖しないから、安全らしいぞ? 下手に冷ます方が腐りやすくなるんだってさ」


 愛理沙も同様の保温性弁当箱を使用しているらしい。

 料理に関する知識の完璧さは、さすがは愛理沙と言うべきか。


(そうか……愛理沙と結婚できれば、今後一生、こういう食事ができるわけだな)


 逆に言えば愛理沙を手放せば、これが食べられない。

 絶対に自分の物にすると、プロポーズを成功させてみせると由弦は決意を新たにする。


「何、ニヤニヤしているんだ。気持ちわりぃな……」

「悪い。愛理沙のことを考えていた」

 

 聖の指摘に対して由弦が堂々と答えると、彼は角砂糖の蜂蜜漬けを食べたような顔をした。

 口直しをするようにお茶を飲む。


「俺のクラス、この後体育でさ……」


 そして話題を変えるようにそんなことを口にした。

 非常に嫌そうな表情だ。


「食後か……」

「キツいな。特に今の時期は」


 由弦と宗一郎は聖に同情する。

 なぜ、今の時期は“特に”辛いのか。


 それは一か月後に控えている、由弦の高校のある行事に由来する。


「だりぃな……マラソン大会」


 由弦の高校では二月の頭に、マラソン大会が実施されるのだ。

 今の時期はその練習のため、体育はほぼ全て、持久走に切り替わっている。


「確か……男子が十キロで、女子が七キロだったか?」


 由弦がそう言うと、宗一郎が頷いた。


「地味に長いよな。十キロ」


 由弦は決して運動が嫌いではない。

 健康のために長距離を走ることもある。

 だからそれなりに持久力に自信はあるが……しかし別にマラソンが趣味というわけではないし、そして日頃から熱心に運動をしているというわけでもない。


 そしてそれは宗一郎や聖も同じだった。


「まあ……あと何キロとか考えていると長いけど、何も考えずに走ってれば、すぐに終わるんじゃないか? 体感的に」

「それはそれで飽きるだろ……つまんねぇよ。マラソン」

 

 由弦の言葉に聖はため息混じりに答えた。

 マラソンのような長距離走の好き嫌いは人によるだろう。

 だが……少なくとも聖はあまり好きではないようだ。


「そうか? 俺は長距離走、好きだけどな。頭空っぽにしながら走ってれば終わるからな。一々、考えて動かなければいけないスポーツよりは楽だ」


 そう言ったのは宗一郎だ。

 彼は見た目は真面目そうなのだが、実は意外に面倒くさがり屋である。

 そして同時に要領の良い男でもある。


(俺は愛理沙のことでも考えながら……いや、顔がニヤけるからやめておくか)


 ニヤけながら走る男は控え目に言ってかなり気持ちが悪いだろう。

 由弦は自制することにした。


「まあ……しかし闇雲に走るのもつまらないし、ここは一つ、勝負しないか? 一番遅かった奴が、二人に飯を奢る。どうだ?」


 由弦がそう提案すると、二人はニヤりと笑った。

 どうやら乗り気らしい。


「俺は構わない」

「俺もだ。……やっぱり、目標があった方が楽しいな」


 こうして“勝負”が決まった。

 言い出しっぺでは由弦自身だが……少し真面目に授業を受けなければならないと決意した。





 さて、放課後。

 由弦は一人、校門の前で立っていた。


 しばらく待っていると……女子の集団が歩いてきた。

 由弦と同じクラスの少女たちだ。

 そしてその中に紛れ込むように、愛想笑いをしている少女が一人。


(……こうしてみると、案外目立たないんだな)


 女子たちと談笑をしている愛理沙を見ながら、由弦はふと思った。

 愛理沙はとびっきりの美少女だが、しかし集団に溶け込むと案外、目立たない。


 愛理沙自身が陰を薄くすることを心掛けているのだろう。

 実際、一見楽しく談笑しているように見えるが……よく見ると一歩引いた位置で、聞き役に徹している。

 顔に張り付いている笑顔も、作り笑いだ。


 おそらく、愛理沙なりの処世術なのだろう。


 あれだけ容姿が良いと、いろいろ嫉妬ややっかみを集めてしまう。下手をすれば虐められる。

 集団のリーダーになれば話は別かもしれないが、愛理沙はそういうことがあまり得意ではないように見える。

 だからこそ、目立たないように徹しているのだろう。


 他の女子からしても容姿の優れた愛理沙が大人しく、比較的自分たちよりも“低い”地位に位置しているのは、心地が良い……

 というのはさすがに性悪説的に考えすぎかもしれないが。


 そこまで考えた由弦はスマホを取り出し、弄りながら……愛理沙が校門で女子たちと分かれるまで待った。

 愛理沙だけ帰り道の方向が違うことは調査済みだ。


 そして愛理沙は他の女子を見送って、踵を返した。

 そのタイミングで由弦は声を掛けた。


「愛理沙」

「ふぇ!? ……由弦さん、どうして?」


 愛理沙は驚いた様子で目を丸くした。

 由弦は少し緊張しながらも、平静を装いながら言った。


「君と一緒に帰りたいと思って」


 本当は他のクラスメイトたちの目の前で愛理沙に声を掛けることで、外堀を埋めようかと考えていたのだが、愛理沙に迷惑が掛かりそうだったので途中で計画を変更した。


 勿論、近いうちに愛理沙が由弦の恋人(となる予定)であることは学校で周知の事実にするつもりではあるが。


「ダメだったかな?」


 固まってしまった愛理沙に尋ねると……

 彼女は首が取れるのではないかという勢いで、首を大きく何度も左右に振った。


「ま、まさか! 全然、大丈夫ですけれど……」


 そういう愛理沙の顔はやや赤らんでいた。

 戸惑った表情で由弦の顔色を伺っている。


「じゃあ、行こう。愛理沙」


 由弦はそう言うと、愛理沙と一緒に歩き始めた。

 彼女の歩幅に合わせ、車道側を歩かせないように気を遣う。


「その……由弦さん。今日はどうして突然?」

「愛理沙と一緒に帰りたいなって……そういう気分になったんだ。……これから時間が合えば一緒に帰りたいなって思っているんだけど、ダメかな?」


 そう尋ねると、愛理沙の顔は増々、赤くなった。

 そして小さく頷く。


「は、はい……大丈夫です。でも、その、クラスの人には……」

「分かった。隠れて待ち伏せしていることにしよう」

「……それはストーカーみたいですね」


 くす、っと愛理沙は小さく笑った。

 それに対して由弦も笑う。


 由弦は肩が触れ合う程度の距離を維持しながら、愛理沙と歩く。

 最初は二人で楽しく談笑していたが……駅が近づいてくると、愛理沙の口数が減り始めた。


 そしてどこか、心ここに非ずという表情になる。


「愛理沙。何か、悩みでもあるのか?」


 由弦は愛理沙と一緒に帰る、本当の目的を果たすためにそう尋ねた。

 最近、愛理沙は心ここに非ずという調子で、ボーっとしていることが多い。


 冬期休暇前から授業中に愛理沙のことを眺めているから分かる。

 以前は真面目に授業ノートを取っていたのに、最近はボーっと何かを考え込んだ様子で宙を見て、そして慌てて黒板の板書をするという行動が増えている。


 最初は新鮮で可愛いと思っていたが、どうにも悩み事があるように見えた。

 というのも最近の何かを考え込んでいる時の愛理沙は、少し表情が暗いのだ。


「え? ……いえ、大丈夫です」


 由弦に尋ねられた愛理沙は首を左右に振った。

 しかしその言葉は否定の言葉ではなく、「大丈夫」という由弦を安心させる言葉だった。


「そうか」


 正直なところ、あまり大丈夫そうには見えなかった。

 とはいえ、「大丈夫なはずがない」と決めつけるわけにはいかない。

 愛理沙が「大丈夫」と言うのはつまり、あまり由弦に首を突っ込んで欲しくないからだ。


 そして丁度、その時に駅の改札前に到着した。

 愛理沙は由弦の方に向き直り、軽く頭を下げた。


「では、由弦さん。また明日」

「ああ。…………愛理沙」


 立ち去ろうとした愛理沙を、由弦は引き留める。

 そして愛理沙の両肩に手を置いた。


「え、えっと……」

「俺は君の味方だから。もし何か、力になれることがあったら、いつでも言ってくれ」


 愛理沙の翡翠色の瞳が動揺で揺れた。

 瞳が僅かに潤む。


「はい、由弦さん。ありがとうございます」


 それから愛理沙は小さく、頷いた。 

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