第10話


 成人式が終わった、その夜のこと。


「あれ? ゆづるん。そう言えば、愛理沙ちゃんは?」


 ドレスを着た亜夜香は由弦にそう尋ねた。

 場所はとあるホテルにあるレストラン。

 同窓会に参加するためにやってきたのだ。


「愛理沙は中学、違うじゃないか」


 同窓会は同窓会と言っても、中学の同窓会だ。

 由弦と同じ中学に通っていたのは、亜夜香と宗一郎の二人だけである。

 

「あぁ……そう言えばそうだっけ。……ほら? 高校から大学まで一緒だったからさ」


 亜夜香はワインを片手に持ちながらそう言った。

 どうやらすでに酔いが回っているようだ。


「で、そういう愛理沙さんはどうしてるんだ?」

「愛理沙は愛理沙で中学の同窓会に参加してるよ」


 宗一郎の問いに由弦は答えた。

 すると亜夜香は由弦を肘で軽く突いた。


「あれ? いいの? 愛理沙ちゃんを一人にして。愛理沙ちゃん、可愛いしセクシーだから、男が放っておかないでしょ?」

「別に同窓会くらい、どうってことないだろ……」


 愛理沙本人は中学時代にはあまり思い入れはなさそうだったが……

 一生に一度だからと、行くことに前向きではあった。


 愛理沙が前向きなら、由弦も止めることはしない。


「だが、真面目な話、大丈夫か? 彼女……酒、弱いだろ」

「絶対に飲まないように言ってるから」


 宗一郎の問いに由弦はそう答えた。

 

 由弦の懸念事項は愛理沙が酒に弱いところだった。

 調子に乗って飲んでしまい、前後不覚になり……

 と、考えるとやはり心配は心配だったのだ。


「ふーん。もしかして、お前がさっきからオレンジジュースとウーロン茶しか飲んでないのは、それと関係ある?」

「ある。交換条件が来るまで迎えに来ることだったんだ」


 愛理沙は割とお酒好きなので、飲まないで欲しいと伝えた時は不満そうだった。

 そんな愛理沙が由弦に出した条件が「じゃあ、帰りに車で迎えに来てください」だった。

 要するに「私に我慢させるなら、由弦さんも我慢してください」ということだと、由弦は捉えた。


「へぇ、なるほどね。……つまり、今日来た車で迎えに行くってこと?」

「そうだけど。……それが?」

「いやぁ、愛理沙ちゃんも考えるなって」


 亜夜香はニヤニヤと笑いながら言った。

 由弦と宗一郎は揃って顔を見合わせた。

 




 由弦が亜夜香や宗一郎と軽口を叩いている頃。

 

「雪城さん、今どこで何してるの?」

「今は――大学で……」

「そうなんだ、奇遇だね! 実は俺も近くの大学で……」

「へぇー」


 愛理沙は元同級生の男性たちに囲まれていた。

 もちろん、取り囲まれているというよりは自然と愛理沙の周りに男性たちが集まっているというのが正しい。


(昔はこんなにチャラチャラしたイメージじゃなかったけど……)


 愛理沙は先ほどから仕切りに自分に話しかけてくる元同級生の話を聞き流しながら、そんなことを考えていた。

 昔は眼鏡を掛けていて、野暮ったい髪だった元同級生だが……

 今はコンタクトレンズを嵌めていて、髪も茶色く染められている。


(人って変わるなぁー。……ちょっと面白いかも)


 昔は地味だった女子が華やかに、冴えない感じの男子がカッコよくなっていることもあれば……

 逆にクラスの中心人物だった人が、悪い意味で普通の人みたいになっていたりする。

 もちろん、印象が変わらない人もいるが。


 そういう変化を見れただけでも、この同窓会に来たのは良かったと愛理沙は思っていた。

 もっとも、良いことばかりではない。


(うーん、いつ終わるんだろう。この話)


 愛理沙は目の前の青年の話に相槌を打ちながら、内心でそんなことを考えていた。


 時折、視線が愛理沙の胸に向けられる。

 やや露出が多いパーティードレスを着ているので、愛理沙もそこは特別気にしない。

 口説かれることも大学に進学してから、多々あったので特別気に障ることでもない。


(でも、婚約指輪に気付かないのかなぁ? それとも気付いててやってる?)


 多くの男性はすぐに愛理沙の左薬指の指輪に気付き、諦めて撤退する。

 少なくとも愛理沙の通う大学の男性はみんなそうだった。


「せっかくだし、連絡先、交換しない?」

「あー、えっと……」

「雪城さん、久しぶり」


 愛理沙が返答に窮していると、横から声が割り込んできた。

 声のする方を見ると、一人の男性が立っていた。

 決して容姿に優れているとは言えない。

 だが、清潔感のある見た目だ。

 

「あのさ、今は俺が……」

「婚約者さんとは、上手く行ってる?」


 愛理沙を口説く男を無視し、男性は愛理沙にそう尋ねた。

 まるで|愛理沙の婚約者(ゆづる)を知っているかのような聞き方だ。

 いや、知っているのだ。

 ようやく、愛理沙の頭の中で顔と名前が一致した。

 

 小林祥太だ。

 由弦と彩弓と一緒に買い物をしている時に、ひと悶着あったことを愛理沙は思い出した。

 イマイチ、経緯は覚えていないが……。


「お久しぶりです。……ええ、彼とは同じ大学に通っています。卒業後に結婚するつもりです」


 愛理沙はそう言って婚約指輪を嵌めた指を自分の顔の前で翳した。

 今の会話と仕草で、愛理沙を口説いていた男は、ようやく自分が口説いていた女に先約がいることに気付いたらしい。


 憎々し気に表情を歪め、その場から立ち去った。


「少しあっちで話さない?」

「ええ、構いませんよ」


 愛理沙は祥太の提案に乗り、その場から移動する。

 今のやり取りで少々一目を集めてしまっていたため、都合が良かった。


「助かりました。ありがとうございます」


 愛理沙は祥太にお礼を口にした。

 祥太は空気を読まずに愛理沙に話しかけたわけではない。

 むしろ空気を読んだ上で、愛理沙を助けるためにあえて割り込んだのだ。

 愛理沙が迷惑そうにしていることに気付いたのだ。


「お礼を言われるほどのことはしてないよ。気付かせてあげただけだ。察せられない方がおかしい」


 祥太は苦笑しながらそう言った。

 祥太からすれば「彼女は恋人がいるよ」と伝えただけだ。

 しかもそれは本来、左手の薬指を見れば、小学生でも分かることだ。


「気付いた上で助け舟を出してくれたのはあなたが最初でしたよ」

 

 他の人は気付いていても、遠巻きで眺めるだけだった。

 口説き男を恐れて、もしくは空気が悪くなることを恐れて、会話に割って入って来なかった。

 

「あぁ、うん、まあ、そうだね……」

 

 祥太は気恥ずかしそうに頬を掻いた。

 実のところ愛理沙を助けたのは、単なる親切心からではない。 

 見ていて恥ずかしくなったからだ。

 婚約指輪に気付かずに愛理沙を口説く滑稽な男と、過去の自分が重なったのだ。

 それで見ていられなくなった。

 もちろん、これは秘密だが。


「ところで小林さんは、今は何を?」

「今は関西の方の大学で……」


 今はどこに住んでいるのか。

 何をしているのか。

 二人はそんな近況を報告し合った。


「しかし……本当に婚約者さんとは、上手く行っているみたいだね」

「ええ、まあ。……分かります?」

「彼の話をしている時は楽しそうだから」


 祥太の指摘に愛理沙は恥ずかしそうに口元を抑えた。

 そんな愛理沙の姿に祥太は残念そうに、やや大げさにため息をついた。

 そして額を抑える。


「正直なところ、上手く行っていないで欲しいと思っていたんだけどね」

「……どういう意味ですか?」


 いきなり不幸を願われた愛理沙は困惑し、首を傾げた。

 そんな祥太に愛理沙は告げた。


「あなたのことが好きだったから」

「……え?」


 祥太の言葉に愛理沙は大きく目を見開いた。

 

「……本当ですか?」


 そんなこと、考えもしなかった。

 そんな顔を浮かべる愛理沙に、祥太は複雑そうな表情を浮かべた。


「あぁ、うん……そんなに驚くことかな?」

「想像もしてませんでした」

「そ、そう……」

「……すみません」

「い、いや……謝らなくていいよ」


 祥太は謝罪する愛理沙を手で制した。 

 

「昔の話だからさ」

 

 晴れやかな顔で祥太はそう言った。


 

 


 二十時ごろ。

 同窓会は解散となった。

 約束の場所で愛理沙が由弦を待っていると……


「やあ、雪城さん。この後、予定ある?」

 

 声を掛けられた。

 話しかけて来たのは、一時間ほど前に愛理沙を口説こうとしていた男だった。

 まだ凝りていないようだ。


「帰ります」


 あなたと一緒にどこかに行くつもりはありません。

 と、愛理沙は暗に言った。


「予定はないんだね、良かった。実はこれから、二次会に行こうと思うんだけど、来ない?」


 「帰る=予定なし」と解釈された愛理沙は、思わず眉を顰めた。

 はっきり言わないと分からないのか。

 それとも分かって言っているのか。


「行きません。予定があるので」


 愛理沙がそう返すと、男は不満そうな表情を浮かべた。

 しかしすぐに笑みを浮かべる。


「そうか。じゃあ、近くまで送って行こうか? 夜道は女性一人だと危ないし……」

「結構です」


 あなたと一緒にいた方が危なそうです。

 と、愛理沙は内心で思いながら言葉を返した。


「まあまあ、遠慮せずに……」


 そう言って男は手を伸ばしてくる。

 愛理沙は不愉快そうに顔を歪めた。


「だから……!」


 愛理沙は声を荒げ、強い言葉で断ろうとした。

 その時。


「愛理沙」


 凛とした声がした。

 声のする方を見ると、そこには一台の車が止まっていた。

 デザインは少し古めだが、新品同様に磨かれた、美しい車だ。

 少しでも車に詳しい者であれば、できる限りこの車の隣に駐車はしたくないと思うような、そんな高級車だ。


「迎えに来たよ」

「由弦さん!」


 愛理沙はパッと笑顔を浮かべ、車に駆け寄った。

 ガチャっとロックが外れる音がする。

 愛理沙は扉を開け、車に飛び乗った。


「遅いです!!」

「いや、道路が混んでてさ……」

「言い訳しないでください」

「ごめん、ごめん。……お詫びに何か、できることある?」

「じゃあ、キスしてください」

「分かった。帰ったらね」

「今はしてくれないんですか?」

「運転中は危ないだろ……」


 そんなやり取りをしながら、二人はその場を立ち去った。

 ポカンと口を開けた男を残して。


「いやぁ……叶わないな」


 愛理沙を助けようと、今にも飛び出そうとしていた祥太は苦笑しながら呟いた。

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