第4話 “婚約者”の介護
「や、やっべ……」
「危ない!」
盛大によろめいた由弦だが、咄嗟に動いた愛理沙のおかげで地面とキスをすることだけは回避できた。
しかし……
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……ありがとう」(い、今……顔に柔らかい物が……)
起き上がらせて貰いながら、由弦の顔面を受け止めた愛理沙の“柔らかいクッション”に思いを巡らせる。
幸いにも愛理沙は気付いていない、もしくは気にしていない様子ではあった。
(良い匂いしたなぁ……あと、柔らかかった。いろいろと)
愛理沙から受け取った松葉杖で体を支え直しつつ、由弦は思い返す。
これはこれで、ちょっと役得ではないか? と考えるが……
「気持ちはありがたいけど、大丈夫だ。君に迷惑は掛けられない」
女の子に守ってもらうのはダサい。
というしょうもない由弦のプライドがここで働く。
それに何より……さすがに学校で噂になるだろう。
由弦と愛理沙が親密であると知られれば、関係を邪推し、そして両者がお見合いを通して婚約関係にあることに行きつく生徒もいる。
あの学校には高瀬川家と親しい家の子も少なくないのだ。
人の口には戸は立てられない。
あっという間に校内の注目の的になってしまう。
「先ほど、転びかけた人がよく言いますね」
「ぐぬぬ……」
それは否定できない。
昨日も部屋の中で、一人苦戦していたのだ。
「借りを作りたくないだけです。恩を返させてください」
「しかしだな……君と一緒にいるところを見られたら……」
「ご安心を、高瀬川さん。私も妙な噂を立てられ、囃されるのは嫌です。分かっていますよ。
「それは……うん、そうだね。じゃあ、恩に着るよ」
無理に断っても付いてくるだろうと考えた由弦は、大人しく助けを借りることにした。
実際、エレベーターのスイッチを押すだけでも少し大変だったので、マンションを出るまででも手助けしてくれるのはありがたかった。
「では私はお先に行かせてもらいます。……大丈夫、ですよね?」
「ああ、問題ない」
むしろ早く先に行って貰いたいくらいだ。
由弦のマンションから学校まで、徒歩で十分程度。
いつ学校の生徒が通り掛かってもおかしくない。
「その前に、連絡先を交換しても?」
「そう言えば、してなかったね」
確かにそれは必要だろうと由弦は頷く。
とはいえ、松葉杖で両手は塞がっているので、スマホをリュックから取り出すまで含めて愛理沙にやってもらう。
「できました。では、帰るときにご連絡を」
「ああ、分かったよ」
愛理沙は感情の浮かんでいない表情で一礼をすると、やや小走りで学校へと向かった。
それから由弦はのんびりと、慎重に松葉杖を突きながら登校した。
さて、由弦の松葉杖を突いての登校は周囲を驚かせたが……重症なだけの捻挫という説明で多くのクラスメイトたちは納得したのか、特に追及してはこなかった。
昼食。
由弦は友人を含めた三人、教室で机を合わせていた。
「ほら、要望通りのパンだ」
「おっと、ありがとう」
由弦の友人の一人である宗一郎は、席で座って待っていた由弦に購買で勝ち得たパンを投げた。
それからもう一人の友人が買ってきたお茶を由弦の机に無造作に置く。
そしてやや乱暴に椅子に座った。
「それで……お前さん。その怪我、どうしたんよ」
そう尋ねたのは由弦の悪友の一人、
どこかチャラチャラした印象を受ける生徒だ。
彼もまた由弦と宗一郎のようにやや制服を着崩していたが……加えて、黒色のネックレスを首から下げていた。
尚、この高校の服装規定は「高校生に相応しい服装と髪型でいること」(意訳:最低限の常識を守れば自由)なので、別に校則違反にはならない。
「お前の怪我を思って学食をやめ、パンを買ってきてやったんだぞ。さあ、答えろ」
宗一郎もまた椅子に座って由弦に問いかけた。
由弦、宗一郎、聖。
この三人はそこそこ仲が良く、普段から一緒に行動していた。
もっとも……実は三人とも、クラスは違う。
普段は学食で食事をしているが、今日は由弦を気遣い、由弦の教室で食べることになったのだ。
「いや……猫が木の上にいてさ……名誉の負傷だ」
由弦がそう答えると……
まず宗一郎が噴き出した。
続いて、聖が由弦を指さしながら、大爆笑する。
「ミイラ取りがミイラになるとは、このことだな」
「間抜けにもほどがあるだろ!」
「うるせぇよ……猫が暴れたんだ」
「……よっぽど、お前に助けられるのが嫌だったんだな」
「おま、猫に落とされたのかよ! 面白すぎだぜ」
ゲラゲラと大爆笑する宗一郎と聖。
フンと由弦は鼻を鳴らし、腕を組む。
「まあ、まあ……そう怒るな。悪かった……っく」
「つい、面白すぎたもんでな。……っぷ」
「お前らの人格を疑う」
類は友を呼ぶという諺が一瞬脳裏を過ったが、由弦はそれをくしゃくしゃに丸め、外へ投げ捨てた。
しばらく二人は笑い続けたが……すぐに飽きたのか、別の話題を振ってきた。
「そういえば、由弦。お見合いはどうなった?」
「ああ、そんな話があったな! 金髪碧眼色白巨乳の美少女で注文出したんだろ? 注文通りの美少女は来たか?」
「おい、お前ら、デカい声で言うなよ……」
この教室には愛理沙もいて、クラスメイトと食事をしているのだ。
金髪碧眼色白、まではともかく「巨乳の美少女」の部分は少し聞かれたくない。
「結論を言うと、来なかった。……来るわけないだろ、そんなの」
「つまらないな」
「はぁー、そこは嘘でも来たって言えよ」
由弦の結婚話など、二人にとっては冗談の種、他人事でしかない。
……まあ勿論、真剣に受け止められても由弦としては困るので、それはそれで良いのだが。
(まさか、雪城愛理沙と偽りとはいえ『婚約』したとは、言えないな)
一応、口は堅いと信じているので言いふらしはしないかもしれないが……
それでも死ぬほど揶揄われることは目に見えているのだ。
「それより、宗一郎。お前、亜夜香ちゃんと千春ちゃんとはどうなってるんだ?」
「おお、そうだぞ。この人間の屑! はっきりしやがれ!」
「い、いや……待て。急に矛先を向けるな」
強引に話を逸らすことで、由弦はこれ以上の追及を回避したのだった。
放課後。
由弦は友人二名に階段を降りるのを手伝って貰ってから、一人マンションへ向かった。
マンションの前では、愛理沙が待ち構えていた。
「荷物、お持ちします」
「ありがとう」
愛理沙の親切に素直に甘え、ドアの前まで送ってもらう。
エレベーターとはいえ、やはり人の補助が少しはあった方が楽だし、何より側に人がいるというのはそれなりに安心感があった。
「じゃあ、雪城。今日はここで……」
「靴を脱ぐところまで、お手伝いしますよ。大変でしょう?」
「鞄のポケットに鍵が入っている」
ここまで来たら最後まで親切に甘えてしまおうと、由弦はドアの鍵を渡した。
愛理沙はいつもの平静な表情でドアを開く。
……そして凍り付いた。
大きく、目を見開いて固まっている。
「どうした、雪城」
「何ですか、この部屋は。……足の踏み場もないじゃないですか」
ゴミやガラクタ、配布されたプリントなどが散乱した部屋を見て愛理沙は眉を顰めた。
由弦はあまり片付けや掃除が得意ではないのだ。
「一応、俺なりに整理しているというか、どこに何があるかは把握していて……」
「本当に把握できているかはともかくとして、高瀬川さん。松葉杖がないと歩けない人が、この障害物だらけの部屋で生活するのはあまりにも危険です」
愛理沙はそう言いながらも、由弦が靴を脱ぐのを手伝ってくれた。
おかげで苦も無く、玄関から部屋へと上がることができた。
「ちょっと、高瀬川さん」
「ん?」
「その杖の先は汚れています。せめて、拭いてからじゃないと……」
愛理沙はそう言うと、鞄からウェットティッシュを取り出した。
そして杖の先を丁寧に拭う。
それからため息をつく。
「世話が焼けますね」
「悪い。……でも俺は気にしないぞ?」
「気にしてくださいっ! ……私はもう行きますが、大丈夫ですか?」
部屋の惨状と由弦の松葉杖へ視線を交互に移しながら、心底心配そうに愛理沙は言った。
帰るに帰れない。……そんな表情だ。
由弦は愛理沙を安心させるため、特に支障はないことを示そうと部屋の中を移動してみせる。
「大丈夫だよ。ここは俺の部屋だぞ? ちゃんと地形は把握して……」
ズリっと、紙切れを踏みつけた松葉杖が床を滑った。
由弦の体が大きく傾く。
「……大丈夫じゃないでしょ」
「わ、悪い。本当に、恩に着る」
幸いにも側にいた愛理沙が、由弦を支えてくれたために転ぶことはなかった。
今のは本当に焦った。
由弦は冷や汗が体から噴き出すのを感じた。
「あぁ……もう、放ってはおけません。……掃除します。良いですね?」
そういう愛理沙にはどこか有無を言わせぬ何かがあった。
さすがに同級生の女の子にお部屋を掃除してもらうのはあまりにも情けなさすぎるので避けたいが、しかし先ほど転びかけた事実を覆すことはできない。
「は、はい」
由弦は素直に頷くしかなかった。
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デレ度:5%→4%(巨乳云々が聞こえた)
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