第3話

「……朝か」


 差し込む朝日を感じた由弦は目を醒ました。

 それは決して心地よい目覚めとは言えなかった。


 昨晩の飲酒のせいか頭はぼんやりと重く、喉の渇きを感じていた。

 また左腕は肘から先に感覚がなく、酷く痺れていた。


 左手側を向くと、そこのは由弦の左腕を枕にして眠る婚約者の姿があった。


 幸せそうな、安心しきった、無防備な寝顔を晒している。

 そんな可愛らしい婚約者の寝顔のおかげで、全身の気怠い感覚は吹き飛んだ。


(可愛いなぁ……)


 由弦はじっと愛理沙の寝顔を見つめる。

 正直なところ、左腕の痺れは辛かったが、しかし愛理沙の寝顔にはそれだけの価値があった。


「……由弦さん」


 突然、愛理沙が由弦の名前を呼んだ。

 一瞬起こしてしまったかと思った由弦だが、しかし愛理沙は目を瞑ったままだ。

 どうやら寝言らしい。


 夢の中で由弦と対峙しているようだ。


「そんなとこ……だ、だめです……」


 むにゃむにゃと愛理沙は寝言を口にする。

 どうやら夢の中の由弦は、愛理沙にだめなことをしているらしい。

 もっとも、現実世界の愛理沙の顔は悪夢を見ているようにも見えない。

 むしろ口元がにやけている。


 楽しい夢を見ているようだ。


「もう……仕方がないんだから……」

 

 由弦はクスっと笑みを溢した。

 すると愛理沙は僅かに眉を顰めた。


「んっ……?」


 そして薄目を開けた。

 何度か目をパチクリさせてから、ぼんやりと愛理沙は由弦の顔を見つめた。


「おはよう、愛理沙」

「……わわっ!」


 愛理沙は驚いた様子で起き上がった。

 ガバっと毛布が跳ね上がる。

 窓から差し込む朝日が愛理沙の白い上半身を照らした。


「お、おはようございます。……由弦さん。きゃっ!」


 愛理沙は由弦に挨拶をしてから、自分が裸体を晒していることに気付き、両手で体を隠した。

 慌ただしい愛理沙の仕草に由弦は思わず笑う。


「おはよう」


 由弦はあらためて愛理沙にそう告げてから、愛理沙を軽く抱きしめた。

 そして前髪を手で上げて、額に接吻をした。


「おはようございます」


 愛理沙も両手で胸を隠しながら、由弦の頬に接吻を返した。


「由弦さん。……シャワー、先に浴びても良いですか?」

「いいよ」

「ありがとうございます」

「……」

「……」

「……行かないのか?」


 何故か浴室へ向かおうとしない愛理沙に由弦はそう尋ねた。

 すると愛理沙は頬を膨らまし、そして片手で由弦の後ろを指さした。


「あっち向いてください」

「ああ、悪い」


 由弦は苦笑しながら後ろを向いた。

 視線の後ろで愛理沙が毛布から抜け出るのを感じた。


「……ところで、由弦さん」

「うん? 何?」

「私……寝ている時、何か言ってましたか?」


 愛理沙の問いに由弦は後ろを振り向きながら答えた。


「もう食べられないって言ってたよ」

「そ、そうですか」


 どこか安心したような声を漏らしながら、愛理沙は浴室へと消えて行った。 

 由弦は愛理沙がいなくなってから、静かに笑った。




 さてそれからしばらくし、体を綺麗に洗い終えた愛理沙が浴室から出てきた。

 そして入れ替わるように由弦も浴室に入り、体を洗う。


 由弦が浴室から出ると、何やら良い香りが鼻腔を擽った。

 どうやら愛理沙が朝食を作っているらしい。


 由弦は愛理沙を手伝うために、急いで服を着た。

 台所に向かうと、予想通り愛理沙がエプロンを着て料理をしている。

 今は丁度、味噌汁を作っている最中のようだ。


「愛理沙、手伝うよ」

「ありがとうございます。じゃあ、漬物を用意してもらえますか?」

「分かった」


 由弦は台所にある壺の蓋を開けた。

 糠床の中から胡瓜と茄子を取り出し、糠を落としてから包丁で食べやすい大きさにカットする。


「ご飯、解凍していいかな?」

「お願いします」


 愛理沙の許可を得てから、由弦は冷凍庫の中から白米を取り出した。

 電子レンジに入れて解凍を始める。


「お魚の火加減も見ていただけますか?」

「了解」


 愛理沙の指示を受け、グリルを開く。

 中では鮭の切り身がじゅくじゅくと美味しそうな音を立てていた。

 丁度良い焼き加減だ。


「良さそうだ」

「じゃあ、お皿に入れてください。……こっちも終わりそうです」


 愛理沙はそう言うと、鍋の火を止めた。

 冷蔵庫の中から味噌を取り出し、お玉で溶き始める。


 由弦もぬか漬けや焼き魚を皿に、解凍が終わった白米を茶碗に盛った。

 最後に愛理沙が完成した味噌汁をお椀に注ぎ、二人は料理をテーブルへと運んだ。


「「いただきます」」


 二人で手を合わせて食事を始める。

 

「体に染みる感じがする」


 シジミの味噌汁を飲みながら由弦は思わずそう呟いた。

 元々美味しい愛理沙の味噌汁だが、飲酒した日の翌日は格別に美味しく感じる。


「これを味わうために、酒を飲んでいると言っても過言じゃない」

「それはさすがに過言だと思いますが……」


 愛理沙は苦笑しながらも、由弦と同様に味噌汁を口に含んだ。

 そして目を細める。


「……今のは撤回します」

「だろう?」


 二人はそんなやり取りをしながら朝食を食べ終えた。


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