第14話 “婚約者”と試験勉強

 七月初旬の金曜日。

 放課後、由弦が帰宅しようとしたその時だった。


「ゆづるん。明日、暇?」


 教室に入って来たのは橘亜夜香だった。

 その背後には上西千春もいる。


 面倒な組み合わせが来たなと、由弦は内心で眉を顰めた。


「何の用だ?」

「明日、みんなで勉強会をやろうと思っていて。ゆづるん、明日は暇かな?」


 勉強会。

 要するに期末試験の直前だから、みんなで楽しく勉強をしようという提案だ。


「ちなみにみんなというのは、私と亜夜香さんと宗一郎さん、由弦さんです」


 メンバーの中に良善寺聖がいないのは、彼が亜夜香や千春とそれほど親しいわけではないからだ。

 そもそも、高校入学前までは聖と交流があったのは由弦だけだ。


 由弦と宗一郎、由弦と聖は友人同士で、交流があったが……

 聖と宗一郎の間にはそういう関係はなかった。

 二人が仲良くなったのは、双方由弦の友人という縁があったからなのだ。


「悪い、パスだ」

「えー、どうして?」

「君たちの逢瀬を邪魔しては悪いという心遣いだよ」

「別に気になりませんよ? 私たちは」

「気にしろよ。俺が気になるんだよ」

 

 宗一郎、亜夜香、千春の三人だけで一つの世界を作られると由弦は少し微妙な気持ちになるのだ。


「でも、ゆづるんも私たちを無視して宗一郎君とイチャイチャするじゃん」

「男同士、女同士で棲み分けましょうよ」

「誤解を招くようなことを、人のクラスで、大きな声で言わないでもらえないかね。君たち」


 もっとも、わざとそういう表現を口にしているような人間が言って聞くとは思えないが。

 由弦は内心でため息をついてから、別の理由を口にする。


「というか、先約がいるんだ」

「えー、誰? 良善寺君?」

「宗一郎さんはハブって、二人で逢引ですか?」

「違う。それと誤解を招くようなことを……はぁ。無駄か」


 由弦は大きなため息をついてから……

 一瞬だけ、教室の扉の方へ視線を向ける。


 丁度、教室から出ていこうとする愛理沙と目が合った。

 すると愛理沙は……小さく由弦に笑いかけた。


「えー、じゃあ誰なの? 私たちという者がありながら!」

「そうですよぉー。男ですか? 女ですか?」


 少し、ドキっとしてしまったのは秘密だ。





 翌日。

 いつもは昼からだが……その日は早朝にインターフォンが鳴った。


「おはよう、雪城」

「おはようございます、高瀬川さん」


 由弦は愛理沙を自分の部屋の中へと招き入れた。

 まず愛理沙は部屋の中を確認し、満足そうに頷いてから由弦の方へと視線を向ける。


「君の言う通り、最初から八割だ」

「そのようですね。気を遣ってくれて、ありがとうございます。それと、とてもお似合いです」


 愛理沙はそう言って由弦の服装に賛辞を贈った。

 褒められたからには由弦も黙っているわけにはいかないと、彼女の服装に視線を向ける。


 今日は夏らしいベージュのワンピースを着て、ケープのようなものを羽織っている。

 腰の部分には黒いベルトを巻いていた。

 ワンピースなのにベルトが必要なものなのか、女物のファッションについては詳しくない由弦には少し分からなかったが……

 そのベルトによって愛理沙の細いウェストと、メリハリのある体つきが強調されているようなので、おそらくはそういうお洒落なのだろうと結論付ける。


「君も良く似合っているよ。というか、何というか……」

「どうしましたか?」

「俺の気の所為かもしれないけど、何というか、前よりもお洒落になった? いや、以前もお洒落だったとは思うけど」


 言っては何だが、服の平均的価格が上昇しているような気がした。

 これは完全に由弦の勘だったのだが……正解だったようだ。

 愛理沙は僅かに口角を上げ、目を細めた。


「御明察の通りです。昔は……まあ、高瀬川さんにどう思われようと、どうだって良かったのですが。……最近は、そうですね。恋愛感情は一切ありませんが、どうでも良い相手というわけではないので」

「ん……それは、まあ、なんだ。ありがとう、と言えば良いのかな?」

「いえ、本当は私の方がお礼を言わなくてはいけません。……実は高瀬川さんのおかげで、お小遣いが増えました」


 なるほど、服の平均価格が上昇しているような気がしたのは、そのせいなのだろう。

 天城家としては、愛理沙には由弦を落として貰いたいのだ。

 

 何とも現金な話だなと、由弦は苦笑した。




 さて、普段ならば今からゲームを始めようとなるのだが……

 その日、二人が広げたのは勉強道具だった。


 つまり勉強会だ。

 亜夜香に語った先約とは、愛理沙のことだったのだ。


 揃って勉強を始めた二人だったが……

 二時間ほどで由弦の集中力が切れ始めた。


(いやぁ……真面目だなぁ)

 

 ぼんやりと由弦は愛理沙の顔を眺める。

 愛理沙は真剣な表情で参考書を解いていて、由弦の視線には気付かない。


 前回の中間試験では学年でトップだったと、噂に聞いている。

 日頃から真面目に勉強をしているのだろう。


(あいつらに爪の垢でも煎じて飲ませたいところだ)


 もし宗一郎たちと勉強をしていたら、まず勉強は進まなかっただろう。

 ……もっともその辺りは由弦も人の事を言えないのだが。


(しかし……やはり、見れば見るほど美人で、可愛いなぁ)


 以前、由弦は「金髪碧眼巨乳色白美少女」という注文を付けたが、愛理沙はそれを殆ど満たしている。


 髪色は金髪ではないものの、それに近い、色素の薄い茶髪、美しい亜麻色だ。

 ぜひ、撫でてみたい。


 瞳の色は碧眼、つまり青ではなく……美しいグリーン。翡翠色、翠眼だ。

 もっとも……少し、光は死んでいるが。


 肌は乳白色で、白磁のように滑らかだ。

 ちょっと触れてみたい衝動に駆られる、


 胸は……やはり大きい。

 由弦の周辺には亜夜香、千春と胸の大きい女性が多いのだが、その二人と比べても決して劣らない。 

 亜夜香以上、千春未満というところか。


(でも、臀部の方は負けてな……)


「高瀬川さん。何ですか?」

「へ?」

「私の顔をジッと見て……何というか、下劣な視線を感じたのですが」


 わずかに由弦から距離を取り、こちらをジト目で見る。

 その瞳は冬の湖面のように凍り付いていた。

 不愉快そうに眉を寄せ、表情を歪めている。


「いや、別に……何でもないさ」


 由弦はそう言いながら珈琲を口に持っていった。

 その時だった。


「金髪碧眼色白巨乳美少女」

「げほっ!」


 思わず由弦は咳き込んだ。 

 こちらを冷ややかな目で、有体に言えばゴミを見るような視線を向けてきている愛理沙に尋ねる。


「あ、えっと……雪城さん? それは、どこで……」

「以前、大きな声で話してらしたのを聞きました。お見合い相手にそういう条件を付けたと」


 以前、というのはおそらく宗一郎や聖と昼食を食べていた時だろう。

 大きな声でそれを言ったのは果たしてどちらだったか、覚えていないが……

 二人ともセットで呪ってやろうと密かに決意した。


「私のこと、そういう目で見てたんですね」

「い、いや、落ち着け! そもそも、俺は君が来るだなんて思っていなかった。それに君を選んだのは、俺じゃない。俺の祖父母と君の養父母だろう!?」


 由弦が慌てて弁解すると……

 愛理沙は僅かに口角を上げた。


 そして小さく鼻で笑う。


「冗談です。分かっていますから、ご安心を。生物である以上、そういう邪念を抱いてしまうのは致し方がないでしょう」

「そ、そうか?」

「はい。というか……まあ、全くそういう雑念を抱かないというのは、腹が立ちますから。それに高瀬川さんの体が心配です」


 由弦は愛理沙が異性として、全く意識されないのは腹が立つと言っていたことを思い出した。

 本当にどうでも良い相手ならばともかくとして、多少親しい関係の男性から、異性として全く扱われないのは釈然としないということか。


「あ、でも露骨な視線は気持ちが悪いので、やめて頂けるとありがたいです」

「あ、はい」

「あと、触ってこようとしたら潰します。物理的に」

「お、おう……安心しろ。そういう手間を取らせることは、絶対にないからな、うん」


 由弦が引き攣った表情でそう言うと、愛理沙は頷いた。


「はい、知っています。そこは信じていますから。……信じていなければ、こんなところにはいませんので」


 そう言うと愛理沙はそれを証明するように、距離を取っていた体を詰めた。

 気恥ずかしさと、罪悪感を抱いた由弦はその気持ちを誤魔化すように頬を掻く。


 それから気まずさから、話題を変える。


「昼はどうする?」

「お昼、ですか? 今日もお作りするつもりでしたけど。何か希望が?」

「いや……ほら、試験前だし。少しでも勉強に費やしたいだろう? たまにはどこかに食べに行くのも良いんじゃないかなと」


 さすがに試験前の貴重な時間を餌作り・・・に費やすのは申し訳がなかった。

 それに……日頃、作って貰っているのだ。

 

「今日くらいは俺が奢るよ。いつものお礼だ」

「……そうですか。では、お言葉に甘えます」


 てっきり最初は断ってくるかと思ったが、案外素直に受け入れてくれた。

 距離が縮まって、遠慮が無くなったからかもしれない。

 由弦としては、そちらの方が楽で良い。


「で、どこに行くか。まあ……近所が良いよな。この辺りだと、喫茶店、ファミレス、蕎麦屋、ラーメン、カレー屋……この辺りなら知っている。あと、出前でピザを頼むというのもアリだ。君が選んでくれて良いよ」


「……少し考えさせてください」


 うんうんと考え始める愛理沙。

 由弦は「夏だし、俺は蕎麦が良いなぁ」と内心で思うのだった。

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